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Chapter:44

アーティストとして生きること

何処かで「私の頭の中は宇宙船」というようなことを書いたことがあるのだが、日常の中でフとした時、我にかえった時に、自分の中から出てくるアイデア達を眺めてると、

「頭ブッ壊れてんな・・・」

と驚く程自分にそう思う場面が多々ある。
自分の中の何が出させてるのか分からない。
というのも、「考えてない」状態でスーッとアイデアの塊が脳内を占領していく。

私の場合、物心ついた時からそんな風に生きてきたので、世間との差が凄くて生きづらかった。
特に20代前半の数年間は、まだ引きこもりなんて言葉もなくて、何故自分がこんなに引きこもって狂った様に本を漁り、3日間寝ないで映画をブッ通しで観てるのか分からない状態だった。

でも、世間とはズレたところで生きていられたのは、自分の中から湧いてくるアイデア達であった。
人から見たら実現不可なものとか、何でそこまでやるの?というものを、「考えて出したものではない」のに「自信があった」。
古くからの親友達は、そんな私の話を逢う度に、或いは夜通し聞かされてほんと大変だったと思う。
よく友達やめなかったな、って。

自分の得てきた知識やモノは、決して人に勧められるものではない。
私が私を生きる為のものだったから。
そこから表現として作るモノへ変換させることに注力しているし。

未だにアートの話をじっくり出来る人がいない。
趣味も似た人がいない。
ライバルと思える人がいない。
もうこの時点で私は、自分を生きるしかないのだと悟った。
自分が居るフィールドに誰も居ないということは、物凄く孤独だ。
視点を変えれば、何やってもいいやと思えることなのだけど。

悲しいかな、高校時代の早い段階で、誰も居ないとこを目指したい、と願っている自分がいた。
夢が叶ったのにね。

事あるごとに言ってきた「琴線に触れるモノを作っていく」も、この孤独感から生まれたテーマとなっている。

・・・こんな事を書くと暗い話に聞こえるかもしれないが、そうではない。
作り手は、自分のフィールドを見付けられたら、生きてる意味を見出せるからです。
今まで起きた出来事、考えてきたこと、触れてきたことの答え合わせが出来ます。
作り手にとって、そこが醍醐味なんだと思う。



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