死への保険
こんにちは。
前回の通院から2週間。今日もまた、通院日でした。
2週間前と比べて、少しマシかなぁくらいには心が落ち着いていて、将来に向けての話、お仕事したり、生活習慣の改善をしたり…みたいなことをお話ししてきました。
壮大な勘違い
私は去年の秋ごろ、OD(大量服薬)をして、救急搬送されています。
それ以前にも、運ばれるほどの量ではないにせよ、ODをしたことが何度かあります。
ODをすると、大抵は意識が朦朧とします。
意識がフワフワ。足元もフワフワ。
まるで、雲の上を歩いているような夢心地でした。
それと同時に来るのが、吐き気や動悸。
何も吐けない、嗚咽すらしそうにならないのに、とにかく気持ちが悪い。
唾すら飲み込むことができない。
指先や足先がどんどん冷たくなっていき、目の前が暗くなっていくような、息苦しさ。
耳元で聞こえる心音。破裂しそうな心臓。
死神が背筋をなぞってきたかのような、寒気と恐怖。
薬によっては、猛烈な眠気だったり、急激な体温変化だったりもあるようですが。
私も実際、そうなったことがありますが。
そうなる場合は、もう自分というものを掴んでいられないので、怖くもなんともありません。
さて、以前にも同じことを書いたかも知れませんが。
私の中では、『ODによる救急搬送』という経験が、何かの大会で優勝しただとか、高学歴だとか、そういうのと同じような『成功体験』として残っています。
一見異常としか思えない状態ですが、考えてみればごくごく普通のことで。
なぜなら、小中高と一つの学校に通いきり卒業したという経験を持っていないわけですし、習い事や部活で良い成績を収めたという記憶もありませんし。
たまたま、人生で初めてした成功が、『ODによる救急搬送』だったというそれだけのことです。
なぜそれが『成功』になったのか。
それは、私が「助かりたい」と望んで、薬を飲み、搬送され、病院で「助けられた」からです。
何かを願いあるいは望み、行動し、叶ったあるいは報われた。
ただそれだけのことです。
ね? 『成功』になってしまうでしょう?
でもそれは、壮大な勘違いでしかありません。
失敗も成功も、一生付き纏う
今まで色々経験してきましたが、一番上手く行ったのはやはり、『OD』でしたね。
大きな声では言えませんが、やはり、あの時の『OD』には救われたなと思っています。
実際、とても救われたわけですし。
もし、あの時死んでいたら、それはそれで救われていただろうし。
生きていても、今の私は「救われた」と思っているわけですし。
どちらにせよ、私の中では成功だったというわけです。
成功というものは、失敗と同じくらい、人の中に深く刻み込まれます。
一度した失敗を深く刻み込まれたのならば、二度としないよう慎重になるだろうし。
一度した成功を深く刻み込まれたのならば、それで得た達成感や自信などを糧にさらなる挑戦ができるでしょう。
私も19年生きてきていますから、いろいろな経験をしています。
しかし、どうしても、偏りが大きいのです。
なんの偏りか?と聞かれると、ちょっと困ってしまうのですが。
今のところ結果的に、成功が少なく、失敗の多い人生を歩んできました。
私の持つ『成功』と『失敗』は、ちょっと特殊なんだと思います。
『成功』であるはずのものが『失敗』になっていたり、
『失敗』であるはずのものが『成功』になっていたり。
いろいろなものの価値だとか意味だとか基準だとか、そういうものを全て、滅茶苦茶にしてしまっています。
そういう自覚は、あります。
あるけれども、根っこから狂ってしまっているのですから、どうしたらいいか分かりません。
保険
誰だって、『保険』をかけています。
記録を残したり、言い訳を考えたり、なんてものはありふれていますね。
私のかける『保険』も、失敗したときのための保険です。
具体的に何かと言いますと。
今まで飲まなかった・飲みわすれたお薬を、全て溜めておくことです。
もし失敗した時、私が確実に助かるように。
そういう保険です。
私の成功経験が『OD』なのがいけないのでしょう、おそらく。
もう少しマシな成功経験があれば、そっちに縋る事ができたと思います。
しかし残念ながら、ないのです。
ないのだから、仕方がありません。
もしも死んでしまったら
でも私は、一つだけ、保険をかけていない事があります。
それは、死んでしまったときのことです。
まあ、死んだらそこまでですし、どうしようもないのですが。
今のところ、遺書は書いていませんし、以前書いた遺書は全て燃やしたはずです。
強いていうなら、このnoteや日記帳が、私の遺書になり得るのかもしれませんが。
別に死のうと思って、遺書のつもりで書いているわけではありません。
ちょっとした息抜きと整理です。
生きるために、とも言えますからね。
解約したい
さて、私の手元には、それなりの量のお薬が溜まっています。
全て飲めば、本当に死ねるのかもしれません。
でも、できることなら、生きる道を選びたいです。
確かに私は死にたいけれど、生きたくないわけではないですから。
生きたいと思いたい、いつだってそう思っています。
せめて、「死にたくない」「生きたい」と、同時に思えるようになってから死にたいですね。
それすら思えずに死ぬのは、きっと悲しくて、寂しいことだと思います。
OD保険を解約する日は、訪れるのでしょうか。
よろしければ、サポートよろしくお願いします。 社会復帰に使う、なんて言いながら、きっと、私の人生を彩って、これからもnoteで言葉を紡ぎ続けるために使います。