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宗教2世をやめるきっかけをくれたのは、0.01mmのアレだった。

※これは特定の組織、集団を否定したり、誹謗中傷するものではありません。
最近のニュースを見て胸が苦しくなることが多く、それは僕の生い立ちに理由があり、新興宗教を信心している家庭に生まれました。
2世と呼ばれるものです。
僕の体験談を通して、同じように苦しんでいる人が少しだけでも心が軽くなったら、
一歩踏み出した先に、幸せに生きることが出来ている事実を知ってもらえたら、
また初めて知る人にも、一つのきっかけになればと思い、魂を込めて書きました。

現在は多少のトラウマはありながらも、楽しく生きれていますが、
当時の自分はとてつもなく苦悩していました。
共感されにくい独特の体験です。

気分を害される方がいたら、最初に謝っておきます。すみません。

かなり長くなりそうですが、僕のトラウマの昇華でもあります。
良ければお付き合い下さい。



「あんた何これ」

僕はソファでウトウトしていた。

血の気が引いた。

おわったと思った。

母親の手にあったのは、僕の部屋にあるリュックに入れていたはずの0.01mmのアレだった。

まるで浮気がバレた時のような動揺、
「友達のやつ代わりに買ってん」と言った。

「箱の中減ってるし、使うてるやん」

普通は恥ずかしい話なだけで終わるかもしれないけど、僕の場合は違った。

なぜか?
それは「組織」以外の女性と付き合うことが禁止で、結婚を前提としない交際は特に良しとされず、そんな事よりも、
婚前交渉は大きな「罪」だったから…


「組織」

僕の家では、ある新興宗教を信心しており、それは物心ついた時からそうだった。

「2世信者」「宗教2世」という言葉は、こんな時に使われる。


親は自らの意思によって何を信じるのかを選ぶが、子供となると話が変わってくる。


「幼い頃から教えるべきである。」という教えに基づき、
小さい頃から週2〜3回の集まり(集会)に出席したり、親と街中に出て各家に訪問したり、日常的に聖書を読んでいた。


主な教えとしてはこうだ。

まず「組織の人」と「世の人」と分けられる。

聖書の教えを信じていない人は「世の人」とされ、終わりの日(ハルマゲドン)に滅ぼされる対象だ。

「組織の人」で、かつ「教えを従順に守っている者」は終わりの日に神に選ばれ、楽園で永遠の命を得るという希望を信じている。

その発端は最初の人間、アダムとイブが悪魔サタンに騙され、神の信頼を裏切ることで楽園を追放され、永遠の命を失うことにより全てが始まる。

その罪を相殺する為に、イエスキリストが犠牲となりゴルゴダの丘で処刑され、死んだとされる。

そしてのちに悪魔サタンが滅ぼされることが決まり、最後の足掻きで、あの手この手で、沢山の人間を道連れにしようとしている。

その道連れになる人が「世の人」だ。

僕のいた組織では禁止されている事項があった。

・「世の人」と仲良くしてはいけない。
・国家斉唱、校歌斉唱はNG。
・政治的活動に参加しないため
 選挙には行かない。
・血は避けなさいとのことから、輸血はNG。
・戦いを学んではいけないとのことから、体 
 育の柔道は見学。
・自慰行為NG。
・誕生日、クリスマスなどの祝い事はNG。
・大学などの高等教育は推奨されず否定的。
・結婚を前提としない交際や、組織以外の異   
 性との交流の禁止
                などなど
僕の思い出せる範囲

それを守れないとどうなるか。
組織を離れなければならない。
それは終わりの日に滅ぼされるということ。

教えの中には、天国地獄は出てこない。
死ねば無であると。
幼い頃からそのように教えられた。

僕の世界の全てだった。

夜になると、死ぬことが怖くて、涙が出てきて、眠れない時があったのを今でも覚えている。

学校の勉強よりも、聖書を読むように言われた。
親の言う通りにしていると、親は褒めてくれるため、出来るだけ親の意向に沿うように行動していた。
子供は親の喜ぶ顔が嬉しいものだと思う。

主にやることは
毎週2〜3回ある集まりに出席すること。
そして街中に出て、ピンポンを押して訪問すること。
これらを奉仕活動という。

この奉仕活動は何よりも重要視され、
一般的には仕事もパートタイムで調整しやすい職につき、
高校を卒業したら、その活動をメインにしていく場合が多い。
僕の周りはそうだった。

その活動をするにあたり、
神を信じているという宣言、バプテスマ(水の洗礼)を受ける。
ジャポンとみんなの前で水に浸かるのだ。
そうするとクリスチャンと呼ばれるものになる。
これで楽園行きの権利を獲得できる。

