見出し画像

2021/02/28『何を選んだって苦しい』

こんばんは。
余裕を持って書こうと思っていたのに、弟たちとゲームをしていたらこんな時間になってしまいました。

ちょっと失敗。
でも楽しかったから良し。

昨夜の予告通り、ここ1ヶ月を振り返ってみようかなと思います。

今月、本当は、色々なことがありました。
ちょっとプライベートなことになってしまうので、全てを書くことはできなくなってしまうのですが、本当に、色々あった。

その色々から学んだこともたくさんあります。

どうにもならない現実はどうにもならないとか。
何をしたって報われないこともあるとか。
頑張ったからって見返りがあるとは限らないとか。

どれも、同じことですね。

壁にぶちあったて、壁を乗り越えることがどうしたって不可能で。
それでも、どうにか、その壁を乗り越えたくて、もがいて足掻いて全力でしがみついてみたけれど、結局、どうにもなりませんでした。

悔しいなんて思えませんでした。
そんなことを思えるような気力なんて余っていなかったから。

ただただ、虚しかったですね。
自分は無力なんだと、たくさんの人から、色々な形で思い知らされました。

自分に呆れました。自分の人生が嫌になりました。
生きていることに嫌気がさして、死にたくなりました。
それでも、やっぱり、諦めたくない自分もいて。

今だって、私の中で葛藤しています。

やりたいことがあって、それをやるためには、きっと想像もつかないほどの苦労をするだろうと目に見えています。

諦めること自体は、簡単なことかもしれません。
けれど、諦めても諦めなくても結局、同じくらいの苦しみを味わうだろうと思います。

何を選んだって、無力で臆病な私には、人並み以上の壁があって。
それが、目の前の選択によってどうこうなるなんてことはありませんから。

だったら、自分がやりたいと思える道を進みたいですよね。
ただでさえ、生きることに執着できなくて、生きることが怖くて、生きていく自信がないんだから、その上楽しくない人生なんて送ってしまったら、その時こそ私は死んでしまうような気がします。

ほら、私って、知的欲求と探究心の塊で、快楽主義ですから。
楽しくない生き方と、つまらない生き方と、刺激のない生き方はできない生き物ですし。

楽しくて、飽きなくて、刺激的で。
道中いくらマイナスになっても、結果的に快楽があれば釣り合いは取れる。

まあ、多少苦しいくらいならどうにかなるでしょう。
陽の当たる中では今が最底辺だと思っていますから、この先どれだけ落ちたとしても、陽の当たる世界ではここが限界。
暗い世界なら、まだまだ下はあるでしょうけれど、そもそも住む世界が違うのですから、今のような耐え難い苦しみとは少し違う。

疲れている頭だと、オブラートで包んだ言葉を並べるのは難しいですね。
ただただ実態のつかめない何かにしかならなくて。

明日からは3月。明日からは新しい1週間。
楽しいことがありますように。

おやすみなさい。

よろしければ、サポートよろしくお願いします。 社会復帰に使う、なんて言いながら、きっと、私の人生を彩って、これからもnoteで言葉を紡ぎ続けるために使います。