英国判例笑事典 エピソード(9)「銀行に預けたお金が銀行にない!」

私が預けたお金は銀行にない?
裁判官がある事件の中で、銀行取引についてこんなことを言っています。

「銀行の顧客は銀行にお金を所持しているわけではない、というのは基本的な知識である。・・・・・・学生は『銀行にある私の持ち金ぜんぶ』などと言うことは、不正確極まりないということを、法学教育の初歩の段階で学ぶ」(太字筆者)

[1989] QB 728

法律的なものの考え方
これは一体どういう意味でしょう。解説する前に、そもそもなぜ法律家は簡単そうなことをむずかしく話すのかを、日常的な例をあげて説明しましょう。

スイカを買う
八百屋さんに行っておいしそうな柿を見て、「この柿を下さい」といったとします。「まいど!」という元気のよい店主から柿を受け取って、お金を払えば、その柿を買ったことになりますね。

これを英国の法律家は、目の前にある特定の柿について契約が成立し、成立と共に契約が履行された。これを売買’a sale’)という、と考えます。

誕生日のケーキを買う
子供の誕生日のために、ある週の日曜日にケーキ屋さんに行って、ショーウィンドウにある「いちごケーキ」を指さして、「これを下さい。金曜日の夕方に取りに来ます」といったとしましょう。目の前のいちごケーキについての売り買いの約束が出来たのでしょうか。

いいえ、金曜日に取りに来るというのですから、ケーキ屋さんはその日作りたてのいちごケーキをくれるでしょう。お客さんだって、今日ウィンドウにあったケーキを週末に子供と食べるなんて思いませんよね。「金曜日に取りに来たときに、これと同じいちごケーキを」と考えているに違いありません。

つまり、今日の時点では引き渡すべきいちごケーキは存在しないのです。金曜日に取りに行ったときに、日曜日に見たのと同じいちごケーキを渡すという約束があるだけです。考えてみれば、ショーウィンドウに現物はなく、写真だけがおいてあって、「お誕生日祝いの注文お受けします」と書いてあるだけでも約束ごとは成り立ちます。

法律家の目で見てみると
法律家にとっては、将来存在することになる、合意された仕様(スペック)に合致するいちごケーキに関する売買の合意’an agreement to sell’)が、出来たことになります。契約の成立は今日で、履行日は金曜日です。金曜日にケーキを受け取って、代金を払うと、その時点で上に出てきた売買’a sale’)が起こることになります。

法律家は単なる売買でも、当事者間に合意(相互の約束のたば。つまり「契約」)があるかどうかものは目の前にあるかないかいつ引き渡しと支払いが完了するか……、といったように分解して考えます。そう考えると柿やケーキの買い物が、ややこしい話になってしまいます。(☚これがポイント)

私のお金は銀行にないのですか?
そこで預金の話です。裁判官の頭の中はこうなっています。

1.銀行に顧客がお札を預けにくる。
2.銀行はそのお札を金庫に入れっぱなしにするわけではない。
3.それどころか、預かったお金は自分のものとして運用して利益を生まなければ、銀行の存在意義がないので、速やかにそのお金を、他の人に利息をつけて貸し付ける。
5.顧客が預金を引き出しに来たら、当初預かった価値と同じ価値の別の札を渡す。
6.つまり、銀行は預け入れられたお札は自分のものとしてしまうので、顧客の「私のお金」は「銀行のお金」として運用され、銀行は相当額のただし別のを返す義務を負うだけである。
7.なお、銀行はお金を借りた(銀行から見ればそうなります)ことに対する対価として、利息を合わせて支払う。

そこで「銀行が受け入れた資金はその銀行にある、などというのは経済学者には納得できても、法律家には何の意味もないのである」ということにもなるのです。

納得できましたか?
そのように言われてみれば、少し分かったような気がしますが、預けたお金がそこにないなんて、何となく煙に巻かれたような感じがしませんか?

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