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REVIEW『バニシング・ポイント』(町山智浩単行本未収録傑作選) 50年ぶりのリバイバル公開! タランティーノもオマージュを捧げた凄まじいカーチェイスのアメリカン・ニューシネマ

文:町山智浩
初出:『映画秘宝』2015年4月号

●『バニシング・ポイント』のカーチェイスは最高だぜ!

『バニシング・ポイント』(1971年)は、コワルスキーという男がコロラド州デンヴァーからサンフランシスコまでを2日間突っ走る。それだけの話だ。
 映画が始まるとすぐにコワルスキーは車を発進させ、あとは90分ある映画の80分は猛スピードで走っている。セリフはほとんどない。なぜ、走るか、その理由も語らない。
 初めて観たのは小学校4年のころ、水野晴郎さんが解説する『水曜ロードショー』だった。映画の意味はわからなかった。でも、ネヴァダの砂漠をどこまでも続くハイウェイに衝撃を受けた。ハイウェイは目の前にずっと伸びて、地平線の彼方で点になって消える。『未知との遭遇』のポスターみたいに。その点が遠近法でいう消失点。バニシング・ポイントだ。
 狭い日本では、そんな景色は北海道くらいでしか見られない。筆者にとってのアメリカとは、まず『バニシング・ポイント』の風景だった。
『バニシング・ポイント』は、「消失点」から始まる。カリフォルニアの田舎町で、ブルドーザーが2台並んで置かれて道路をブロックする。そこに真っ白なスポーツカーが走ってくる。70年型ダッジ・チャレンジャー。排気量7200CC、375馬力のいわゆるマッスル・カーだ。
 ブルドーザーに行方を塞がれたチャレンジャーはスキッドしながらUターンするが、後ろからはパトカーの群れが迫り、上空からはヘリコプターが追う。逃げ場を失ったチャレンジャーは道路を飛び出して荒野に逃げる。運転手、コワルスキー(バリー・ニューマン)は、しばらく考えて、何かを決心したかのように、再び、ブルドーザーのあったほうに向かって走り出す。
 ここで2日前に戻る。デンヴァーで、コワルスキーは新車のチャレンジャーを週末にサンフランシスコまで運ぶ仕事を請け負う。コワルスキーは陸送屋という設定らしいが、どうもおかしい。デンヴァーからサンフランシスコまで2000キロ以上もある。せっかくの新車を自分が乗る前に新古車にしたがる客がいるだろうか?
 コワルスキーは売人からスピード(覚醒剤、アンフェタミン)を買う。寝ないで走って明日の午後3時までにサンフランシスコに着くと言う。法定速度内でノンストップで走れば18時間で着く勘定だが、それを15時間で行くという。スピード違反は必至だ。売人は無理だと笑うが、コワルスキーは「無理だったらクスリ代を倍払うよ」と賭けをする。たったそれだけのために、4州を巻き込む壮絶な追跡劇が始まる。
「『バニシング・ポイント』のカーチェイスは最高だぜ!」
 クエンティン・タランティーノは言っている。彼は『デス・プルーフ in グラインドハウス』(2007年)のクライマックスでわざわざ白いチャレンジャーを使って再現した。とにかく、ここにはCGなんてものはない。すべて命がけの本物だ。
 この映画で実際にチャレンジャーを操っているケアリー・ロフティンは当時56歳のベテラン・スタントマン。戦前のバック・ロジャースもの『原子未来戦』(39年)のころからスタントマンになり、97年のTV版『バニシング・ポイント』まで約60年間、スタント・コーディネーターとして活躍した。最も有名な作品はスティーヴン・スピルバーグの『激突!』(71年)で主人公を追い回すタンクローリーの運転手だろう。
 しかし、そのチェイスには理由がない。コワルスキーは交通違反以外の罪を犯したわけでもないし、目的地で何かが待っているわけでもない。コワルスキーは何も語らないが、旅の途中で彼の脳裏にフラッシュバックする過去の記憶から、その理由を観客が考えるしかない。
 この構成はおそらく、イングマール・ベルイマン監督の『野いちご』(1957年)にヒントを得たと思われる。医学部の老教授が自動車でスウェーデンの田舎を旅しながら、青年時代の恋、結婚、妻の浮気など、辛い過去を回想していく。『野いちご』の構成は世界中の映画や文学に影響を与え、フェリーニの『8 1/2』(63年)、スタンリー・ドーネンの『いつも2人で』(67年)、アメリカではウディ・アレンの『スターダスト・メモリー』(80年)などが生まれた。
『バニシング・ポイント』の脚本はギレルモ・ケイン。キューバ出身の作家ギリェルモ・カブレラ・インファンテのペンネームである。彼はキューバ革命に参加したが、カストロ首相と対立してイギリスに亡命した。もともと映画評論家でもあったインファンテは、ロンドンでサイケデリックな覗き見映画『ワンダーウォール』(1968年)の脚色を担当した後、ハリウッドに呼ばれて、『バニシング・ポイント』の脚本を書いた。
 インファンテにとって、アメリカは異国だった。大好きなハワード・ホークスやジョン・ヒューストンの西部劇で観た荒野と、ジャック・ケルアックの『路上(オン・ザ・ロード)』を読んで想像した道路こそが彼のアメリカだった。
 コワルスキーの回想も、インファンテにとってのアメリカだ。若いころ、コワルスキーはダートトラック・レースの選手だった。ロバート・レッドフォード主演の『お前と俺』(70年)でも描かれたが、日本のオートレースと同じく単気筒のバイクをリーンアウトさせてコーナリングする。
 次の回想では、NASCARのレース。ストックカーといって、市販の乗用車を改造したもので楕円のコースを周るレースで、もとは密造酒の運び屋の腕を競うために始まった。まさにアメリカ独特の文化だ。1965年、『ライト・スタッフ』の原作者トム・ウルフはNASCARレーサー、ジュニア・ジョンソンの伝記『ラスト・アメリカン・ヒーロー』を書いた。『バニシング・ポイント』で、コワルスキーが「ラスト・アメリカン・ヒーロー」と呼ばれるのは、そこからの引用だ。ちなみにトム・ウルフの本は73年に映画化され、その主題歌「アイ・ガッタ・ネーム」は、タランティーノの『ジャンゴ/繋がれざる者』(12年)の劇中歌に使われた。
 もうひとつの回想でのコワルスキーは警察官だ。先輩の警官が補導した少女をレイプしようとするのを見ていて、我慢できずに邪魔してしまう。回想シーンはないが、コワルスキーはベトナム戦争にも従軍しているという設定がある。そこでも彼はアメリカの闇を見たのだろう。
 美しい回想もある。カリフォルニアの浜辺で恋人とのラブシーンと別れ。彼女は反戦運動家という設定らしい。波に打ち上げられたサーフボードが彼女の死を暗示する。
 コワルスキーはアメリカのすべてを体験してきた。そして幻滅し、荒野を進んでいる。アメリカに幻滅したキャプテン・アメリカがノマド(流浪の民)と改名してアメリカを彷徨ったように。

