衰えも成長

 私が小さな頃、母に「人が死ぬ時はどうなるの?」みたいなことを聞いたことがあります。
 その時の答えも覚えていて、「赤ちゃんは生まれてから、ゆっくり色々なことを分かっていくけど、じいじばあばになると色々なことが分からなくなっていって、死んでいくんだよ」みたいなことを言われました。

 小さな私は、とても純粋で単純で、疑うということを知らなかったので、それが本当のことだと思っていましたが。今思えば、「わからない」と答えるのが正しかったなぁって感じがします。
 経験のないことは分かりようがありませんからね。

 でも最近は、それもあながち間違ってもいないのかな、と思いつつもあります。
 今日はそういうお話です。

わからなくなるという病

 以前、祖父の認知症がゆっくりと進行しているという記事をかきました。確か、今年の年明け頃だったと思います。
 それから、気づけばもう7月も半ば。私のように若い人間からすれば、長いとも短いともいえないような時間ですが、80を越した祖父にとっては、あっという間かもしれない。ゆっくりとはいえ侵攻していく病にとっては、もっとあっという間かもしれない。

 たった半年程度で…と感じるくらい、祖父の認知症は進行しています。レントゲンを取れば脳の萎縮が見て取れるし、テストをすればはっきり結果が出る、日常生活の中でも「おかしい」と感じる出来事が増えてきました。


ずっと燻ってはいた

 とはいえ、この半年で一気に加速したと感じるだけで、3年以上前から、違和感のようなものは感じていました。私でさえもそうだったので、医療従事者の母はもっと前から感じていたと思うし、ここまに至る中でも私以上に敏感に、何かを感じる瞬間があったようです。

 誰かの役に立つかは分かりませんが、一応、どんなことがあったのかをお話ししてみようと思います。

 最初に私がやばいと感じたのは、3年ほど前に私が救急搬送されて、実家で静養しろと医師から言われた時です。その頃実家は、引っ越し作業の真っ最中で、とてもゆっくり休める環境ではなかったため、祖父母の家で静養することになりました。1ヶ月くらい、祖父母の家で過ごしていたので、日々な様子がはっきりと分かりました。
 日々の生活は、なんら変わらずといった様子でした。ご飯もお風呂もトイレもできるし、私との会話も普通です。奇行のようなものは全くありません。よく行く場所なら、迷うことなく車で行くことができますし、毎日欠かさずウォーキングをしています。
 でも、車で、ファミレスに行って、スーパーで買い物して、家に戻ってくると、ファミレスに行った記憶がなくなってしまうんです。単発で、ファミレス行って帰ってくるだけなら問題ありません。複数箇所に寄ると忘れてしまうようでした。帰ってきて車から降りた直後、「ファミレスには行ったのか?」と聞かれたので、おかしいぞ?と感じました。

 これはやばいと感じたし、早めの対処で健康寿命が延ばせることは何となく知っていたので、母に相談しました。相談して、検査を受けに行った方が良いということも伝えました。
 その後、簡単な検査を受けてみたところ、結果があまり良くなかったらしく、詳しい検査を勧められました。しかし検査当日になって、祖母が「こんな検査受けることなんて、誰も望んでいない」と、検査を受けることを拒否させてしまったようです。
 その後も、説得自体は続けていたものの、効き目がなかったというか、祖母が頑固すぎて母が参ってしまったというか。とにかく、また検査を受けようだとか、薬を飲んで進行を遅らせようとか、そういうことができずじまいでした。

 しかし病は、それで終わってくれません。
 今年の年明け、祖母の家でお祝いをしたのですが、ご飯を食べ終わってすごろくをすることになりました。祖父の提案です。昔から私たち孫が楽しめるように、色々と工夫を凝らしてくれる祖父だったので、それ自体には違和感はありませんでした。
 一通り遊んで、残念ながら私は一番になれませんでしたが、それでも祖父はすごろくが楽しがったようで「もう一回!」と子供のようにおねだりしてきました。この行動が、なんかおかしいんです。それから思い返してみれば、すごろくをしてる時も、やたらテンションが高い様子でした。母はすぐに違和感を感じたようですが、私は、珍しくみんなが来ていたのでそこまで心配しなくていいんじゃない?と思っていました。

