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【エッセイ】中高生の「読書感想文」について思うこと~課題を整理しよう~

 まるで永遠のテーマであるかのように、何十年(?)にもわたり、巷でちらほらと聞こえてくる、ある「問題」…。

  そう、「読書感想文がイヤすぎる問題」だ。

  「国語のあれが本当にイヤだった…」と思い出になっている人もいれば、現在進行形で「夏休みのあれが憂うつ」という中高生もいるだろう。

  私自身は本好きな子どもだったので、正直言って特にイヤだった思い出はないのだが、大人になり、いろんな人と話したり、子育てをしていくなかで、「ああ、苦手な人はこういうことが苦手なのね。だったら漠然と『とにかくイヤだ~!』ではなく、現実的に課題を整理して取り組んだほうがいいかもしれない」と気づいた。

  まず、「読書感想文を書く」ことに関するいくつかのハードルに関して、「特に、何に苦手意識を抱いているのか」自分で整理したらいいかもしれない。

 


〈苦手な人はまず、書店で「この一冊」を選ぶことが苦行〉

  こう思ったきっかけは、周囲にいる「本があまり好きじゃない大人」と何度か一緒に書店へ行ったことだった。

  例えば友人A。彼は職場でいろいろあって「人に本を勧める」ことになった。そしてその紹介文を社内報に書くことになった…なったのだが、読書習慣がないので本が見つからない。かと言って人に勧めるので、適当なものではいけない…ということで私に助けを求めてきた。のだが…

 「どんなジャンルがいいの? 作家とかジャンルとか、見当くらいはついてるよね?」「…いや」
「小説? ノンフィクションでもいいの?」「…う~ん」
「学生時代でもいいから、おもしろく読んだ本は何冊かあるんでしょう?」「あるけど、人に勧める以上は少し賢そうな本のほうがいいんだ…」
「その仕事、断れないの?」「無理」

 という、不毛な会話を繰り返すことに。

  最後は「良さそうなの、選んで…」と力なく言い出す始末で、本棚の前から一歩も動かなくなってしまった。

 私はなんとか、彼の職業や個性からして「選びそうな」、そして「軽く読んだだけで(短い)紹介文が書けそうな」一冊を選んであげた。

  そして思った。…こりゃ大変だなおい!
 なんだか友人が、読書感想文に追い込まれている高校生のように見えてきたのだ。

 不得意なジャンルについて受け身ではなく「能動的・主体的」に取り組んで成果を出す、というのは「慣れている人」から見れば想像以上のストレスだ。

  私は自分に置き換えて考えてみた。なんか知らんけど先生から「みんな! スポーツは素晴らしいものだから夏休みに何かひとつ、体験してその感想を新学期に発表してみてほしい。なあに何でもいいんだ、楽しんでこい! でも、成績には影響するぞ」…みたいに言われたら、すごくテンション下がるな…と。

  けれど問題を整理して取り組めば、少しは気がラクになると思うのだ。 
 
 もし、中高生でこれを読んでくれている人がいたら…(あんまりいないか)、参考にしてもらえたら嬉しいなと思ったりする。

  

〈読まねばならぬ、感じねばならぬ…これも辛い〉

 
 本を読んで感想文を書く。教育的には必要だし、読解力や文章力は受験だけでなく社会に出てからも必須なので、今やどんな教科にも欠かせない…のは、わかる。

  とはいえ、読書習慣のない人にとって、まず「何か一冊選べ」と言われることがまず苦行だということ。

  選書については、「(常識の範囲内なら)何でもいい。自由」と言われることが多いだろうが、この「何でもいい」がクセモノで、勉強として取り組むなら逆に「夏目漱石から選べ」とか言われたほうがまだマシかもしれない…、選書のセンスを人のせいにできるからね。

  「自分に読めそうな本で、かつ、そこそこ教育的な(感想文を出しても恥ずかしくない)一冊を選ぶ」のって、慣れとか訓練がものを言うから、そのデータベースや経験の蓄積がない人にはけっこう難しい。

 加えて、そもそも本好きじゃないのだから、読んで「おもしろい」と思う自分の感情に期待もできない。

 「夏休みの貴重な3日間くらい」を、おもしろいかどうかわからない本に捧げ、「とにかく読み切らなければならない」、そして「感想文を書かなければならない」!

