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全日本大学駅伝・伝説の逆転劇(早稲田大学・渡辺康幸)

年明け恒例イベントの箱根駅伝に比べて地味ではありますが、大学駅伝日本一を決める大会が、全日本大学駅伝。熱田神宮~伊勢神宮を発着点として、毎年、11月第1日曜日に開催されています。

その大会で、『伝説の逆転劇』と、今でも語り継がれているシーンがあります。

その様子を伝えた動画をご覧ください。

1995年の第27回全日本大学駅伝。当時、学生ナンバーワンランナーと称され、早稲田大学のキャプテン且つスーパーエースであった渡辺康幸選手は、アンカーで出場しました。

全日本大学駅伝のアンカー区間は、約20kmの距離を走る同駅伝での最長区間。3位で襷を引き継いだ渡辺選手と1位との差は、1分31秒有りました。

その差は、いくら、スーパーエースの渡辺選手と言えども、トップの中央大学の選手の実力を考えれば、『ほぼ絶望的』と言える差でした。

しかし、渡辺選手は、早稲田大学キャプテンとしての誇りに掛け、気迫溢れる走りで、ぐいぐいと、トップの中央大学を追走。

結果、とうとう、17km辺りでトップの選手と並び、残り700m付近で、スパート!みるみる間に、中央大学の選手との差を広げ、そのまま、伊勢神宮内宮のゴールに飛び込み、伝説の逆転劇が完遂したのでした。

私は、今でも、渡辺選手が、史上最強学生ランナーであると思っています。

その理由は、何と言っても、その勝負強さ。私が記憶する限り、彼は、トラック・駅伝ともに、様々な大会で結果を出し続けていました。

おそらく、ブレーキになったことは、1度も無いと思います。

箱根駅伝でも、1年生で『花の2区』を担当した時の2位以外は、全て区間賞。更には、2年生時の1区、3年生時の2区では、2年連続での区間新記録を達成しました。

また、彼の魅力の一つは、強さとともに、ランニングフォームの美しさにあります。

私は、今でも、ランニングフォームのお手本として、彼の走る姿をイメージして走ることがあります。実は、昨日の練習時に、彼の走るイメージが、急に、自分の走りにフィットすることに気づき、この記事を書くきっかけとなりました。

大学卒業後、恩師の瀬古利彦さんが監督を務めるエスビー食品に入社し、アトランタオリンピックの1万メートル代表になりましたが、故障で出場出来ず、その後も、相次ぐ故障に悩まされて、マラソンでの実績を残せないまま引退したのは、何とも残念なことでした。

彼の高校〜大学と、結果を出し続けた栄光の代償が、故障という結果となって表れてしまったと考えざるを得ません。

現在は、住友電工陸上競技部監督を務めながら、主要な大学駅伝では必ずと言っていい程、解説者を務めている彼ですが、その選手心理やレース状況を的確に把握し、解説する観察力は、現役当時の圧倒的な強さの所以の一つだったのかもしれません。

今後も、彼ほどの選手はなかなか出て来ないと感じてしまうくらいに強かった渡辺選手。彼のランニングフォームをイメージしながら、3週間後の東京マラソンに臨みたいと思っています。


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