 でもこれは、明らかな異常だったかもなとも感じます。そして今になって、あの時もう一度、検査を受けて薬を飲んで、という対処ができていれば、少なくとも今、こうはならなかったかもしれないと、後悔することになるのです。



 きっかけは、数日前にかかってきた祖母からの電話でした。私の実家にかかってきて、ちょうど帰省してきたタイミングだったため、私が応答しました。するとどうやら母に用があって、母でないと話せない内容だったらしく、私には何も言ってくれませんでした。
 母の仕事が終わった頃に電話をし、祖母から電話があったことを伝えました。母から祖母へ電話をした直後、母から電話がかかってきて、憔悴した声で「じいじの認知症、やばいかもしんない」と一言目。詳しくは、祖父が「金を出せ」と暴れていて手をつけられない、とのこと。母は急いで祖父母の家に向かうことになりました。その後、祖父を病院に連れていくという電話がかかって以降、これから帰る連絡まで音沙汰無し…まあ、あまり心配はせず、目の前の自分達のご飯のことだけ考えて、三兄弟気ままに過ごしていました。

 帰ってきてから詳しく聞くと、きっかけは祖父がお財布を失くしたところから始まったそうです。祖父は祖母対し、「お金がない」「お金が欲しい」みたいなことを言ってきたので、祖母は1000円を渡しました。それでもまだ同じことを言うので、もう1000円渡しました。でも、祖父が欲しいのは、"お金"ではなく"お財布"なわけです。それが上手く伝えられなくて、さらにはもらった1000円をどこかに置いて、置いた場所も忘れてしまって、それを祖母に責められて…で、分かりやすく言うとケンカになってしまったわけです。
 母は着いてすぐに祖父の話を聞いて、失くした財布がどんなものなのかを聞きました。すると、黄色いことと、長財布くらいの大きさなことを教えてくれました。とりあえず、祖父がよく使うかばんを持ってきてもらって、その中に入っていた黒い二つ折り財布(当然、長財布よりは圧倒的に小さい)を見つけ、これ?と聞いたら、そうだと答えたみたいです。
 うーん、、、おかしい。でも確か、祖母の使っている財布が黄色い長財布なので、お財布と言われてパッと思いついたのがそれだったのではないかなと思います、あくまでも私は。本当のところは分かりません。

 その日の出来事はそれだけではありませんでした。
 母が着いて、お財布が見つかって、とりあえず病院へ行きたいけれど、テーブルには夜ご飯が。少しでも何かおなかに入れてからの方が気持ちも落ち着くだろうと、食べてから行くことになりました。
 しかし、食べ始めてすぐ、祖父が泣き出してしまいます。どうしたの?と聞くと、歯が痛いと答えました。見ると、下の前歯が全てブリッジになっていたようで、それが全てぐらつき、明らかに痛い状態だったそうです。今に始まったことなはずがないし、逆に今までどうやってご飯を食べていたんだって話ですよね。
 我慢していただけかもしれませんが、もしかしたら、痛いということに気付いて居なかったなんてこともあったかもしれません。これって極端な話、深く切った、強く打ち付けた、火傷した、骨折したとかでさえ気付かない可能性があるわけですよね。命を脅かすというか、どストレートに危ないことだと思います。

 さらにさらに。
 祖父母をつれて病院から帰る車の中で、母が「もう大丈夫だからね」と声をかけると、泣き出してしまったようです。あまりにも泣くので、気を逸らそうと「ここ、どこだか分かる?」と聞くと、「わからない」と。
 しばらく走ってるとよく行くスーパーが見えてきたので、「〜スーパーだよ」と教えると、「ここは知ってる」とすぐに上機嫌に。しかし通り過ぎてしまうと、またすぐに泣き出して…と、ずっと涙が止まらない様子だったそうです。
 感情の起伏が激しくなっていたり、制御が上手くできていない感じがしますよね。単に冷静になれなくなっているだけかもしれないし、分からないことが多すぎてパンクしてしまっているのかもしれない。何にせよ、普通ではなく、健康ではない状態だと思います。


