鳶の子は鳶で、鷹は鷹からしか産まれない
なんだかよくわからない何かに絶望しています。
もはやこれが通常運転です。
私は私のことを、とても執着的で、吹けば飛ぶくらい貧弱で、ほとんど全てに期待できず絶望していて、焼け野原な心を持った、少なくとも人未満の化け物か何かだと思っています。
ですので今日もいつも通り、私の絶望をかき殴ろうと思います。
どうして普通にできないの
中学生以降の私は、母に何度もこの言葉をかけられていました。
当然ですが決して、温かい意味で”かけられていた”わけではありません。どちらかと言えば、私に対する失望と怒り、こうあって欲しいという願い、別の言い方をすれば理想の押し付けと言った方が近いです。
何が普通ではなかったのか。
私はよく、学校へ行くのを渋る子でした。
これは別に、中学生から始まったわけではなくて、私が記憶している限りでは小学生の頃も多少ごねたことがありました。
あまり、学校が好きではない子だったんですね。
それ自体は決して珍しいことではないと思います。誰にでも、一度や二度、経験のあることだと思います。
まあしかし、中学の頃は、少し度を越して嫌がっていたんですね。理由は、なんとなくクラスの居心地が悪かったとか、その程度のことだろうと思いますが。
私が登校を渋るたび、母は「どうして普通にできないの」「学校へ行くのが当たり前」と言ってきました。それ以外も、何か悪さをして怒られたとか、悪戯の度が過ぎていたとか、そういう時にも言ってきましたね。
当時は当然のことながら、普通にできない私が悪いと思っていましたし、今でも、少なくとも、自分にも非があるとは感じています。
決定的な違いとしては、今の私ならこう言い返すところですね。
「じゃあ、なんで私の家族には父親がいないの?」
「普通にして欲しいのならば、普通の家庭を作ってから言ってくれる?」
「どうしてお母さんは普通にできないの?」
主観は常識ではない
私はずっと、私は責められて当然のことをしているのだと思い込んでいました。
登校を渋ることも、うつ病になったことも、仕事を辞めたことも、今も仕事ができないことも、何もかも全てが私のせいだと思っていました。
普通にできない私が悪くて、上手にできない私が悪くて、しんどくなる私が悪い。
家なら母に、会社なら上司に、怒られるのは私なのだから、私が悪いという思考になるのは当然ですよね。
あらかじめ言っておくと、根本的に私が悪いというのは、本当のことだと思います。何か、やりようはあったはずなのに、しなかったのも、できなかったのも、私だからです。
それに、私が悪くないとしたら、自分の人生に対して、自分は何もできることがなかったという、とても虚しいお話になってしまいますからね。
前置きをした上で、少なくとも、”何もかも全て”が私のせいだとは言い切れないと、思えるようになりました。
人は誰しも、育った家庭や、その途中で属した社会に大きな影響を受けます。それはもちろん私も例外ではないし、誰もが例外ではないでしょう。
ごくごく自然で当然のことです。
だからこそ、私がそうなるに至るまでの道のり、家庭や、保育園・学校などの社会において、何かしらの影響を受けていたはずです。
特に私は、家庭から、良くも悪くも大きな影響を受けていると自覚しています。少なくとも、PTSDを発症できる程度には影響されていますからね。
まあPTSDの話はだいぶ逸れてしまうので置いといて。
私の母はよく、私たち兄弟に対し、母の主観でものを語り、母の主観で良し悪しを決め、普通を押し付け、それを『怒る』という形でぶつけていたと思います。言葉の選び方がひどいですが。
何が良くて何が悪いかは、地域や文化、所属する集団、時と場合なんかの様々な要素によって変わりますよね。
公共の場で身包みを剥がすのは犯罪ですが、心肺停止していてAEDを装着するためならば犯罪にはなりません。極端な例えをするならばそういうことです。
それを母は、自分の快・不快という天秤や、最近ストレスが溜まっているかどうかによって、言っていることも態度も、何もかも全てが変わります。
余裕があれば寄り添ってくれますが、余裕がなければヒステリーを起こします。私が救急搬送されたことで母が呼び出された際、ヒステリーを起こされて、自分は母にとって邪魔な存在なんだと感じ、心の底から生まれてこなければ良かったと思ったり、死にたくなったりしたことがあります。
母はそういう人なわけです。最近気付きました。
そういう人に、18年間育てられていたということです。
そういう人だと気づかずに。
つまり何が言いたいかというと、私が今まで怒られて、自分自身を責めてきた経験の中にも、母の勝手な匙加減や、母個人のストレスに振り回されていただけのことがあった、かもしれないということです。