●コワルスキー役は当初ジーン・ハックマンだった!

 人生を回想するという構成上、監督のリチャード・サラフィアンは、当初、ジーン・ハックマンを主演にしたかったという。
 サラフィアンはTV出身で、『ザ・モンキーズ/HEAD!』(1968年)や『イージー⭐︎ライダー』(1967年)を製作したスクリーン・ジェムの下で『戦慄の第四帝國』(1968年)というTVムービーを作っている。全体主義になった近未来のアメリカで体制と戦うレジスタンスを描くTVシリーズのパイロット版だが、国民の言論の自由を奪い、弾圧する政府の秘密警察は、ベトナム戦争の真っ只中の当時は、反戦運動のデモに襲い掛かる警官隊そのものに見えただろう。その『戦慄の第四帝國』で牧師を演じたのがジーン・ハックマンだった。
 しかし、製作会社20世紀FOXの社長リチャード・ザナックは、もっと若く無名のバリー・ニューマンを推薦した。FOXの総帥だったダリル・F・ザナックの後を継いだリチャードは父の大作主義で赤字がかさんで傾いた会社を建て直すため、映画館離れをした若者たちを取り戻そうとしていた。
 当時、『卒業』『俺たちに明日はない』『イージー⭐︎ライダー』が大ヒットしていた。若者たちの自由を求める戦いをセックスとバイオレンスとロック満載で描いた、それらの映画はニューシネマと呼ばれた。ザナックは『バニシング・ポイント』もニューシネマにしたかった。そこで主役に推薦したのがバリー・ニューマンだった。
「ダスティン・ホフマンとボブ・ディランを足した感じだ」
 サラフィアン監督は言う。ホフマンは最初のニューシネマ『卒業』(1967年)で花嫁を奪って若者に大人気だった。ディランはもちろん反逆する若者たちのアイドルで、やはりニューシネマの元祖『俺たちに明日はない』(1968年)で、主人公クライド・バローにキャスティングされる予定だった。その2人とバリー・ニューマンはユダヤ系だった。それまでのハリウッド・スターとは違う、繊細さと知性とアウトサイダー的なアンチ・ヒーローを時代は求めていた。
 ザナックはもう1人の主役、自動車もキャスティングした。脚本ではフォード・ギャラクシーだったが、ダッジ社とのタイアップでチャレンジャーを使えることになったからだ。チャレンジャー(挑戦者)なんて、この映画のためにつけられたような名前だ。
 コワルスキーは旅の途中でさまざま人々に会う。砂漠の蛇を使うキリスト教伝道師は、今もアメリカ各地にいる聖書原理主義で、「(キリストは)手で蛇をつかみ、毒を飲んでも害がない」というマルコの福音書の記述を文字通りに信じて毒蛇を掴む儀式を行っている。ときどき噛まれて死んだりしている。
 ヒッチハイクの男同士のカップルはゲイで、気持ち悪い奴らとして差別的に描かれている。ハーヴェイ・ミルクによってサンフランシスコがゲイの解放区になるのは、70年代半ば以降だ。
『バニシング・ポイント』でチャレンジャー以上に有名なのは、全裸でオートバイに乗るヒッピーの少女だろう。彼女は、ギルダ・テクスターという素人で、後に『グリーン・マイル』(1999年)などの衣装デザイナーになった。当時、パトカーの警官役の俳優ポール・コスロのガールフレンドだったので現場にいたのを監督が映画に出して脱がせたのだ。当時はいい時代だったね。
 ポール・コスロは『シノーラ』(1972年)、『マジェスティック』(1974年)など70年代アクション映画に出まくってセコくて哀れなチンピラを演じた。ここでもコワルスキーを追ってパトカーをクラッシュさせ、八つ当たりのように、コワルスキーに味方するラジオDJスーパー・ソウルのスタジオを襲って半殺しにする。
 スーパー・ソウルは、沈黙のコワルスキーの代わりにしゃべりまくる。
「さあ、次の曲は最高だぜ、『ベイビー、君はどこへ行くんだ』!」