 …そりゃあ、イヤだよね。

  何かを感じろ、というのは人から強制されるものではない。 
 
強制された時点で、あまり何も感じられなくなっている自分がいたりも…する。

  ましてや「イマイチだったらやめればいい」のが普通の読書なら、「イマイチでも読み切らねばらならない」のが読書感想文であり、読んだ後でさらに「感想を文章化する」という苦行が待っている。

 書いていて気づいたのだが、これはひとつの課題ではない。
 人によっては3つくらいの課題を、あたかも1つのさらりとした課題のように提示されているのではないだろうか…!

  さらに、「頑張って選んだ一冊がイマイチでも、自分で選んだのだからしょうがない…」という自分へのガッカリも生まれかねないし、親にうっかり相談しようものなら、「ほらね、あんたが日頃から本とか読まないからこういう時に苦労するのよ…」なんて言われかねない。

  …かねない。ねばならない。うん。
 
  …考えただけで、憂うつ…。

 私は本が好きだけど、もしこれがスポーツだったら…。ああ無理だな。

 

〈読書感想文で本への苦手意識が高まったら本末転倒〉

 まあそれでも、ネットで検索するなり、書店のポップを参考にするなりして「これなら読めそう」と挑んでみたものの、それでもイマイチな内容だったら…。

  …結局、読書がどんどん嫌いになるんじゃないか?

  教育のためにやっているのに、読書嫌いを増やしてしまうという、その人にとっても本にとっても不幸な負のスパイラルに陥ってやしないか?

  もちろん、読書習慣のある人なら新たに選書しなくても「これでいっか」と感想文を書きやすい一冊を本棚から取り出すだけで済む。

 私は、「そうなってくれたらいいな」「たくさんの人に子ども時代から本を楽しんでほしいな」と考えている側なので、上記の状態がベストだとは思う。 
 「みんな! 子どもの頃から読んでいれば、読書感想文で苦労しないよ…」と呼びかけることは簡単だ。

  …でも、そういう人ばかりじゃないし、本好きな人だって「将来の読書感想文のために」読書しているわけじゃなく、好きだから読んでいるわけだから、同じ土俵の問題としては取り上げにくい。

  問題は、「国語の授業の読書感想文でますます読書に苦手意識を持つようになってしまった」「読むのがイヤでイヤでしょうがなかった」という思い出を持つ人が増えること。

  これは悲しい。もったいないとも思うし、いつか読書と出会うのなら、たくさんの人に本との幸せな出会いをしてほしい…と思う。

 

〈文章力がない…以前に小説を読んで心が動くかどうか〉


  話がとんだ!

  はい、改めて読書感想文のハードルってなんだろう?

  整理してみると、「自分、文章力がないから…作文が苦手だから…」と理由に挙げる人が多いように思う。

  でもじつはそれ以前に、「本(小説)を読んで、自分なりに人に伝えられるような何かを感じる」時点でつまずいている人が多いのではないだろうか。

  いや、「すごく面白かった!」とか、「あの言葉に感動した」とか、「ラストはびっくりだよ~」という友達に話す程度の感想ならあるはず。映画を観た後の感想と考えればわかりやすいだろう。

 でも、「この展開とこの展開が結びつくことに作者の明確な意図を感じた」とか、「この人物がこういう思いを抱いたことが」「現代にも通じる重いテーマだと感じた」とか、「私の経験に重なることがありました。私は子どもの頃・・・」みたいな、作文に書けそうなそこそこ上等な感想って、繰り返し読んでいないと身に付かない・・・というか、言語化して浮かんでくるものでもない。

  ここが、何冊も読んでいる人、文章力や国語力のある人との差。

 

〈3つの課題=選書する→一気に読み切る→感想を言語化する〉

  
 それではようやくここにきて(すみません)、読書感想文を書くにあたって考えられるハードルを明確に整理してみよう。

  自分が何にいちばん困っているかがわかれば、少しは問題解決に近づいて心が軽くなるかもしれないから。

 (1)自分がおもしろく読めそうな本を「さがす」「選ぶ」

(2)できる限り集中力を切らさず「読み切る」

(3)感想文を書く

 ・・・大体この3つに分けられるのではないだろうか。

  いざ並べてみると、いや、当たり前っすよね?…という3つのハードルだったかもしれない。

  でも、これがうまく整理されていないと、「読書感想文にまつわるハードル」が脳内にいくつも存在し、自分でも何が辛いかわからない! というカオスに陥る

  そうするともう、書店に行くだけで頭痛が起こってしまうのだ(私の友人Aの状態)。

  (1) と(2)は、もともと「読書の引き出し」があり、日常的に本を読んで育っている人ならば、ほぼ問題にならない。だから文章力に自信のない人は(3)の心配だけをすればいいことになる。