それが本免許とするなら、
仮免許にあたる「伝道者」というものがあり、
僕はそれだった。

なぜ信じてもいないのに、仮免許まで行っているのか。

これは説明するのは難しいけど、

当時、自分の意見を言えなかった僕が、家で生きていくには、生きている実感を得るには、罪の意識を消すには、そうするしかなかった。

僕には7歳離れた姉がいる。
姉は中学生の時には組織を離れていた。
羨ましいと心から思っていた。
姉の反抗期などの様々な出来事が重なり、
当時の僕は
「僕がこの家族を支えなければ崩壊する。」
と思ったのを覚えている。

より従順に行動するようになった。
親に喜ばれるモノを欲しいといい、言って欲しそうなことを言うようになり、自分の感情を殺すようになった。

10歳の時に学校の授業で書いた詩。

「えんぴつ」

えんぴつは、けずられても
痛いと言わない。
小さくなったら、すてられる。
でも「やめて」とも言わない。
いつになったらやめてって言うかな。
4の僕

書いたこと自体覚えていなかった。
これを見たとき、その当時の心の声が漏れ出ているように感じた。
昔のことだし、もしかすると考えすぎなのかもしれない。

中学くらいから自分の歯車が合わなくなってくる。

まず「世のもの」に触れてはいけない、サタンの影響を受けるということから、
心理的に友達と距離を置くようになった。
でも実は寂しかった。
音楽の授業のテストで、みんなが一人一人校歌を歌う中、僕はみんなの前で違う歌を歌った。
広島への修学旅行、黙祷をする時に僕はすることが出来ず、僕だけが目を開けている写真があった。
初めて付き合った、手すら繋いでいない恋人の存在が親に知られ、別れることになった。
それから誰かを好きになったとしても、相手から好きだと言われたとしても、何かしらの理由を付けて交際することはなかった。
なぜか徐々に女性に対する恐怖心がとても強くなった。
下ネタを言ったり、ハリーポッターに出てくる魔法のような言葉を言うこと、こんなささいなことにも罪悪感があった。
神はいつでも見ているから。
高校では柔道を見学することになった。
見学中、授業が終わる回数を指折って数えていた。
受け身だけなら戦いを学んでいることにならないと思う。と勇気を出して言ったが、
それが聞き入れられることはなかった。
高校2年生の体育祭は休んだ。
なぜかというと、集団ダンスがカンフーを題材にしていたからだった。
部活動でテニスをすることは許可してもらえたが、母親はあまりいい顔をしなかった。
疲れた状態で集まりに出席するので、寝てしまうからだ。
聖書を読むことや、奉仕活動に参加するよりも、テニスがしたかった。
でも日曜日に試合や練習がある時は、行かないようにした。
集まりが優先だからだ。
合宿に凄く行きたかったが、それも禁止だった。
理由は今でもよく分からない。
テニスで勝っても、褒められない。
後ろめたさと罪悪感を抱きながら、
そんなモヤモヤを吹き飛ばしたくて、よりテニスに明け暮れた。
高校生になってもテニスを続けた。
心の支えだった。

高校の頃から、僕の自意識は暴走する。


自分のことをやたら臭いと感じたり、脇汗が止まらなかったり(実際ちゃんと臭かったと思う。)、
自分の見た目が気持ち悪く感じたり、通りすがりの人達が僕を笑って馬鹿にしているように見えたり、キモいと言われているように聞こえた。
同じ考えが頭の中をグルグル回り、無気力になることも増えた。
どこかおかしいと思う分かっているはずなのに、頭の中を止めることができなかった。

プレッシャーを日々感じていた。

歳の近い組織の友達は、高校を卒業したら、奉仕活動に専念するようになるからだ。
人によっては、月に50〜100時間以上奉仕活動に充てる。
それを「開拓奉仕者」と呼んだ。
そんな決断することができない。
なぜなら僕は神を信じることが出来ていなかったから。
もし信じることが出来ていたなら、その方がよっぽど楽だっただろうし、充実した日々を過ごしたと思う。
僕にはできなかった。

進路を考える。

信じてもいないことで、
自分の人生が変わってしまうことに恐怖していた。
その中で「逃げ」の選択で選んだのが、理学療法士になる為に専門学校に行く。
というものだった。

組織の中に、その仕事をしている人がいた。
チャンスだと思った。

この仕事を選べば、家を離れても、日本のどこに行っても、1人で生きることが出来ると思った。
それが17歳の僕がした選択だった。

1人で生きていくことを想像し始めた。
僕はこのままの自分ではいけないと思った。
このままだと、家や組織のせいにして、自分の人生に言い訳をするような気がした。

変わらないといけない。

「世」の本を読むなと言われていた。
サタンの影響を受けるから。
組織から出ている本を読みなさい。
と教えられていた。

僕は教えに反して、本を読もうと思った。
自分の頭で考えられるようにならないとダメだと思った。
考えること自体が分からなかった。
この時に「悩む」と「考える」の違いについて知った。
同じことを考え続けるのは、悩む。
正しいという保証がなくても、自分の中で答えを持ってみる、それが「考える」ということ。