実際は、私が感じていたほど悪くはなくて、母が間違っていたこともある、かもしれない。
私が私なんだ
少し話が巻き戻りますが。
親が子に対して言う「どうして普通にできないの」って、すごく凶悪な言葉だと思うんですよね。
これが、「こうしたらいいんじゃない?」とか、「それは〜だからあなたが間違っている」とかだったら、程度はどうであれ、相手の行動の否定をしているだけで済みます。
しかし、「どうして普通にできないの」という言い方をすると、要するに「あなたは普通ではない」という人格否定や存在否定に繋がると思うんですよね。
何が普通ではなくて、どんな言動がいけなかったのかを咎められれば、論理的に”どうしていけないのか”を理解することができます。咎める側はピンポイントで改善点を伝えられるし、咎められる側は間違いがはっきりしているので何をなおせば良いのかが明確になります。(どうなおせば良いのかは別として。)
漠然とした『普通』という言葉を用いてしまうと、自分というぼんやりとした大枠そのものを否定されたような気持ちになります。何がいけなかったのかも分かりにくく、自分を良くするために自分を変えるというよりかは、相手に喜ばれるにはどうしたら良いかという、ご機嫌取りをするしかなくなります。不快にさせたら「普通ではない」と一蹴されてしまうので。
だから、「どうして普通にできないの」ってすごく身勝手な言葉だと思っていて。「私の考える普通に合わせて行動しなさい」と言ってるのと変わらなくて、それは要するに「私のご機嫌を取りなさい」と大差ありません。
普通という幻想に夢を見るのを辞めていただきたいですね。
今、目の前にいる、実在している、相手をちゃんと”見て”、と。
相談するだけ無駄、期待するだけ無駄
そういう母を相手にしていた私が辿り着いた先は、『自棄』の境地でした。
普通になるためなら手段を選ばない人間になりました。
普通でない私は見てすらもらえない、認めるかどうか検討する価値すらない存在なのだと思っていたので。
仕事を続けるためにオーバードーズ(OD)をするようになったし、会社のトイレでリストカットするようになりました。
表面上、”普通”に仕事を続けていれば、中身がどれだけチグハグでボロボロでも、それは”普通”に見えるのでなんの問題もありません。
壊れないことよりも、傷つかないことよりも、私という存在に何かしら価値があって、認められることの方が大切でした。
承認欲求の化け物だったわけです。
でもこの方法には一つ問題があって。
仕事をするためにODやリストカットをしていることはもちろん、色々なことに悩んで通院していたことさえ、相談できないということです。自傷する人は”普通ではない”し、”普通の人”は通院の必要も無いので。
否定されていることが目に見えているから、相談しなくなりました。自分の内面がどんな状況でも、どれだけボロボロでも、相談すれば傷ついて終わるだけ、結局、母の機嫌を損ねないようにご機嫌取りをして、もっと心を擦り減らすだけ。
母に、助けを求めるだけ、理解を求めるだけ、認められることを求めるだけ、無駄だと感じるようになりました。
それは何も、母に対してだけではありません。
学校に通いきれなかった私を信用するだけ無駄、仕事探しをしたり、施設に通所したりしたけれど、結局ダメだから、そんな私に期待するだけ無駄。
何もかも全てが無駄。求めるだけ虚しく、一人で勝手に傷付くだけ。
一方で、自分を変えられるのは自分しかいないとも思っていて。
結局のところ、私は、私にしか期待できないくせに、私にすら期待できなくなってしまいました。
矛盾していて気持ちが悪かったので、おそらく私は後者を取ったのだと思います。つまり、期待するなんて馬鹿馬鹿しいからやめたというお話。
焼け野原の心。
何もかも全てに期待するだけ無駄。信じるだけ無駄。
何も返ってこないし、何も得られないし、何も残らない。
期待することからさえ逃げた弱者
何かに期待していれば、ほんの少しだけ、視野が広くなります。
期待した眼差しで世界を見ているから、ほんの少しの小さな希望を見落とさず、捉えることができるからです。
でも私は、そんな最後の希望・期待からでさえ、逃げ出しました。
これ以上、虚しい思いをしたくなかったし、傷付きたくもなかったし、苦しくなりたくなかったし、悩みたくなかった。
絶対に満たされない代わりに、少なくともこれ以上悪くはなりようがないと思っていました。
しかし現実は、ほんの少しだけ違って、優しくて。
