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2021/03/19『小さな世界で大きく生きる』

こんばんは。
1週間お疲れ様でした。

今日の私は、午前中は施設へ、午後はハローワークの相談窓口的なところへ出かけていました。

午前も午後も、そこそこに濃い時間を過ごすことができました。
出かける場所、話せる人がいる生活って、豊かなものです。

午前中。
今日のプログラムは、外部から講師を読んでのワークショップでした。

コミュニケーションスキルを高めるためのワークショップ、みたいな。
ゲームをしたり、発表をしたり、書いたり、読んだり、暗唱したり、言い方を変えてみたり。

私って、話たがりで、知って欲しがりで、伝えたがりで、知りたがりで。
結果的に、私の言葉は情報量がとてつもないものになってしまうことが多いような気がします。

簡潔に答える、ということができないというか。
ポジティブに会話を楽しんでしまうので、情報のやり取りをするだけのつまらなさに耐えられないのでしょうね。

それに加えて、言葉が出てきやすくて、組み上げるのもそこそこ早くできてしまう。
たくさん話しているつもりはなくても、自然と情報量の多い言葉が完成してしまうのだと思います。

ある意味ではコミュニケーション能力が高いだろうなと思うし、ある意味ではコミュニケーション能力が壊滅的だとも感じます。

あれです、TPO的なね。時と場所と場合でしたっけ。
それをちゃんと掴んで、簡潔さを求められるときは簡潔に、分かりやすさを求められる時は分かりやすく、面白さを求められる時は面白く、全てを伝えるべき時は全てを。
そういうふうに対応できてこそのコミュニケーション能力でしょう。

午前中の話終わり。

午後は、まあ、仕事探しについての相談事をしてきました。

どんな仕事に就きたいのか。
どんな仕事ならできそうなのか。
そのために何が必要なのか。
今できることはあるのか。

そういう相談をしていました。

私、話すことは大好きですが、それ以上に聴くことの方が大好きです。
自分の神経には限りがありますから、色々なものからどれだけ何かを感じ取ろうとしても、結局は自分が感じ取れる範疇しか感じることができません。
それはきっと、とても狭い世界なのだろうなと思っています。

けれど、相手の話しを聴いて、相手の心に触れることで、自分にはない神経を借りることができるというか。
同じ世界を全く違う感じ取り方をしているということを、少なくとも認識することができます。

認識できるというだけで、相手が感じている感覚を自分も感じることができるとは限りませんが。
それでも、ほんの少しだけ、神経が広がっていくと思うのです。

要するに、違う見方ができるとか、そういうことです。

それで。
せっかく人話すことや、話を聞くことが好きなのだから、それが活かせるような職につきたいな、なんて話をしてきました。

仕事はまだ怖さがあるから、初めはボランティアくらいがちょうど良いのかな。
無資格で始められて、やりながら学んでいけたらいいな。
とりあえず、こういう講習を受けてみるといいかもしれない。

そういう話をしてきました。
実りが多い。

私って、自分の生い立ちに対して否定的だと思います。
後悔している訳ではないですよ?
ただ、受け入れることができないというか、重みを感じられないというか。

だから、今の私は何も持っていなくて、これからの私のためにゼロからスタートするしかないって、思っています。

資格も、学も、経験も、知識も、何も持っていない。

好きなものと、嫌いなものと、得意なものと、苦手なものと、こころの病気くらいなら持っているかな。
持っているのは、そういう、私という器だけ?

でも、好きと得意さえ持ってれば、思いの外生きていける気がします。
好きも嫌いも、得意も苦手も、何もかもどうでもよくなってしまっている方が、なんていうか、色味のない人のような気がして。

色味がなければ、きっと割り切って生きられるのでしょうけれど。
私は、割り切って生きることが嫌いで苦手ですから、好きと得意でどうにかうまく生きていく方法を見つけて、生きられる世界を見つけて、その中で大きく羽ばたきたいなって思います。

小さな世界で大きく生きる、ってね。

今日は疲れているから、構成が雑ですね。
まあ、日記ですし。なんて自分を甘やかすから、良い記事を書く力がいつまで経っても身に付かないのでしょうけど。

毎日これくらいの時間に投稿したいですね!
用事のある日は、日中に書いてしまうってのもなかなか良い生活スタイルだったな。
やりやすいように、今後も細々と続けていきますよ。

それではおやすみなさい。

よろしければ、サポートよろしくお願いします。 社会復帰に使う、なんて言いながら、きっと、私の人生を彩って、これからもnoteで言葉を紡ぎ続けるために使います。