突破口が掴めても、突破できるとは限らない
こんにちは。
療養生活を続けている私にとって、祝日というものは活動しにくいですね。
思いつきで出かけようにも、やっていない場所もありますから。
もっと言ってしまうと、最近はだいぶ意識するようになりましたが、土日というものも不便に感じていました。
理由は同じく。
とはいえ、私が出かける場所といえば、病院とスーパーと。
最近できた習慣で、図書館くらいのものですかね。
図書館通いの生活は良いですよ。
お金がかかりませんし、図書館は居心地が良いですし、新たな出会いがたくさんありますから。
突破口を掴む
仕事をしたい。
最近は、こればかり考えています。
こういうことを言うのはどうかと思いますが、数ヶ月前までは、働かなければいけないくらいなら死んでしまいたいとばかり思っていましたけれど、最近はそうでもなくなってきました。
働くことに対して前向きになれるようになってきた、ということなのでしょう。
こういう感情の変化って、起こってしまえばなんでもないことのように感じますけれど、そう簡単に起こるものではありません。
現に私は、仕事を辞めてから10ヶ月、休職も含めると1年以上もの時間を『療養』と言いつつぐうたらと過ごしていました。
嫌なことも辛いこともなければ、楽しくも嬉しくもない。
そんな生活をずっと、飽きもせず、続けていました。
もはやそこまでいくと、堕落の才能があるような気がしてきますよね。
まあしかし、私は運が良く、仕事をしようと思わせてくれるような出来事がありました。
正確には、仕事をしようと思わせてくれたわけではなく、考え方を少し転換させてくれる出来事、だったのですけれど、結果的にそのおかげで仕事に向けて前向きになることができました。
私と仕事
一見すると良い傾向のように思えますが、私をよく知る人、特に身近な友人や恋人、家族、それから私自身も、少なからず不安を抱えています。
不安というよりかは、単なる心配って人もいますけれど。
まあとにかく、私が働くことに対して、否定的ではなくとも、肯定はし難いわけです。
懸念があるわけです。
私は今まで、『働く』ということについて、成功したことがありません。
バイトも含めて。
具体的に、レジ打ちはパニックを起こして3日で辞めましたし、エンジニアはうつ病で辞めましたし。
もう一つ、少しだけ塾講師もやったことがありますが、人が足りない時にヘルプに行く程度で、体感的に働いていたという感覚が薄い。
塾講師を成功とカウントしたとしても、レジ打ちという一般的な業務や、エンジニアという専門業務は、私にはできないんだなぁという極端な解釈をしてしまえるわけです。
ヘルプ程度の仕事しか、できない。
まあ、それならそれで、その程度の仕事を探して、その程度の仕事をすれば良いでしょうという話なのですけれども。
稼ぎにならなきゃ、意味がないんですよね。
私がもし働き始めたら
そうそう、懸念の話。
私の母が私によくいうのは、「崩れられるのが一番怖い」です。
それはつまり、極端な話だと、もう一度ODするとか、自称するとか、そういうのが当たり前の生活に逆戻りすることが怖い、ということでしょう。
まあ、おそらく母は、単に、またぶり返すのが怖い、程度の意味で言っているのだとは思いますけれど。
私は仕事をしていた時、出勤が辛ければ、自分を殴りました。
手を、腕を、頭を、たくさん殴りました。
壁や床に叩きつけたりもしました。
爪で皮膚を掻き毟ったことも、刃物で切ったことも、フォークで刺したこともあります。
自分が傷つけば傷つくほど、自分を脅す材料になりました。
自分を脅して、奮い立たせる。
昔話。
私は、中高と、学校へ行きたくない日が何日もありましたが、そんな私を母は怒りました。
たまに、ヒステリーを起こされることもありました。
仕方なく、私は、泣きながらでも学校に行ったわけですけど。
そんな状態で学校に行って、私は何ができたんでしょうね。
もう、覚えてすらいませんが。
学校へは行かなければいけない。
会社へは行かなければいけない。
どんな状況でも、何があっても、そうしなければいけない。
私には、そういう呪いのようなものがかかっていたのでしょう。
ですから、自分が壊れるまで無理をすることも、壊れた自分を制御することも、当然のようにできていました。
むしろ、私は、それ以外の方法を知りませんでした。
今も、知りません。
どこまでが『頑張る』ということで、どこからが『無理』なのかが、私には分かりません。
だから、どれくらいまで頑張っていいのかが、分かりません。
「頑張れるだけ頑張れ」と言われたら、きっと私は、もう一度自分を壊すでしょう。
私が持つ、仕事に対する懸念は、それです。
突破できるとは限らない
働きたいと、思えるようになった。
だからと言って、まともに働けるとは限りません。
むしろ、働き始めてからの方が大変でしょう。
きっと、問題なんて、いくらでも出てくる。
それに対し私は、どう対処するのでしょうか。
何がなんでも、また『壊れる』ということだけは、回避しなければなりません。
しかし私は、その回避の仕方に、皆目検討もつかないのです。
どうして誰も、教えてくれなかったんだろう。
それとも、そんなこと、教えられなくても勝手に学んでいくことなのでしょうか。
結局、私が生きにくいのは、私のせい、なのでしょうね。
だから、私が自分で助かるしか、ないのでしょう。
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