『卒業』や『イージー⭐︎ライダー』は既成曲をDJのように映画に合わせたが、DJスーパー・ソウルがかけるのはみんな『バニシング・ポイント』のために書かれた歌だ。
 警察無線を傍受してコワルスキーを知ったスーパー・ソウルは彼を応援し、語りかける。いつの間にか無線もないのにコワルスキーと話し合えるようになる。監督はDVDの副音声解説で「テレパシーさ」と笑っているが。
 スーパー・ソウルのラジオのリスナーたちはコワルスキーを英雄視し、チャレンジャーが通るシスコという田舎町に集まってくる。彼らはロケ現場にいた野次馬。老若男女、さまざまな人々がクロースアップで捉えられる。ロバート・フランクの写真集みたいだ。
「(この映画は)アメリカのタペストリー(つづれ織り。細かい模様の集積で全体を描いたもの)なんだ」サラフィアンは言う。
 しかし、それは罠だった。警官ポール・コスロはスーパー・ソウルを脅迫して、彼の放送でコワルスキーを、警官隊が待ち構える地点に誘導させたのだ。
 ここで映画は冒頭に戻る。「この構成はメビウスの輪を意図した」サラフィアンは言う。コワルスキーは行く手をふさぐブルドーザーに突っ込んで行く。
「とまれ!」スーパー・ソウルは叫ぶ。しかし、コワルスキーは何もかも振り切ったように穏やかに微笑んで、アクセルを踏む。2台のブルドーザーのブレードの間から太陽の光が輝いている。そのバニシング・ポイントを目指して。
「私はコワルスキーがバリケードを突破して逃げおおせるラストにしたかった」サラフィアンは言う。「だが、ザナックは彼を死なせろと言った。私はアルメニア系だからカトリックで、自殺を否定していたから嫌だった」
 猛スピードでブルドーザーに激突したチャレンジャーは垂直に逆立ちした。
「まるで十字架みたいだった」
 カトリックのサラフィアンは、コワルスキーをキリストとして描いた。砂漠を彷徨って悟りを開き、使徒であるスーパー・ソウルによって官憲に売られるが、それを受け入れる。コワルスキーは死んだのか? いや。チャレンジャーの運転席には誰もいない。彼はそのまま天に向かって走り抜けたのだ。
 これをTVで観た後の筆者がコワルスキーの微笑みの意味を考えて眠れぬ夜をすごしていたころ、社会主義国だったポーランドでも、1人の少年がTVで『バニシング・ポイント』を観て、アメリカに憧れていた。スピルバーグの『プライベート・ライアン』(1998年)などの撮影監督、ヤヌス・カミンスキーは言う。
「アメリカン・ニューシネマはアメリカの体制に反抗する映画だったので、社会主義体制でも観るのを許された。もちろん輸入していた人たちは、それを口実に自分たちの好きな映画を観せていただけだと思うけどね。僕らが『バニシング・ポイント』で観たアメリカは“自由”そのものだった」
 エンディングに流れるのは、80年代に「ベティ・デイヴィスの瞳」を大ヒットさせたキム・カーンズが歌う「何もかも自由にならなくちゃ Everything Has Got To Be Free」だ。

 捧げるのは誰で
 受け取るのは誰?
 答えを知ってるのは誰?
 自由になれるのは誰?
 何が疑問なの?
 真実はどこにあるの?
 誰が証言してくれるの?
 私が死んだときに
 誰も知らない
 誰にもわからない
 生命の灯りが消えて
 魂が自由になるまで

『バニシング・ポイント』4Kデジタル・リマスター版/VANISHING POINT/71年米/監:リチャード・C・サラフィアン/案:マルコム・ハート/脚:ギレルモ・ケイン/出:バリー・ニューマン、クリーヴォン・リトル、ディーン・ジャガー、ポール・コスロ/106分/3月3日(金)より、シネマート新宿、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次ロードショー

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