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『I love you』を令和の日本語で
夏目漱石が、『I love you』という英語を、『月がきれいですね』という日本語に訳したという話は、誰もが一度は聞いたことのあるお話だと思います。
私は、中学2年の時に英語の授業で、先生から教わりました。
学校で行われる英語の授業では、意味はそのまま日本語にするのが当たり前だと思っていた中、こんなにも詩的な表現があるのかと、少しだけ驚くとともに、どこかすっと心に馴染む心地がしたことを覚えています。
実話ではないかも
『月がきれいですね』と検索をかけると、色々なサイトが出てきます。
読んでみると、どうやら、本当に夏目漱石がそう言ったという根拠が残っているわけではないようです。都市伝説のようなものみたいですね。
誰が言い始めたかは定かでないにせよ、誰かが言い始めたのは事実なわけですからね。『I love you』を『月がきれいですね』と訳す方が、どこか現実味のある会話になる時代があったのでしょう。
また、『愛してる』という直接的な表現よりも、自然と同じ感情を共有できるシチュエーションを経験することが愛情表現だったのかもしれないとも感じます。
何にせよ、素敵な表現ですから、私は結構好きだなと感じます。
『死んでもいいわ』
こちらは、本当にごく最近知ったことなのですが。
『月がきれいですね』に対し、べたな返答として『死んでもいいわ』というものがあるそうです。
言い始めたのは小説家で、二葉亭四迷(ふたばていしめい)さんが、『片恋』という作品を翻訳した際に生まれたものだそう。
文脈的には、「(私はもう)あなたのものよ」というセリフを、全て捧げるという意味合いからか、「死んでもいいわ」と。
『月がきれいですね』
『死んでもいいわ』
令和時代の『I love you』
夏目漱石が亡くなって、もう100年以上の時が流れています。
そのため正直、『I love you』を『月がきれいですね』と訳すのは、この令和の時代に合ってないのではないかなと思うのです。
個人的に、令和時代の日本語訳としては『ありがとう』が適切なのではないかなと思います。
現代では、誰もが、好きな人に『愛してる』と言える時代になりました。
しかし、簡単に言えるようになってしまったことで、薄っぺらい愛情や中身のない言葉も、簡単に飛ばせるようになってしまったような気がします。かつては言い難いからこそ高級な言葉でしたが、言えば愛が伝わるという手軽さから誰もが手を伸ばした結果、昔と比べるとずいぶん安い言葉になってしまったわけです。少しだけ寂しい。
少なくとも『月がきれいですね』と訳した人は、『I love you』が特別な相手に贈られる特別な言葉として、解釈していたと思うんです。口先だけで言える言葉でも、薄っぺらい感情で贈れる言葉でもなかったと思うんです。
とても高尚なものだったのではないかな、と。
それで私は、『ありがとう』がしっくりくるなと感じました。
もう少し正確に言うならば、何かをしてくれたことに対する感謝の『ありがとう』とは少し違って、”存在の肯定”や”存在の感謝”、”敬愛”に近いですね。
あなたという存在に感謝しています。
あなたの全てを肯定します。
あなたは私にとって尊いものです。
ありのままのあなたを愛しています。
そういう、何かの見返りではない、ただの”贈り物”としての『ありがとう』です。
ふと、恋人との会話で、『愛してる』はよく言うけれど、ちゃんと『ありがとう』って伝えれていたかな?と思ったことがきっかけ。友人や家族に対しても、肯定する気持ちや、感謝の『ありがとう』はよく言いますが、真に敬愛のこもった『ありがとう』を言えてないような気がしてしまって。
自分の感情を伝えて、相手の感情も伝えられて、それでお互いを満たし合ったつもりになっているだけの、愛情のキャッチボールみたいな。キャッチボールでは何も満たされませんよね。
ちゃんと敬愛を伝える機会って、思いのほか少ないです。最近はSNSの普及により、人間関係も薄く広くになってきましたからね、そういう深い感情を抱くことさえ稀になってきたように思います。
ですから、令和のこの時代にとって、心のこもった『ありがとう』は少しだけ高尚なものではないかなと思います。
この機会に、少しでも『ありがとう』の輪が広がりますように。
他に良い現代語訳がありましたら、コメントで教えてくださいね!
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