書きたい気持ちはあるけれど、書きたいことがないので、何かをつらつらと書き連ねてみます。<病んでるってなんだろう>
こんばんは。
三本目の記事になります。
病んでるってなんだろう
『病んでる』って、だいぶ幅広い意味で使われる気がしませんか?
心配症な人のことも、抱え込んでしまう人のことも、猟奇的な思考を持っている人のことも、どれも『病んでる』って言えなくもないですよね。
でも、『病んでる』の実態は全然違うもののように思います。
心配症な人は、自信がないのかもしれないし、被害妄想が強いのかもしれない。
『自信がない』と『被害妄想が強い』というだけでも、全く別の心の悩みになりますよね。
同じように、抱え込んでしまう人は、人をうまく信じることができないからかもしれないし、自分に対して無頓着で気づいたら崖っぷちなだけかもしれない。
猟奇的な思考の人は、私の想像力と理解力が足りなくてアレなのですが。
過去の成功体験が、たまたま猟奇的だったとか(?)
普通ではないことに興奮するとか(?)
多分、いろいろな要因だったり、タイプだったりがあるんじゃないかなって思います。
だから、自分の性格だとか、考え方の偏りなんかを、一口に『病んでる』ってまとめるのは、早計ではないかと思います。
じゃあ、自分の『病んでる』は、どういう実態なんだろう?
結局、心の問題みたいな、実態のないものの実態を捉えたいときは、心と頭を整理して、心のモヤモヤに適切な名前をつけてあげることが大切です。
しかし、人によって『整理の仕方』は様々です。
私の場合は、ほとんどが日記帳の中で解決している気がします。
紙とペンを使って文字を書いていると、不思議と安心するし、方程式を解くような気持ちで、心の問題の実態を解き明かせてしまうことが多いです。
ちなみに私の母は、話を聞いてもらうことで整理をつけるタイプのようです。
とはいえ、簡単なことではないです。
「心と頭を整理して〜」なんて言いましたけれど、自分の悩みの根底にあるものをいちいち気にして生きていたら、生きていけません。
キャパオーバーします。人生終了です。
私の『病んでる』が正にそれで、『気にしすぎる』タイプです。
まあしかし、『病んでる』がずっと続いていて、綿で首を絞めるような毎日を過ごしている人は一度、心と頭を整理して、モヤモヤに名前をつけて、すっきりさせてあげるべきだとは思います。
『病んでる自分』と懸命に付き合い続けてきた人なら、自分の考え方のクセだったり、どんな時に病みやすいかだったりが、なんとなく分かっているのではないでしょうか?
逆に、『病んでる自分』を「そういうもの」って受け流してしまっている人の方が、そんな病んでなさそうだったり、上手くやっていけそうに見えて、危険のような気がします。
とか、なんとか。
あくまでも、気にしすぎちゃう私の考えです。
自分と向き合うきっかけにでもなってもらえたら嬉しいなって思います。
よろしければ、サポートよろしくお願いします。 社会復帰に使う、なんて言いながら、きっと、私の人生を彩って、これからもnoteで言葉を紡ぎ続けるために使います。