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握りしめて離さない

こんにちは。

今日で7月も終わりですね。
毎月、今月が終わる頃には…と、何かしら考えてスタートしているはずなのですが、結局、変わるのは季節ばかりで、自分は何も変わらないまま。
でも、よくよく目を凝らして見てみれば、しっかり何かしらを積み上げてはいるはずで。本当にこれっぽっちも何もせず生きることは難しいですからね。

8月の終わりには、何か変われているかしら。


失うものの方が多い人生

約束された永遠なんてないことは、まあ当然のことですが。
せっかく手に入れたのなら、永遠を約束したくなることもまた、当然のことのように思います。

けれど、手に入れたものは、手に入れたと同時に、失うことが約束されています。どうしようもなく。

手に入れる分失って、また手に入れて、それも失って。
一見不毛にも思える、そんなことを繰り返して生きていくものです。

結局、手に入れて、失ったものと、今でも持ち続けているものとでは、圧倒的に前者の方が多い。
ほとんど何もかもは、儚いけれど掛け替えがあることの表れなのではないかなと思います。


それでも、掛け替えのないものはある

大抵のものには、『かわり』が存在します。
物はもちろん、人にだって、『かわり』が存在します。
なぜなら、『かわり』が存在するということ、掛け替えがあるということは、ある意味セーフティーとして機能するからです。

それがなくてはどうにもならないというものがあれば、その分、護らなければならないものが増えるということで、身軽さがなくなるということです。
掛け替えがあることを言い換えれば、依存していると言うこともできます。

だから、掛け替えがあることは、決して悪いことではないと思います。
でも逆に、掛け替えのない存在と出会えることは、何よりも幸運なことだとも思います。

生まれた瞬間に、敬愛できる両親に出会って。
今度は逆に、血を分けた弟たちの誕生の瞬間に立ち会えて。
学校で、友達ができて、恋人ができて、それがいずれ、掛け替えのない大切な存在へと変わって。

そんな彼らからもらった物、例えば、誕生日プレゼントは、世界で一つしかないオーダーメイド品よりも価値があるように思えて、これもまた掛け替えのないもの。

そういう掛け替えのないものは、掛け替えがないからこそ、いつか手放さなければならなくなるその瞬間まで、大事にし続けておきたい。
別れを後悔や悲しみで埋め尽くされてしまわないように、別れすらも感謝と愛情で満ちていて欲しいから、そのために今、全身全霊で大切にしておきたい。

いつか必ず「さよなら」を言わなければいけないのなら、さよならの前に「ありがとう」が言える自分でいたい。


握りしめて離さない

今、私が大切にしている掛け替えのないものたちが、この先もずっと、掛け替えのないもので在り続けるとは限りません。

物にはどうしたって寿命があるし。人は時間と共に変わっていくものだから、気づかないうちに心が離れていってしまうかもしれないし、些細なすれ違いが一生の別離になってしまうかもしれない。
別れの瞬間に、後悔するかもしれないし、笑顔でその瞬間を受け入れられるかもしれない。その瞬間ではなく、別れたずっと後になって、後悔するかもしれない。

それでも私は、きっとまた、掛け替えのないものを握りしめては、離さないと決意し、そのうち手からこぼれ落ちて、最後には忘れてしまう。
きっと、今までもこれからも、そんなことの繰り返し。

出会えば別れが、手に入れれば喪失だけが約束されたこの世界で、それでも掛け替えのないものを手にする理由は、自分の豊かさのためでしょうか。

自分を大切にすることよりも、自分の大切なものを大切にすることの方がいくらか簡単で。自分の大切なものを大切にするということは、『大切なもの』を通して自分を大切にすることに繋がっているのから。
その大切なものは、自分に意味や価値、笑顔、安心、幸福なんかを与えてくれるから。

今日もちゃんと、宝物を握りしめて、ちょっと重いけれど離さないで、ゆっくりゆっくり一歩ずつ、明日に向けて進んでいこう。

よろしければ、サポートよろしくお願いします。 社会復帰に使う、なんて言いながら、きっと、私の人生を彩って、これからもnoteで言葉を紡ぎ続けるために使います。