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キライナコトは嫌いと言おう


僕は無意識に「キライ」と言ってはいけないと思っていた。

それに気づかせてくれたのは

「繊細さんの本」というタイトルの本だった。


何かをキライになる理由を、それまで色々考えていて、それをnoteに書いたりもした。



その中では、他者否定は実は、自分を肯定できないことからきてるんじゃないか

という内容で考えたけれど、

それも物事の一面でしかない。


キライなものを、

ただ嫌いと思うだけじゃなく、

なぜなんだろう、なぜ嫌いになったんだろう。

と考えてみることも、とても重要だとは思っている。

でもそれが全てじゃない。


キライナコトは嫌いだと、ちゃんと避けるのも自分を守ることになるんだと思う。

自分に合わないもの、ことを教えてくれている。

それに蓋をしてはいけない。

自分の本心が何なのか分からなくなってしまう。

そして、自分の嫌いなものを、引き寄せてしまう。

嫌だという意思表示をしないのだから、近づいてくる。

それでは自分自身を苦しめるだけになってしまう。


この他者否定や嫌いを大事にすることと、なぜ嫌いなのかを考えるということを両立させるには、

自分の本心にまず素直になる。

ということが大事になってくるのだろうと思う。

そうすれば、
一番バランスを保つことができると思う。


今回面白いと思ったのは、
僕は純粋になぜ嫌いなのかを分析しているつもりだったのに、
心のどこかで、嫌いと言ってはいけない
と思い込んでいたこと。
そして、それに気づいていなかったこと。


客観的に判断するというのは、
本当に雲をつかむようなことのように思う。


聖書には
「はい、は、はいを。いいえ、は、いいえを意味するように」
みたいな言葉がある。

ほんとにその通りだなと思った。


自分自身の心の機微により繊細であろうと思った。

そうすると、ゆっくりゆっくり

僕の周りには

僕の好きが沢山集まるように思う。


それが僕の目指す、キライナコトは嫌いと言う。


だからといって、誰かを傷つけてもいいなどという免罪符ではない。

それも結局はバランス感覚が重要になる。

そんな感覚を手に入れられるのは、いつになるだろうか…
なんて思ったりする。


ゆっくり気長に生きていこうと思う。

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