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一蹴したい厚意

こんばんは。
今週は、久々に自宅に帰ってきて、色々ゴタゴタとしていました。
まだ落ち着かないし、疲れも取り切れてないし、生活習慣も崩れ気味ですが。ゆっくりと戻していけたらなと思います。


体調

体調は、まあ、かなりましにはなりました。
でもやっぱり、続いています。

動くと特にひどくなるのですが、動く前、「これをやろう」と少し気を張る感じのタイミング、その時にじわじわと痛み始めます。
それで、何かをするためには大抵動くから、脈が上がって、息切れして、痛みも増して…という感じです。

昨日、何もないと分かりつつも病院へ行ってきて。
まあもちろん、何もなかったのですが。

やはり、ストレスや不安など、気持ちからくるもの、自律神経が乱れているんだろうと言われてしまいました。
これという原因を、普通の病気のように的確に伝えることも、効くお薬を出してあげることも、なかなか難しい、と。

とりあえず今は、今の私ができる、一番負担の少ない生活をしているような感じです。
とにかく、大人しく大人しく。


大丈夫、大丈夫

現在進行形で、明らかに体調がおかしいのですが。
肉体的にしんどくても、精神的にしんどい感じはあまりしていないんですよね。
だから、気持ちが原因ですと言われても、いまいちしっくりこないし、何に対してどういう対策ができるのかもよく分からない。

大丈夫、大丈夫。まだ平気。
もうちょいいける。平気、平気。
大丈夫。

一つ一つの「大丈夫」は確かに、大丈夫なものだったのかもしれませんが、その量が多すぎたのかなぁ、とは思います。

色々なことに対して、神経質になりすぎていて、しっかりしなきゃと責任感のようなものを感じていて。
何もかもにつけて、「頑張れ」「頑張らなきゃ」「頑張ろう」「頑張れば大丈夫」「大丈夫だから頑張れる」と思いながら生活をしていたような気がしますね。

無理なことを「無理」と言えない代わりに、「大丈夫です」「頑張れます」と言い続けてしまっていた感じ。
普段の私ならできることも頑張らなきゃできないくらい、自分の心身を『+α』のための頑張りで削りすぎてしまった感じ。

こうやって体がおかしくなってくれた方が、ある意味分かりやすくて助かるんですけどね。心の傷や疲れって、なかなか目には映りにくいものですから。
もちろん、困ってはいますけど。こうやってでもいいから気づけないと、気づけないままもっと自分を追い込んでしまったかもしれないから。
それに比べたら、まだ良いほうかな、って。


大丈夫じゃないよ

私の中で、「頑張れって言われたら頑張れるけど、できれば頑張りたくない」と感じた場合、私は「何もしない」が正解だろうと感じます。

私は私を怠け者だと思っていますが、多分、私が思うほど怠け者というわけでもないと思います。
むしろ、本物の怠け者だったら、自分をここまで追い込めないと思います。

だから、私の「できれば頑張りたくない」は、意訳すると「頑張ると体が壊れる」ということ。私自身も、周りも、私を頑張らせてはいけない時なのだと思うことにしました。

問題は、その「頑張れない」を、どうやって伝えるか、ですよね。

すごく疲れていても、それなりに笑って元気っぽく取り繕うことは得意です。心配をかけるのが嫌いで、あんまり気持ちを表に出さないように…みたいな。

そのおかげで、周りからは軽視されやすいんですよね。
「とりあえず行ってみたら」「ちょっとだけ頑張ってみれば」って。
でも、そうじゃない。もう既に私は、これ以上頑張ったら体が壊れる寸前くらいまできているから、背中を押さず「休め」と言ってくれ。

「とりあえず」とか「ちょっと」とか言われたら、ちょっとと言わずやり切ってしまうから。それがダメだから。

私は、黒白はっきりしてて、今日は休む!今日は頑張る!と、メリハリがついている方がやりやすいんです。
「明日やるかどうかは、明日決めればいい」と言われると、その夜は「明日は頑張るんだ」という気持ちで寝るわけですよ、一応。

だから、全然休まらない。

現時点、例えば前日とかに「やらない」と決めることさえできたならば、少なくともその夜は「明日はお休みだ」と思って、心身ともにリラックスして休めるわけです。
私は、私を休めたいんです。体も心も、私を疲れさせる色々な要因から解き放って、休ませてあげたいんです。

自分の体調が、分かっているようで分かっていないからこそ。
「ちょっと」とか「しんどくなるまで」とか、そういう頑張り方が得意ではなくて。「やる」か「やらない」かをはっきりさせて、やるときはちゃんとやって、やらない時は何がなんでもやらない方が、スッキリとします。

黒白はっきりしていなければいけないという意識は、時として自分を苦しめます。
でも、少なくとも、今の私の場合では、黒か白のどちらかしか偏れないわけですから、それを「頑張る」方向に偏らせすぎると壊れるんです。
だから、壊れないようなバランスで、「頑張る」と「頑張らない」を選ぶしか、今の私にはできません。

そこで、「ちょっとだけ」というグレーなことをやらせようとすれば、私の中では「頑張る」という片方に寄り切ってしまいます。匙加減ができないから。
加えて、今の私は、「ちょっとだけ」ができることよりも、頑張れない時に「頑張らない」を選べることの方が、大切だと思っています。

私の選んだ「頑張らない」を、安心して伝えられて、「分かりました」と言ってもらえる関係性というか。
私の選択以上の何かは、正直なところ、いらない。

私のサポートをしてくれる人たちには、ちゃんと伝えた方が良いことだと分かりつつも、向こうも悪気があって「ちょっとだけ」と言っているわけではないし、むしろ「ちょっとだけ」を選べるようになって欲しいからこそ言っているのかもしれないけれど。
私は私を優先したい。だから、その厚意は一蹴したい。


文章ではかけるのですがね。口ではなかなか言えないんですよ。
言葉になっているのだから、あとは言うだけ、あと一歩だと思うんですがね。
その一歩こそが、私の中で「頑張らなきゃ」になるんです。

結局私は、思っていても言わない、見えていても見ぬふりをする。
それが、一番しんどい。

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