映画DAU.退行より「ソ連国家の繁栄計画とオメガ起点」(完成)
2021年日本だけの公開・ロシア映画「DAU.退行(2020)」の本編の覚書を書き留めます。「考察・解説・解釈」など不定期更新・随時公開していきます。#DAU退行 2021.11.21記述開始。2021.11.23完成。
-------------------------------------------------------------
「ドミートリー・カレージン教授によるオメガ地点を利用した社会主義国家の繁栄計画」※本編で説かれていたシーンの要約覚え書きになります。
① グラフから見る繁栄-----------------------------------------------
進行的関数を用いると資本主義の物質(水や石油)などは
グラフ上は経済繁栄は割りと遅く経済効果の限界がくる。
故に資本主義は枯渇していく。反対に社会主義も退化していくが
それは次の予想される資源を運用に成功すれば可能である。それは情報(の自由化)である。本シーンはその情報の自由化における繁栄と枷となる部分をカレージン教授は解いている。
進行的関数は公式を立てることが可能だが資本主義の物質(水・石油なと化石燃料)は枯渇していくマイナスの繁栄となる。これに対して
無限の資源となりうる「情報」は反復するので永遠の資源となりうる。
この資源を有効活用するには、資本主義であれ社会主義であれ、管理体制がない自由な行き来「情報の自由移動が必要不可欠」という。
情報は小さなコミュニティで掲載され、各グループに分かれて次々と統合していきそして人類共有の財産となる。DAU研究所においてはこの方向性はDAUの趣旨と合致しているが、人材が圧倒的にたりないという課題を残す。故にもう一つどの国家にも存在しうる枷を取らなけばならない。
その枷となる原因は、管理体制にある。具体的にはKGBであれCIAであれMI6であれ管理体制と「社会主義においては同一化かつ管理が散漫」「資本主義であれば権限が強いものだけがその情報を行使できる」という方向性にあるので情報の自由化・移動化ができない。
② オメガ起点---------------------------------------------------------------
情話の自由化は
1968年
1985年
1990年
2000年
2010年
と段階的成長を遂げその完全な状態は2020年か2026年に決定する。(この映画が2020年に公開されたのはこのため) この映画は1968年という設定であるから、1968年以降の成長は想像だにしない。これを実際の世界情勢・資本のアメリカ、ソ連・ロシアの歴史に照りし合わせると
1968年 スターリン体制 崩壊。衰退期
1985年 ソビエト連邦とアメリカ冷戦終結 成長期
1990年 ソビエト崩壊 社会主義消滅 ロシア誕生 発達期
2000年 9.11 プーチン大統領当選 革命期(オメガ起点)。小さいコミュニティが統合され情報の発達が始まる。
2010年 動画配信の拡大 情報の拡大 繁栄期
2020年 中国・ロシアなど動画配信サイトの統制下 情報の統制下
となる。つまり、映画では未来予知としてカレージン教授が申しているのは、実際に行われてきたロシア→ソ連の成長であり、一方ではソ連の退行という意味合いになる。連邦国だったソ連の統合がカレージン教授の言う小さなコミュニティの統合となる。
ここからは余談と評論であるが、この情報の産業が一大産業として発展していくというのは、1968年の論文から基づくアルピン・トフラーの著書
未来の衝撃 1970年
第三の波 1980年
の二冊より、この情報化社会の繁栄がすでに予測されている。
前者はSF的滑稽な部分もあるが、後者は明確に新しい産業の形成が記述されている。本作では、カレージン教授は数学者であり彼自身も実際に「物理より情報のアイディアが産業を拡大させる」という持論を今も持ち続けている。
③ 2つ枷----------------------------------------------------
情報が拡大していくには、一つの要素と二つの枷を乗り越えなければならない。一つは「」二つの枷というのは「物理的限界を認知する人」「情報の統制下は行ってはならない」というものである。「物理的限界」は先ほど記述したとおりで、水・石油など化石燃料がなくなる事を前提とした限界の事つをさす。情報統制というのはKGBなどの一定の公益の基礎に基づく成約を排除するという事である。映画の中では、明確にKGBをさしていないがウラジミール・アジッポに対しての非難を通して指摘している。
(理解しているか理解してないのかここでも表情を出さないアジッポ所長。)
視点・現代は2020年のネット社会に突入しているが、その中身はグロ画像、わいせつな画像までもアクセスでき、統制が必要となる時代に突入している。カレージン教授の指摘は情報の拡大化がもたらす繁栄だけてを見ているがアジッポは同時に統制による健全化を目論む。本作の1968年においても2020年においても統制と自由化の人間の二つの次元は今にだに解決せず、オメガ起点を採用している2020年に本作を公開するのは、1968年でかつ社会主義国であれ資本主義であれ、情報産業の拡大化(もともとは軍事・国家的利用のネット社会が1980年代の第三の波よろしく一般的に拡大する自由を得る事で繁栄が形成されるという考えであるが、健全化を図るための独裁ともいえる統制はどの時代も必要であるといえる)
カレージン教授がこのダウ施設の価値をこう述べる。「私がダウ研究所にいるのは、この自由化のためのコミニュニティが試験的に行われるからだ。ダウ研究所はそとの世界とは違い、資本主義り文化と風習、そして議論が許可されている。縛れていないソ連だ。それこそ情報の自由化の利権が進む状態に他ならない。しかし、このダウ研究所だけでは規模が小さい。5万人単位のコミニュニティ(すなわち以後のウクライナ自治区の統合の事を指す)など数値的に単位を設けて繁栄していく必要がある」
④ 社会主義は破壊によって退行していく」とカレージンの計画 ------
「科学とは宗教である。社会主義はこの繁栄を破壊をもって退行していく」映画の冒頭で語られる印象的なセリフであるが、本作はそれを文字通り体現している。この映画の内容評価できる点は、この退行していくプロセスを国家と主義の自由化によるシュミレーションによってい描かれているところだろう。治外法権状態の研究所と国家の規律と繁栄を考察している二極化がこのダウ研究時の目的であるが、冒頭のラビがセリフで言う通り、繁栄とは破壊をもって描かれる。そしてそのプロセスは9つに分かれた章の中に自由になっていく人間の堕落さをもって粛正が行われる悲劇を物語る。
カレージン教授の未来予想図は1968年の設定とはいえその時代の論文に基づき、また実際のカレージン教授が物理学を専攻しているにも関わらず、物理的繁栄ではなく無物体による繁栄を物理の観点から述べていおり、映画の趣旨な賛同している点が興味深い。DAU退行に出てくる科学者たちは、それら主義と趣旨を持ち合わせてこの作品の仮説と立証を提唱するべく参加している。
そこだけなら、評価は100点であるが、ラスト30分によって0点の評価を下す問題の映画でもある。
終わり。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?