 (3)はもしかしたら、「感想を自分のなかで整理する」と「実際に書き始める」の2段階に分けられるかもしれないが、文章講座ではないのでここでは詳しく書かない。

  では、(1)と(2)に困ったらどうするか。

 

〈ベタだけど、本好きな友達に「自分への」お勧めを聞いてみよう!〉

  
 ここで具体案。

 まず本好きな友達がいたら、(1)についてぜひ相談してみよう(友達に本好きがいなくても、本好きな人を見つけてこれを機にぜひ友達になってください)。

  そのくらいやってます! ・・・はい、そうですね。

  でも、ただ一般的に「おもしろそうな本」「人気の本」を紹介してもらうだけでは足りないので、「オレ(私)が好きそうな本をおしえて!」と食い下がってみることが大事だと思う(それで「しつこい」と言われて壊れる友情なら、はじめから縁がなかったということで・・・すみません)。

  じつは本好きの人ってけっこう、トークを重ねるなかで「あなたはこの本、好きかもしれないよ」という嗅覚を持っていることが多い…と思う。

  それに、本好き人間は本のことを質問されるのが好きだ。ええ、好きですとも。

  アドバイスする友人側が熱心なら、もしかしてこれまでの読書歴(漫画でもいい)、好きなドラマや映画の傾向、読書に避ける時間などを質問されるかもしれない。

 そうして、「これぞ!」という一冊に出合えたらラッキー・・・だけど、結果が伴わなくても相手のせいにはしないというのはお約束で。

  また(2)に関しても、お勧めしてくれた友人から「あなたの感想でいいから、どこがおもしろいかおしえて(ネタバレなしで)」とあらかじめ聞いておくのもいいかもしれない。

 できるだけ具体的に、個人的感想で〇。
  この人が格好よくて惚れちゃいそうだった…とか、自分の部活体験に重なるところがあった…とか、あの史実を元にしていると思うよ~、とか。

  もっと踏み込むなら、「中盤で一度ペースダウンするけど、じつはあの人の行動が全部関係あってね、頑張って読み進めればラストで全部伏線回収されるよ」・・・などと聞いておけば、かなり読みやすくなるかもしれない。

  映画の解説者って、ネタバレなしで観どころを伝えてくれると思う…すると映画館に行きたくなる、それと同じ。

  もちろん、友達の感想をそのまま書くのはダメだけど・・読みどころをわかっているだけでかなり読みやすくなるはず。

  これは、文庫本の背表紙に書いてある(出版社の人が書いた)あらすじよりも、ネットで検索して出てきた知らない人の感想よりも、自分と同じ目線で生きている友人の言葉のほうが、ずっとずっと伝わってくるはずだから…だから友達というのは財産なのだ。

  こんなふうに(1)と(2)をある程度クリアできれば、(3)は少し取り組みやすくなるかもしれない。

  なかなか面白かった! と思うことができ、どこが具体的におもしろかったのかを自分なりに整理してみれば、文章もある程度書きやすくなると思う。

  ちなみに良い読書感想文とは、「自分だからこう感じた」という、「自分の人生経験や感情」と照らし合わせて生まれるもの。その本を「読んだ自分自身」がその本の〝真ん中〟にいて感じたことが感想

 結局、感じることがいちばん大事なんだと思う。
 だから、あらすじを書いて原稿用紙の大半を埋めてしまうと点数が取れない…という結果になる。

 

――いかがだろうか。

  少なくとも(1)と(2)の苦しみがやわらいでくれたらいいなぁ・・・と願っている。

  ちなみに(3)についてだが、私は文章力って一定の方法論があれば技術としてある程度まかなえるものじゃないかと思っている。

  だって事実、大学受験で小論文に取り組む時、国語が苦手な高校生でも「こうすれば小論文はクリアできる!」というような方法論ってたくさん学ぶと思うから。世の中には文章講座というものもある。意見や感想さえあれば、あとは組み立てるだけ――。

  そう、書くより、感じたり考えたりすることのほうがずっとずっと難しいのだ。

 けれどもそう、感じることこそが10代の財産で、読書感想文というのはその財産を言語化する勉強だと思う。

  だから嫌いな人が、少しでも減ればいいなぁ。

 

 

 

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