この時に人生で初めて沢山の本と出会った。

専門学校では思いっきり勉強した。
だから1番になった。
優秀だったからとかじゃなく、とにかく必死だったからだと思う。

素敵な友人達に出会う。

これからの人生を考えた時、
「世の人」と分類分けをして、
相手を信用しない、知ろうとしないということは恐ろしいことだと思った。

それは結局自分が傷付きたくないだけじゃないかと思った。

だからこの時から
自分が好きだと思った人、これからも一緒にいたいと思う人に対して、
まずは僕から信頼する。
相手のことを想って行動する。
その結果、相手が僕を信頼するかどうかを判断する。
それで裏切られて傷付こうが、相手が自分の思い通りにならなかろうが関係ないと考えるようになった。

まずは自分から。
傷付くことを恐れず、人に近付いていく。
何のせいにもせず、自分自身がその結果を受け止める。

僕は勇気を出して、友達にこの諸々の悩みを打ち明けたことがあった。
話しながら涙が止まらなくなった。
自分でも訳が分からず、溢れ出してきた。
その友達は話を全部聞いてくれた。

だからこそ、今でも親友として一緒にいることが出来ているのだと思う。


この当時は未だに
もう組織を離れたくて仕方がないということを
親には言えずにいた。

そして社会人になった。

家から1時間半かかるところを職場に選んだ。
信頼する先輩から声をかけてくれたことと、
引っ越す理由ができるからだ。

その職場で、かなり男前の先輩に急に言われた。
「お前ってさ、童貞なん?」
「え、なんでわかるんですか?」
「看護師と話してる時の雰囲気に出てるで」

こんな会話があった。
その先輩が女性を紹介してくれた。
社会人になって、約4ヶ月後、その女性と交際することになった。

僕はとても嬉しい反面、激しい罪悪感に襲われていた。
親に言うことは絶対にできない。
まるで、のどにピンポン玉が入ってるみたいに詰まる。
言葉が出てこない。

もう20年以上その環境にいる。
組織を離れるということは、滅ぼされるということ。
組織の中には仲のいい人が本当に沢山いた。
基本的にはめちゃくちゃ良い人たちが多い。
正直居心地が良かった。
慕ってくれるお兄ちゃんや弟のような存在が沢山いた。
組織を離れるということは、その人たちとの関係が無くなるということ。

より一層のどが詰まる。

全くもって一歩も踏み出せなかった。



そしてその年の11月ごろ

「あんた何これ」

血の気が引いた。
おわったと思った。

でも今しかないと思った。

僕は初めてこの時に
泣きながら親に言った。
自分がこれまでどのように思ってきたのか。
そして組織を離れたいということ。

聞き入れられるわけもなかった。

でもそこから話は進み、
長老と呼ばれる組織の長たちとも話をし、
自然消滅ではなく、
話し合って、ちゃんと組織から離れることが決まった。
物凄い解放感だった。
同時に寂しい気持ちになった。
これから僕は何を頼りに生きていくのだろうと、ふと思った。

でもこれまでは、
僕の人生のプロローグで、
ここから本編が始まるんだ

とも思った。


その時の彼女には数ヶ月後にフラれることになるとは想像もしなかったけれど。


振り返って考えてみれば


結局自分に勇気がなかっただけかもしれない。

宗教がどうとかじゃない。
そもそも
親と向き合えなかっただけかもしれない。
自分の声に正直になれなかっただけかもしれない。
ただのコミュニケーションの問題だったのかもしれない。

今でも不思議と罪悪感がふと出てくることがある。
そんな夢を見ることもある。
まだ無意識には乗り越えることが出来ていないのかもしれない。

でも今がどうかと言うと、とっても幸せだ。

4年以上お付き合いしている女性と結婚する予定だ。
あらゆる僕を知った上で、僕を尊敬してくれて、僕も彼女を尊敬している。
そんな人と出会うことができた。
僕は親友のことを信頼し、親友も僕のことを信頼してくれる。
そんな人間関係を作ることができた。

実際聖書の教えが役に立っていることも多い。

僕の根底に、小さな頃に教えてもらった精神や考え方がある。

僕の好きな言葉

「人生万事塞翁が馬」

良いことが悪いことに、悪いことが良いことになるから、だから一喜一憂してはいけない。

(そこは聖書の言葉やないんかーい)

僕の人生はまだまだ前半戦。

あらゆる経験を受け入れて、笑顔でいられる人。

人の痛みに寄り添える人。

そんな人でありたいと強く思う。

一歩踏みだした先に

ちゃんと幸せはあった。

だから大丈夫。

こんなに長ぇ文を最後まで読んでくれた
あなたの人生に最高の幸せがありますように
アーメン

#一歩踏みだした先に

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