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人を不幸にしている自覚がある

こんばんは。

まだ実家にいます。
でも、当初の予定よりはほんの少し早く、自宅に帰ることになるような、気がします。

まあ、結局は気分次第なのですけれども。


近くて遠い

私と、3つ下の弟は、とっても仲が良いです。
歳が近いことと、家庭が崩壊していた時に唯一寄り添うことができた相手だったことが影響しているのではないかな、と思ってます。

簡潔に言うと、『価値観が近い』です。
まあ、同じ境遇で過ごしたわけですからね。

けれどもここで大切なのは、『価値観が近い』がイコールで『考え方が近い』にはならないということです。

私は打算で生きている人間なので、常に計画と予測を持って生きています。

分かりやすいところで言えば、進路についての見通しを、だいぶ先まで持っているだとか、見通しの雲行きが怪しくなれば、そうなった場合についての行動を考えるだとか、諦めたり切り捨てたりという判断が早いだとか。

とにかく、行動よりも先に、頭です。

一方で弟は、出たとこ勝負みたいな生き方をしているように思います。

進路について、これといった考えや希望を持っておらず、今がそれなりに楽しければいい、というか。
今を楽しむために、今何をしよう、みたいな。

弟の生き方には、これといった筋書きはないけれど、振り返ってみるとその時その時で何かしらに熱を注いでいるように思います。

まあぶっちゃけ、私よりも弟の方が社会で生きていく力を持っていますから、『遊ぶために稼ぐ』ができる分、私よりも人生を豊かにすることが簡単ではあるのかもしれません。

話が逸れてしまいましたね。
閑話休題。

ええと、何を書こうとしたんだったかな。

そうそう、価値観は近くても、考え方は違うって話でしたね。

正直、このことを上手に文章にできるだけの力を持っていないような気がするので、私の伝えたいことが正しく伝わるかは分かりませんけれど。

私と弟が同じ事象に出会ったとき、大抵は似たり寄ったりな捉え方をします。

けれど、例えば、その事象が自分にとって有害で、どうにかしなければいけない場合、私は回避する方法を考えますが、弟は解決する方法を考えます。

もちろん、場合によりけりではあるのですけれども、そんな感じです。
ふんわりとイメージが伝わってくれれば。

ここまで書いて思ったけれど、もしかしたら、根本的に。

『回避』と『解決』、どちらの方が自分にとってラクな手法なのかという根本的な部分に、大きな差があるのかもしれませんね。


んびんて

さて、価値観の話をしましょう。
私の価値観は、世間一般とはズレているのだろうな、と思っています。

そう思うこと自体がズレていると思うし、そう思っていながらどうにかしようとしないこともズレていると思います。

どうにかしない理由は簡単で、これ以外に、自分が生きる道を知らないからです。

色々な天秤が、逆さを指します。

天邪鬼。

心が動くべきことに心が動かず、心が動かなくていいことに心が動きます。

もしかしたら、大抵のことには何も感じないくらいの鈍感で、人が気づかないことに気づけてしまうだけなのかもしれませんけれど。

まあ、どっちだって良いのです。

肝心なのは、人と価値観がズレてるがために、普通はやりずらいようなことを平気でできてしまうという部分です。

切り捨てる、みたいなやつ。
何かを諦めること、辞めること、逃げること、などなど。

自分の気持ちを切り離そう、みたいな思考も、この価値観があってこその行動かもしれませんね。


私の価値観と思考は、人を不幸にする

私は、人を頼ることよりも、人に頼られることの方が多いです。

なんでかはよく分かりませんけれど。
強いていうなら、自分が人を頼ることが苦手だから、必然的にそうなっているのだと思います。

けれど、人から何かを相談されたあと、一人になって振り返った時、「あんなこと言ったけど、あの人にはできないだろうな」あるいは、「あの人にとって、その行動は本当に“良い”のか」みたいな。

そういうことを言う場合、大抵は「私だったら」と前置きしたあとに言うのが私のクセなのですけれども、その「私だったら」って、マジで「私だったら」で。

一人反省会で考える通り、私だったらできても、あの人にはできないし。
私だったら全く後悔しないし、もしかしたら、傷つかないどころか、心が動かないまであり得るし。

私って、マジで冷たい。

冷たい人間の出す結論って、影響は影響でも悪影響を与えそうですよね。

自分の助言通りにしたせいで、その人自身の価値を落とすことになるかもしれないし、その人の価値観を揺るがせてしまうかもしれないし。

『解決』と『回避』なら、ほぼ確実に『回避』を選びますし。

嫌なら辞める。
飽きたら変える。
疲れたら休む。
無理なら諦める。

自己中の極みだと思ってます。

悪魔の囁きと天使の囁きに翻弄される、みたいなので言うなら、完全に悪魔ポジションですよ。

恐ろしいね。


人を不幸にしている自覚がある

ズレた価値観と、『回避』が基本の思考。

たったそれだけなのかもしれませんけれど、人を不幸にするには十分な材料だと感じます。

こうして自分で意識していないと、無自覚に人を不幸にしてしまう気がするんですよね。

無自覚に悪魔。
そうならないためのこれ。

それは言い過ぎでも、まあ、自覚したいという気持ちは確かにあります。

その一方で、自分の持ってるものとして、なかったものにはしてしまいたくないという個人的な感情もあります。

悪魔の囁きをしてしまうくらいなら、心の中にしまっておいた方が穏やかではありますから。
言わなければ、自分以外の誰の記憶にも残らないわけですし、自分自身も、言わずにしまったものはそう遠くないうちに忘れてしまいますし。

遅くなってしまった。
また近いうちに。

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