2021/02/22『仕事って怖い』
こんばんは。
毎日毎日、日付だけのタイトルだとどうしても、読む人がいませんよね。
せっかく書いたのだから、読んでもらいたい。
読んでもらうためには、やっぱりタイトルって大事。
というわけで、今日からは日付の後ろにタイトルをつけておこうかなと思います。
いつもならば、タイトルは書き始める前につけておいて、それから内容を執筆していく方式だったのですが、流石にこういう先の見えない記事を書く時にその方法は取れないので、記事を書いてからタイトルをつけることになる…と思います、おそらく。
さて、まだちょっと早いですが、いつものを書き始めましょう。
今日は待ちに待った平日!…って、なんかおかしいですね。
クリスマスや誕生日ならまだしも、平日って。
毎日を待ちに待っているみたいで、素敵ではあるのかもしれませんが。
いや、一周回って、頭の中お花畑みたいですね。なんか馬鹿っぽい。
まあとにかく平日だったわけですから、いつも通り、施設へ行ってきました。
今日は面談の予定が入っていたので、プログラムを受けずに面談だけして帰ってきた感じです。
そういえば、プログラムっていろいろな種類があって、授業みたいなやつは楽しいけれど、仕事の練習みたいなやつは、どうにも緊張してしまって。
私って今まで、快く仕事をしたとか、仕事をして幸せになったとか、そういう経験がとてつもなく薄いんですよね。
だから、仕事をすること自体に恐怖を感じてしまっている部分があるのだと思います。
いや、この言い方だと少々飛躍しすぎていますね。
こんなことを言うと、「甘えるな」と一蹴されてしまうかもしれませんが、仕事をして暮らしが豊かになることよりも、仕事をして心が壊れること、仕事をして体が切り傷やアザでいっぱいになっていくことの方が、私にとっては当たり前なんですよね。
誰かに何かを言われるとか、誰かに暴力を振るわれるわけではなくて、私が私の心を追い込んで、私が私を切って、私が私を殴るんです。
何故かって?
自分を脅せば、頑張らざるを得なくなるからです。
逃げようとする自分に罰を。
頑張れない自分に罰を。
弱い自分に、仕事ができない自分に罰を。
どうしても、私にとって仕事をするということは、できなかった場合に罰を与え、罰を受けるということが前提になっている、ような気がします。
本当は、そんなふうに気負う必要はないはず、なんですけどね。
頭では分かっているんですけれども。どうしてそうなってしまったのでしょうか。
それから、仕事をしているとどうしても、自分が歪んでいくような心地がします。
レジ打ちバイトをした時は、お客さんが来るまでその場で立って、大人しく待っている、ということが苦痛で苦痛で仕方ありませんでした。
荷物を箱に詰める軽作業は、同じようなことの繰り返しに飽きてしまって投げ出したくなったり、無性に自分を傷つけたくなったりしてしまいます。
唯一、良かったなという仕事の経験は、塾の先生ですかね。
自分の能力不足に目を瞑れば、『学び』についての話をするのは大好きでしたし、人それぞれの学び方(中学生に数学を教えていたので、解き方が色々だったり、得意不得意がはっきり分かれていたり)がとても興味深く、自分にとっても学びが多かった印象です。
まあでも、今の私は高卒ですからね。
塾のバイトなんてそうそう見つかりません。
このまま、仕事ができない人として生きていくしかないのかな、って。
時々、ものすごく不安になります。
もし自分のできる仕事が見つかったとしても、仕事をする上での不快感と闘いながら仕事をするんだと思うと、だったら死んだ方が幸せだなって。
根本的に、仕事への心持ちが歪んでいるのは分かっています。
それから、些細なことで自分を傷つけたくなってしまうことや、自分を罰せなきゃという強迫観念のようなものも、本来あるべきでないものでしょう。
あと、自分が傷つくことへの恐れがあまり強くないところもおかしい。
もう少し正確にいうと、自分は傷ついて当然の人間だと思っているような、自分を大切にしようとしない部分が、唯一、自分の嫌いで、自分に失望していて、自分を気持ち悪いと感じているところでもあります。
そりゃまあ、痛いのも苦しいのも嫌ではありますよ、人並みには。
でも、そもそも頑張れないのは私なんだからって、
傷ついて当然だから、平気で自分を追い込めるし、切れるし、殴れるんでしょう。
怖いし、苦しいし、痛いし、当然嫌なんですけど、それすらも当然だから仕方ないと諦めがついているんですよね。
なんだか、似たようなことを違う言葉でつらつら書いてしまっただけになってしまいましたが。
まあ要するに、仕事ができない言い訳です。
この、仕事に対する恐怖心って、どうにかなる日が来るのでしょうか。
よろしければ、サポートよろしくお願いします。 社会復帰に使う、なんて言いながら、きっと、私の人生を彩って、これからもnoteで言葉を紡ぎ続けるために使います。