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毎日霧の中

 仕事のことから逃げる毎日です。
 今は、なんの仕事もしていないし、施設へ通所もしていないし、今後の通所予定もありませんけど。

 だからこそ毎日、自分が進めているのかよくわからなくはなりますね。

就労準備性

 12月、バイトを見つけたけど気持ちの面でしんどくなりすぎて、もうすでに辞め終わったのですが。
 その直後、通所する施設を探していたんですよね。

 でも、そういう時にする行動って、衝動的というか、後先をちゃんと考えられていないというか。
 半分は自棄で、残りの半分は自責みたいな、結構危険な状態で行動していたように思います。

 2箇所ほど見学をして、どちらの施設でも、就労準備性が欠けているのではと言われました。
 主に精神面ですね。家事は半分趣味のようなものですし、運動もしていてある程度の体力はありますし、仕事の経験はほとんどないので実際上手くいくかは分かりませんが、問題解決能力自体は高い方ではないかなと思っています。
 仕事をする能力は足りているだろうし、生活もそれなりに回していけます。それでも、実際に『仕事』をすると、とてつもない自責に駆られて、本当にどうしようもなくなります。

 そういうところへの対処ができない、という意味で、「就労準備性が不足している」という認識は間違っていないと思います。

今は何も考えたくない

 それでもまあ、最近はそれなりに元気でやっていると思います。
 薬を少し増やしてもらって、ヘルパーの時間も伸ばしてもらって、色々なものの手を借りてではありますが、元気になりつつあります。

 ちゃんとご飯を食べれているし、スケートもぼちぼち再開し始めました。今週はたまたま、ゲームのイベントが多かったので、ゲームもめっちゃやってます。配信とかもしてます。
 かなり活発でとても良い感じ。

 よくないところを挙げるとすれば、生活リズムが夜型に偏ってるところでしょうか。
 やはり、夜にちゃんと寝て、日中活動する方が、生き物としてはいい感じのような気がしますね。睡眠時間は十分でも、日中、変な眠気に襲われることが多いですし。

 それさえ良くなれば、もう少し、気分的にも体調的にも安定すると思います。

 でも、正直なことを言ってしまうと、今は何も考えたくないですね。考えたくないから、夜型生活も直そうって気にならないし、気の向くままに生きさせてって感じ。

 生活リズムを整える目的って色々あると思うんですけど、少なくとも今は、通所とかを視野に入れるための行動がしたくありません。通所先とか、どんな仕事に就きたいとか、そういうことを考えたくない。逃げたい。
 もっと自分勝手なことを言ってしまうと、そういうことを頑張ったあと、今のところ100%の確率で体調を壊しているので、健康を取り戻すためにかかる時間が割に合わなすぎるからそんなことはしたくない。

 頑張ってみて、仕事ができて、ちょっと金銭的に幸せになったとしたら、それって見返りのある頑張りですし、まあいいんじゃないかなって思うんです。
 でも私の場合、ほとんどは見返りを得られる前に潰れます。潰れて、健康を取り戻すための努力をすることになります。今までの経験だと、短くても半年くらいはかかりますね。
 その間、趣味のやる気は出ないし、家事は面倒だし、毎日なんのために生きてるか分からなくなるような日々が続きます。とてもしんどい。

 まあ今回は、ゲームはできていますがね。ぶっちゃけ、ゲームだけです。最近、家事はヘルパーさん頼りなところありますし、スケートも気分が乗らないことが多い。

 そうなるかもしれないとわかっていて、それでもいいからやってみようと思えるのは、ものすごく勇気のいることだと思うんですよね。
 だからそういう意味では、年末にバイトしてみようと面接を受けてみたり、運よく採用されたから頑張ってみようと思ったりできたのは、かなりすごいことだと思っています。

 自分が壊れるかもしれない、その先でなんの見返りもないかもしれないって思いながら頑張れるって、少し気が狂っている。

安心して頑張れる環境、やり方

 少なくとも私は、私を安心させる方法を知りません。不安にさせる方法ならいくらでも知っていますし、自分をぶち壊すやり方もいくらでも知っていますが。
 そういうやり方は、持続可能性がゼロなわけです。SDGsが叫ばれるこの世界で、自身の持続可能性さえ守れなければ、何も守れないと思います。

 だから、そのへんに関しては、お薬の力を借りる必要があるかもしれないし、支援者の力を借りる必要があるかもしれない。
 直接的に心に働きかけることばかりではなく、家事の支援という形で助けられるのも有効かもしれない。

 私を中心とした、支援者のネットワークというか、そういうものを広めて、私個人がしっかり言葉を交わして、信頼関係を少しずつつくっていって。まずは『安心して生活できる状態』が必要かなと思っています。

 言うのは簡単ですが、実際やってみると、支援員はいつでも連絡がつくわけではありませんし、お薬は望んだ通りに現実を歪曲できるわけではないので、上手くいかないことの方が多んですけどね。
 ひたすらトライアンドエラーの繰り返し。ここまでで既に、十分時間がかかるというのに、この先の方が長いんだから、人生って残酷。

 安心して生活ができれば、次は、『安心して”頑張れる”状態』作り。
 支援はそのままか、少しプラスするような形で、今の私なら、通所施設を探して通所するとか、そんな感じですね。看護と介護にプラスして通所、って感じ。

「NO」が言えて当然

 私にとっては、経験上仕方なく失われた能力と言わざるを得ないのですが、辛い時に「辛い」、しんどい時に「しんどい」、無理な時に「無理」、できない時に「できない」、嫌な時に「嫌だ」が言えるのって、人間として当然だと思うんですよね。

 というか、言うべきですよね。
 少なくとも、我慢をし続けるべきではないし、我慢をするとしても、「辛い」「しんどい」と言っている自分を、自分が無視をする必要はありません。どこかしらで吐き出していいと思うし、その気持ちを自分が認めてあげることは、とても大切だと思います。

 私は多分、そこがぶち壊れていて、自分が自分を無視してしまうというか、自分の気持ちを殺してしまうというか。

 そういうところが、「就労準備性が不足している」と言える部分だと思います。
 というか、就労に関してというより、それはもう健康とは言えないと思っています。明らかに病的でしょう。

 経験上仕方なくと言いましたが、本当に仕方なくだったんです。
 元々、ちゃんと「しんどい」も「辛い」も言ってきましたし、「嫌だ」も言えていました。あまりにも、軽視されたり無視されたりしすぎて、どうでもよくなっちゃった。

 あまり自信がないので、その「しんどい」や「辛い」も、本当にそうなのか、ただただズルをしたいだけなのではと、自分を信用できていなかったのも原因かもしれません。辛い気持ちを「おかしい」と言われれば、「ああ、私はおかしいのか」と理解するような、悪い意味で流されやすい人間でした。
 怒られれば、自分が間違っていたと、自分さえも自分の敵になってしまったので、私の心は逃げ場がありませんでした。私にとって一番身近な私が、敵なのですから。

 時間をかけて失った『NO』と伝える力を、今更になって、「無理しないでね」「自分を大切にして」って形で否定されるんだから、人生ってとても理不尽。私の心を返してって思う。

太陽も霞む、霧の中

 全てが手探りで、なんの見通しも立たない人生。
 希望の光さえも見失いそうな、深い深い霧の中。

 霧に囲まれた時は、霧が晴れるのを待つか、霧を抜けるまで突き進むか。
 究極的には、この二択。

 今の私はお休みを選びます。霧が少しでも晴れるのを待ってみよう。
 もう少し体調が良くなったら、またゆっくり歩き出してみようかなって思います。

 澄んだ世界を夢見て。

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