何ができるか

 今までやってこなかったことを憂いても仕方ありません。もう取り返しがつかないので。
 大切なのは、今何ができるか、です。

 ベストなのは、母や伯父が実家に戻って介護をすることだと思います。しかしそれは現実的ではありません、それぞれにはそれぞれの生活がありますからね。
 じゃあ、それぞれの生活に支障をきたすことなくできることは何かと言われれば、私は『訪問看護』や『訪問介護(ヘルパー)』を入れることだと思います。

 実は私自身も、訪問看護とヘルパーの両方を利用しています。認知症ではなく、精神障害で利用しているため、細かい手続きや使い方は違うと思いますが、大枠だけ説明します。
 訪問看護は、健康面のお手伝いをしてくれます。会ってお話をして、必要ならば体温や血圧などを測ったり、お薬の管理(飲み忘れの確認や、お薬カレンダーへのセット)をお手伝いしてくれます。
 それに対しヘルパーは、生活面のお手伝いをしてくれます。掃除、洗濯、料理など、お家の中の家事はもちろん、買い出しも行ってくれます。家族のおむつ替えや、ペットの世話、植物の水やりなど、本人以外のお世話に当たるものはできません。
 利用するためには、市役所に直接相談するのが一般的ですが、かかりつけの病院から申請できる場合もあるようです。申請時、家庭訪問のようなものがあり、たくさんの質問をされるのですが、それによりどれくらいの援助が必要かを審査されます。月何時間まで、支援者さんが入れますよと決められるわけですね。申請してから結果が出るまで、確か1ヶ月〜1ヶ月半くらいかかったと思います。その後、担当者さんとの契約があり、顔合わせをして利用開始になるので、初回利用までに2ヶ月くらいかかる気持ちでいた方が良いかもしれません。

 祖父は、現時点で既に、かなりやばい状況です。できることならすぐにでも、訪問看護を入れたいくらい。どうしてここまで引っ張ってしまったんだろうと、たとえ自分にできることがほとんど無かったとしても、悔しくなります。
 祖母についても、まだ認知症は入っておらず、記憶はしっかりしているのですが、性格が極端になってきました。知らず知らずのうちに周りを振り回す感じの、厄介な人になりつつあるような感じです。祖母にも看護が必要かなと感じます。
 欲しいと感じた時点で申請では、遅いんです。明らかにおかしいと感じてからの病院では、遅いんです。違和感を少し感じた時点で通院を考えて、違和感が増えてきたら即通院、それと同時に看護を入れることを考える、それくらいのスピーディーさというか思い切りの良さというか、そういうものが必要だと思いますよ。


喜ばしい成長ではないけれど

 老夫婦2人の生活は、やはりどう頑張っても限界があるんですよね。祖父母本人たち、とくに祖母は気づいていないと思いますが…。
 帰省したら必ず会いに行く程度の私でさえ、元気がなくなってきたと感じるし、ここ数年は救急搬送されたり、入院したりを繰り返しているので、身体も心配です。

 もう、何十年も今の生活は続かないと分かってるからこそ、数えるほどしか残されていない季節を大切にしたいし、限られた時間を良いものにしたい。
 これっぽっちも親孝行できていないけれど、会える時に会うくらいの孝行はできるから。

 とても長くなってしまい、丁寧な記事に仕上げられずすみません…。全部スマホでかいたので、かきにくいわ読みにくいわでもう、大変でした。

 みなさんも、おじいちゃんおばあちゃんに長らく会っていないようでしたら、これを機に、何もなくても会いに行ってみてください。
 そして、おじいちゃんおばあちゃんでこの記事を読まれた方は、お子さんやお孫さんに電話を一つかけるだけでもしてみてください。
 あわなければ何も、はじまらないから。

よろしければ、サポートよろしくお願いします。 社会復帰に使う、なんて言いながら、きっと、私の人生を彩って、これからもnoteで言葉を紡ぎ続けるために使います。