私がこんなになってしまっても、ちゃんと私を見てくれる人はいるし、私を分かろうとしてくれる人もいる。ありのままの私を、認め受け入れてくれる人もいる。
ひびだらけになって、とても何かがたまる状態ではないのに、ずっと何かをそそぎ続けてくれる人がいる。
期待するだけ無駄だと思っていた世界は、期待しなくても応えてくれました。
誰もが自分の生きる場所を選べる
少なくとも、私の生まれ育った家庭は、私が健やかに育ち、笑って生きていける場所ではありませんでした。それは今もそうだし、この先ずっと変わることはないでしょう。
子どもの頃はどうしたってそこから逃げられないし、家庭をそれしか知らないから、それを当たり前だと思って育つものです。その子にはなんの非も無く、ほんの少しだけ不運で、ほんの少しだけ神様の機嫌が悪かっただけ。
日本の神様はとても個性的で、結構人間臭いですからね。
でも、育っていけば、人の居場所は必ずしも家族の元とは限りません。
学校に居る時間のほうが長くなる人、部活で汗を流す人、図書館に通い詰める人、友人の家で過ごす人、一人暮らしをする人、バイトに精を出す人、ネットで浅く広い校友を持つ人。
もっと育っていけば、仕事を選んで、会社に属して、昇進したりしなかったり、悩んだり悩まなかったり、転職したりしなかったり。
私のように、うつ病で仕事ができなくなるケースはそこそこいると思いますが、それが年単位で続くことはあまり多くは無いかもしれませんし、福祉サービスにどっぷりお世話になることはもっと稀かもしれません。
どんな形であれ、それが今の自分の生きている場所です。
それは、良くも悪くも自分で選んだ場所で。
明日、来週、来月、来年も、居続けるかどうか、悪くいえば甘んじるかどうか、自分で決めることができます。
すごく当然のことですが、思いの外、忘れがちになったり、そもそも気付けていなかったり。
新しい理想的な居場所が天から降ってくることは絶対にありませんからね。
もしかしたら、大人っていうのは自分の居場所を自分で選べる人のことを言うのかなとか。
そこに付随する責任も含めて、自分はどうしたいのかと、どうするべきかのバランスをとって、妥協したり押し通したりする人。
自由には責任がつきものです。
ところで『自由』って、基本的に煌びやかで希望に溢れたイメージがありますが、ほんの少しだけ、とてつもなく濃い絶望を帯びていますよね。
誰かに「自由にして」と言われたら、好き勝手して良いとも捉えられますが、全責任を個々人に押し付けられているわけで。誰かに危害を加えたら「やりすぎだ」と怒られるし、何もしていなければ「やる気がない」と切り捨てられることもある。
ニュアンスが少しだけ、「普通にして」と似ていますね。
私は今、この文章をかいた瞬間、少しだけ『自由』という言葉が嫌いになりました。
話を戻して。自分の生きる場所を選べるお話でしたね。
ここまで、散々母を蹴落とすようなお話ばかりしてきましたが、どう頑張ったって、私の遺伝子の半分は母から、半分は父から受け継いでおり、多少のランダム要素があって私の器が創られ、さらにそこへ環境というランダム要素が加わって、私という人格が創られました。
誰だって、言ってしまえばそんなもんで、奇跡のように見えて、実のところあまりにもありふれた、つまらないお話。
鳶(とび)の子は鳶で、鷹(たか)は鷹からしか産まれない。
そういうことです。
どうやら鳶は昔から、死肉や生ごみを漁ることから、いやしい鳥だという認識があるようです。逆に、鷹は生きた動物を自分で捉えて食べるのが一般的のようです。だから『鳶が鷹を生む』という諺は、鳶の方が鷹よりも劣っていること前提なのでしょう。
だとすれば、私の母は間違いなく鳶で、その子である私も間違いなく鳶。
どう足掻いたって、鳶の私は鷹にはなれません。
鷹にはなれない代わりに、私は鳶として生きることができます。
市街地で死肉を貪って生きながらえることができます。やろうと思えば狩りもできるでしょうが、毎日毎食、動物を捕食している鷹には敵う気がしませんね。
しかし、野生の動物でさえ、自分が闘うフィールドや相手、自分が生きる場所を選ぶことができ、そうして長い時間・長い時代にわたり、命を繋ぎ続けています。むしろそれが、生物的に正しくて、居心地の悪い場所に無理やり居続ける人間の方がおかしいとも言えるのかもしれない。
鳶や鷹にできて、人にできないはずがないと信じたい。
まあ、私は人っぽい何か、或いはただの化け物かもしれませんが。
人になりきれないのならそれなりに、死肉でも漁って生きてやろうと思います。鳶を見習っていきましょう。
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