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【コダイ妄想】物部氏は大王(天皇)だった?

シリーズ「万世一統を一刀両断」3回目です。

↑の3項目目。「物部氏王朝が存在した」について語っていきたと思います。

まず物部氏とはどういった氏族なのでしょうか?

神武天皇に使えた武官の一族とされています。

その祖先は、神武天皇よりも前に降臨し、ヤマト入りをした饒速日命と伝わります。饒速日命は登美夜毘売と結ばれ、宇摩志麻遅命を産み、物部氏の初代となります。

現在の奈良県天理市周辺に縁で、石上神宮を氏神として祀っています。

以前、奈良に出張に行った際に1週間天理に滞在しました。
その時の宿の旦那さんが天理の歴史について教えてくださったのですが、
「天理は物部氏が朝廷の武器を製造・管理していたので、第二次世界大戦下でも武器が納められていた」というようなことを仰っていました。
歴史は古代から繋がっているんだ…と改めて気付かされました。

そして、その氏神の石上神宮まで自転車をお借りして参拝しました。
街の印象としては、道が条坊に近いほどに整っていて、区画の中に学校や宗教施設がきちんきちんと収まっていて、学園都市で宗教都市でもあるのもあって、何とも不思議な感覚になりました。

石上神宮は高台(丘?小山?)に建ち、ひっそりと気高い、地味だけど荘厳…個人的には全国でも大好きな神社のひとつです。
御祭神はフツノミタマ。

石上神社は古くは斎宮が置かれていたといい、守屋の妹フツ姫(布都姫、太姫とも)は石上神社の斎宮だったともいわれます。

そして、石上神宮は伊勢神宮と共に最古の「神宮」とされています。
そして共に神使が鶏です。
私は石上=伊勢だと考察しています。
伊勢神宮の二つ名は「磯の宮(いそのみや)」なのも示唆的です。
(詳しくはまた後日)

さて、物部氏というと蘇我氏との対立の末に敗れた氏族…とされています。
その発端のひとつとされるのが、蘇我が仏教崇拝をはじめたのを神道派の物部氏が良く思わず、仏像を流すなどの邪魔をしたこと…と伝わります。

仏像を流すとか燃やすとか、するでしょうか?
嫌がらせのレベルが低いと思いませんか?

また、物部氏の居住跡から寺院の瓦が出土した例もあります。

これはまたもや「悪者作りの系譜」を感じませんか?

藤原氏と時の天皇家を正統とするために書かれたのが『日本書紀』。
都合の悪い相手は「悪者」認定して成敗するか(蘇我氏など)、
全く見ないふりをするか(出雲など)となっています。
その「悪者」蘇我氏と対立した相手は「良い者」=正義になってしまいます。
それを防ぐために「悪者」VS「もっと悪者」の構図をでっち上げたのではないでしょうか?

前回蘇我氏は当時の大君のひとつだと妄想しました。
その蘇我氏と対立した物部氏も大君だと思うのです。
崇仏派VS神道派の対立からの物部合戦は、蘇我と物部の王権同士の争いだったのではないでしょうか?
そうでなければ、朝廷の武器を司る物部氏に戦を仕掛けますか?
(蘇我氏には漢直氏など勇猛な氏族が仕えていたとはいえ…)

「神宮」と名がつく神社は天皇家を祀る…と言われています。
(YOUTUBEで宮崎の神社の宮司さんもそうおっしゃってました)
石上「神宮」が氏神の物部氏は大王家(のちの天皇家)ではないでしょうか?

そもそも、神武より先に天から降りて地上を治めていたのが物部氏の祖という設定が、神武(大和王朝)以前の王朝だと示唆してると思えるのですが…。



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