それで、何か問題があるのか?
政治と宗教の話は雑談に不向き。
という「常識」があるけど、「教育・育児」もそうかもな、と最近思う。
それぞれに哲学があり、もしそれを否定されてしまったら、時と場合によっては生の拠り所を否定されたような感覚に陥るものかもしれない。
というのは、ここで詳らかに言語化しない言い訳なのですが、
育児にまつわる悩みのようなものを、ぼやかしながら少し吐き出させてもらいます。逃げの婉曲を連打しつつも、自らの思考の整理を兼ねて書きたい。
生後7ヶ月の息子の発達のことで、ちょっと悩んだりする。詳しくは割愛しますが。
「不安」という2文字は、しっくりこない。その2文字よりも、今の心情はだいぶ薄味だ。
でも脳みその奥の方で、砂嵐がかすかに聞こえるような感じ。そうだ、この心身の状態は「焦り」に近そうだ。
悩める事象について「で、何が問題なんですか」と自分に問いを投げてみる。
…〜が問題かもしれない。
「で、何が問題なんですか」
…〜
〜以下略〜
ほお〜ら、何も問題なんかないでしょ?心配しすぎなんだよ。
なんて、自分にも言うつもりはないけれど。
気づいたら問題をすり替えていたり、自分を偽っているということは往々にしてあると思うので、
耳の奥のかすかな砂嵐に気づいたら、もう片方の耳をそちらによくよく傾けるようにしたい。
何が言いたいのか判然としない文章になりましたが、
すっきりと着地することばかりでなくてもいいと思うのです。ねがてぃぶけいぱびりてぃ。
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