見出し画像

夏目漱石『こころ』を読む 第0回

突然ですが、夏目漱石の『こころ』という作品をご存知でしょうか?

高校の現代文でよく扱われる作品の一つですから、題名くらいは耳にしたことがある人が多いと思います。

もし題名を知らない人でも、『夏目漱石』を知らない人はほとんどいないと思います。

一昔前の千円札の人です。

それから、『吾輩は猫である』の作者でもあります。

ちょっと親近感が湧いてきましたでしょうか?


どうして読もうと思ったの?

私は高校2年時、不登校をしているので、国語の授業で『こころ』を読む機会を逃してしまいました。

それがずっと心残りで!ですかね。


どうして記事にしようと思ったの?

高校の授業で『こころ』を読めなかったから、去年の冬ごろ、全部読んだんですよ。

それで、ひとまず私の心残りは消えました。
本当に素晴らしい作品だった。


でも、読んでる途中に、授業で扱われる部分はほんの一部だってことを知ったんです。
ほんの一部とは言えど、そこそこに長いのですがね…。

全部読んだから分かるのですが、そこだけを切り取っても一つの物語として成立していると言うか、完成しているともとることができるのです。

だからこそ、教科書ではそこが取り上げられているのだなぁと。


しかしやはり、全て読んでみると、見えるもの・感じることが変わってくるのではないかと思います。

だからこそ、『こころ』という作品を知ってほしい。授業で習った人にも、全文を読んでほしい。
欲を言うのならば、一緒に読む仲間が欲しいです。

これが記事にしたい、一つ目の理由です。


もう一つは単純に、挑戦ですね。

『こころ』という作品は、短い章がいくつも連なって、一つの作品になっています。

1日1〜5章くらいのペースで読みながら、記事にする。
そうすることで、深く読み解くことができ、『こころ』という作品を広めることにもなる。一石二鳥。

ちなみに、順調に読み進めて記事にすることができれば、2,3ヶ月くらいかかるかと思います。

もし最後まで記事にすることができたら、私にとって良い経験になります。自信にもつながるし、私の中で何かが変わるかもしれません。

『こころ』という作品と、『自分自身』というものに、何かを期待しているのです。
期待しているからこその、挑戦でもあります。


『こころ』って、どんな作品?

前置きが長くなってしまいましたね。

せっかくの第0回ですから、『こころ』という作品をざっくりと説明したいと思います。


正式には『こゝろ』だそうです。
一般的には、現代仮名遣いで『こころ』と表記されていますが、同じ作品です。

作者は『夏目漱石』

彼は、俳人として有名な『正岡子規』と仲が良く、『漱石』というペンネームは、子規のペンネームのうちの一つを譲り受けたそう。
「漱石枕流(石に漱〈くちすす〉ぎ、流れに枕す)」から取られており、意味は変わり者といったところでしょうか。
普通、流れている水で口をすすぎ、石を枕にして寝ますからね。


では作品について。
まず、この作品は、『上』『中』『下』の三部から成る作品です。

上巻は、『先生と私』
私が先生と出会い、ゆっくりと親しくなっていきます。しかし、先生は何かを隠していて、それを一向に明かそうとしない。それでも何故か、私は先生から離れる気にはなれない。
そんな先生と私、二人の時間、二人のやりとりが描かれた部分です。

中巻は、『両親と私』
実家の父の容態が悪化したと電報が入り、私は遠い実家へと帰ることになります。
しばらくの実家暮らし。父の容態も、良くなったり悪くなったりを繰り返すものですから、帰るに帰れず。先生にも会えません。
そしてついに父の容態が急変し、本当に亡くなるかもしれない。そんな時に先生から手紙が届き、それが遺書だと気づくのです。
私は急いで東京行きの電車に乗り、そこで先生からの手紙を読みます。

下巻は、『先生と遺書』
先生から私に向けて送られてきた遺書です。
書生だった頃の先生の境遇と、先生の下宿先の女将さんとお嬢さん、それから先生の友達のKとの間に起きた事件。
現代文の授業で読まれているのは、この『下巻』の部分だそうです。


だいぶうろ覚えだったので、Wikipediaと飛ばし読みとで埋め合わせてみましたから、本当は全然違うかも。(え

まあこれから読むわけですし、いいとしましょう。(雑)


それから、調べていて初めて知ったのですが。

『こころ』という作品は、『彼岸過迄』『行人』という作品に続く最後の作品・第3作目のようです。
三部作の一つだったのですね!

『彼岸過迄』『行人』も読んでみたら、また何か違ったふうに『こころ』を読み解くことができるようになるかもしれません。


では今回はこの辺で。

よろしければ、サポートよろしくお願いします。 社会復帰に使う、なんて言いながら、きっと、私の人生を彩って、これからもnoteで言葉を紡ぎ続けるために使います。