見出し画像

老い

日頃仕事で接するのは70代〜の方が多い。

なかなか僕のような仕事をしていないと、色んな高齢の方と出会う機会は無いと思う。

「老い」についてふと考えることがある。


自分はどのような人生になり、どのような最後なのだろうか

どのように老いていくだろうか

病気にはなるのだろうか


人は必ず老いていくし、

死に向かっている以上、仕方がない。

〇〇の死因を減らす、ということを、みんなが言う。

必ず人は死ぬのだから、死因の押し付け合いでもあると思う。


そんな中でも、その通りだなと思うのは、

健康寿命

いつまで生きるかではなく、いつまで健康か。


これは人によって全く違うと思う。

病気はシンプルじゃない、生活習慣が悪かったから、絶対になるわけでもない。

逆に、病気になった人を、自己責任だと片付けるのも、考え方の暴力のように思う。


でも傾向として、生活習慣の影響は大きい。

バブル時期に豪遊していた人が、それなりの病気になっているのもよく見る。

沢山運動していたけど、それによって関節が変形して、痛くて手術した人もいる。


良い、悪いの解釈は、結果論的で、

習慣というのは、

どんな方向でも体に何かの癖を残す。


タバコよりも孤独の方が、体に良くない。

とも聞いたことがある。

〇〇してれば大丈夫、なんてシンプルにはいかないみたいだ。


結局、目の前の習慣や、やっていることは、

自分の幸せに本当につながっているのか、

思い込んでるだけで、実は違うんじゃないか

自分と話をして解決していくしかないのだと思う。


それが結果的に、

納得のいく「老い」

に繋がるんだと思う。


老いることに対して良くない印象があった。

体力も落ちる、見た目も変わる、残り時間が減る。

それも考え方次第なのかもしれない。


死んだら、老いることすらできない。

大切な人の老いた姿を見ることもできない。

生きた証なんだと思う。


聖書には

「白髪は美の冠である。」

という言葉があり、とても好きだ。

風の谷のナウシカでも

「わしらの姫さまはこの手を好きだと言うてくれる。働き者のきれいな手だと言うてくれましたわい。」

と徐々に石化していくお爺さんに対して言っていたのを思い出した。


捉え方や納得感

これを左右するのは、

年を取ったのか、重ねたのか
が関係するのかもしれない。


ただ漠然と生きて、自分の声を聞かずに生きると、それは普通に年を取っていく。

逆に自分との対話を怠らずに、試行錯誤していく、それが積み重なっていく。

それが「年を重ねる」ということなんだと思う。


はじめに言った「健康寿命」

健康の定義も幅広すぎて難しい。

一般的には、自分で移動できて、入院せずに過ごせるのが健康寿命だと思う。


でも、ただただ未来に備えるだけの人生でいいのか

生きているのは今

バランスが重要になる。


そのバランスを保つのためにも、年を重ねていくというイメージが重要なんだと思う。


僕自身たくさんの人生を見て

その最後もたくさん見てきて思う。

納得感を持ちたい。

その為にも、

これからも、年を重ねていこうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?