嵐と、町の食堂のカツ丼のやさしさ
今年50歳の僕が小学生のころからある町の食堂
おばあちゃん、おじさん、おばさん、の三人で経営していた町の食堂のカツ丼。しいたけがたっぷり入っていました。
それから40年
町の人口は半分の二千人になり、飲食店はもう残り数件
当時おばさんだったおばさんは、40年たった今でも僕にとってはおばあちゃんではなくて、やっぱりおばさん
25年くらい前に妻と同棲をし始めた頃は、今日みたいな嵐が来ると、二人でKFCに向かいました。
嵐の中を傘もささず「ケンタッキー!ケンタッキー!」と叫びながらKFCの店舗に向かい、オリジナルのチキンを8ピース(僕6:妻2)、フライドポテト、コールスローサラダを持ち帰り、自宅で一番搾りで流し込む
外は嵐なのに、自分達は暖かくて安全な部屋で二人でKFCを食べる。
一番搾りを飲む。
嵐の中を緊張しながら隣町まで運転して、結局家の近くの昔馴染みの大衆食堂に戻って食べたカツ丼
あの頃の僕たちは、どうして嵐になるとKFCからテイクアウトするのかよくわかっていなかった。嵐になると妻のテンションは上がり、それに僕もつられた。
嵐の時には自分が揺らぐ。自分自身の存在をもう一度確認するための儀式
そういえば、昔はたっぷり入っていたしいたけが、今はほとんど入っていないような気がする。どうしてなのだろう。
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