不幸じゃダメなんですか
こんばんは。
もうすぐで2021年も終わりです。
今年のまとめみたいな記事は、また来週にでもと思っているのですが。
まあ今日も、そんな感じの記事になってしまうのかもしれない。
あまり前向きではない方の、今年のまとめ、みたいな。
前向きな記事は、来週かけると思うから。
ひたすら報われない
今年は確か、専門学校に行きくかフィギュアスケートをしたいと思ったところからスタートしました。
どちらも頓挫しました。
まあ、当然ですが。
あと、去年から今年の頭にかけて、ひたすらバイト探しをしていましたね。
何十件も応募して、そのうちのいくつかに面接へ行って、全て落ちました。
そんな感じで、結構どん底のスタートだったと思います。
いくら頑張っても報われないとか、ひたすらにご褒美のない人生だとか。
そういう、ひねくれたことばかり思っていました。今でも思っています、ちょっとだけ。許して。
まあそれで、何をするにも体力をつけるところから始めましょうということで、施設への通所がスタートします。
それが、7月終わり頃まで続いて、身体をぶっ壊して、救急車で運ばれたり、帰省したり、戻ってきたと思ったらまた救急車で運ばれたり、帰省したり、ヘルパーの利用を開始したりして、どうにか今日まで生きてきました。
身体がしんどかったのの8割は、薬が体質に合っていなかったからっぽいのですが、精神的なものもゼロではなかったと思います。やっぱり、どうしても。
心と身体は切り離せないんだなぁって。
帰りたい、帰りたい場所に、それはどこ?
夏から最近になるまで、ずっと、心も身体もしんどかったです。
本当に、しんどかった。
本音を言えば、何度も実家に戻ることを考えた。
だって、一人暮らしが成立しないんだもん。
お風呂に入れなくなって、買い物に行けなくなって、料理ができなくなって、トイレへ行くのも息が切れるような毎日に、心がポッキリいかないはずがなくて。
でも、私には帰りたい場所がないんですよね。
いや、帰りたい場所はあるけれど、そこは、帰れる場所ではないんですよね。
『家でぐうたらされていると、働いている自分がバカらしく思えてくる』
何度も何度も何度も何度も、私が中高生の頃、不登校気味になった時から言われ続けている言葉です。
私は母に歓迎されない。
働けない私にとって、実家は居場所になり得ない。
だから、どれだけしんどくても、ひねくれても、壊れても、狂いそうでも、一人暮らしで踏ん張るしかなくて。
安心して帰れるのなら、帰りたかった。
でも、まあ、帰らなくて正解なのかなとも思います。
実家のある静岡県浜松市は、都会ほど福祉が充実していないので、私が社会復帰しようと思っても、手厚いサポートが受けにくいですし。
長い目で見れば、一人暮らしにはちゃんとメリットがあるんです。
ただ、報われようのない今の時期が、ひたすらにしんどいだけで。
どうにもならないことは、どうにもならない
最近になって身体がラクになったのは、薬が変わったからだと思います。
前述した通り、私の身体に猛烈に合わない薬を飲み続けていたから、身体がしんどくなったのだろうと思っていますし。(補足すると、体調を崩し始めた時期と薬の飲み始めが、ぴったり当てはまってます。逆に、薬を辞めて体調がラクになったし、実際血圧や心拍数が下がりました。)
こういう、明らかな外的要因があって、それを取り除くことが容易な場合って、人生においてほとんどないよな、と思います。
薬でしんどかった時期は、確かにしんどかったんですけど。それでも、それを取り除くだけでどうにかなるのなら、全然大したことにはならないなと、今になって思います。
どうにもならないこと。
自分以外の誰かの気持ち・考えだとか、家庭環境だとか、それに付随する経験だとか、病気だとか。
心の病気って聞くと、「なるのは本人のせいだ」と思いがちですけど。
風邪とか癌とか認知症とか脳梗塞とかって、あまり「本人のせいだ」とはなりませんよね。
ふと、理不尽だなと思いました。同じ病気なのに。
誰が誰に対して理不尽だと思ったかって、自分が自分に対して理不尽だと思ったんです。
私が今まで罹った心の病気は、結論的には、どれも自分のせいだと、自分を責め立てるというか、原因を自分に求めて無理矢理な解決を図ろうとしていたというか。
PTSDでさえも、です。経験が元凶とはいえ、同じ経験をしたとしてもなる人とならない人がいるわけですから、なるのは自分の考え方とか何かがいけなかったんだ、みたいな。
根拠も何もない話ですが、PTSDもうつ病も、家庭環境とか経験とかというよりかは、体質に近いものだと私は思っています。
糖尿病や高血圧みたいに、元からなりやすい人・なりにくい人がいて、食生活によって大きく左右されるように。
同じように元からなりやすい人・なりにくい人がいて、家庭環境や経験によって大きく変わってくるのでは、みたいな。
そして、家庭環境は子どもに選べるものではないし、経験も多少の選択肢はあるものの、選り好みできるわけではありません。
だから、やはり、自分の力ではどうにもならないこと、というのが私の中での結論です。
加えて、どうにもならないことはどうにもならないんです。当然ですが。
努力とか、気の持ちようとかで、多少は変わるかもしれませんが。根本的にどうにかはならないんです。
人間、限界はちゃんとある。
限界は、思ったより小さい。
幸せを足踏みする
感情をかきなぐっていると、ぐるぐるとした負の感情の中で、孤独に迷子をしているような心地になってきますね。
思い出したくない経験を思い出して、考えたくないことを考えて、それを言葉にするわけですから。
でも、しんどいのと同じ分、救われるんです。
誰に何を言われるわけでも、されるわけでもないけれど。
私にとっての言葉とは、そういうものだから。
さて。
今年一年の話をしようと思っていたはずなのに、随分と遠くまでやってきてしまいました。
ここは砂漠?ジャングル?少なくとも、人の手が入った空間ではない。
個人的には、誰もいない何もない、人が生きていく環境すら整っていない、どこか遠くの別の惑星のような心地。
1月から始まった2021年ですが。
1月といえば、成人式という、人生の一大イベントもありましたね。成人式前、すごくブルーだったな。
”ありふれた””普通”の人生を送っている知り合いがいる空間というものが、想像するだけで耐えられなかったんですよね。
みんな、仕事したり学校行ったりして、それなりに生きているんだろうな。
少なくとも、成人式へ行くことがブルーになるような生き方は、そうそうしていないだろうな、と。
私も専門行きたいとか思って挫折して、バイトの面接も落ちまくって、フィギュアスケートしたいけど金も健康な身体もなくて。施設通い始めて良い流れかと思ったら、体調壊すしさ。
やることなすこと、尽く諦めざるを得なくなっていく、挫折と絶望の1年でした。
それでも、夢を描くことは辞めなかったよ。
専門行って、やりたいことに熱中する私。
フィギュアやって、人の目を惹く私。
大学行って、数学学び直す私。あるいは全然別のことを学び始める私。
働いて、金銭的に豊かになる私。
健康な心と身体を手に入れて、何かをコツコツと積み重ねる私。
施設に通所できる私。
毎日お風呂に入れる私。髪の毛や肌の手入れを欠かさない私。
だんだん、私の中で、崩れてはいけないものが崩れていって。
もう後戻りができなくなるよ、という心の声を聞きながら、まだ大丈夫って余裕なフリして。
今までできていたことが、一つずつできなくなっていく。
自分が壊れていく実感がする。
夢を見るだけなら傷つかないから、そうしてどんどん殻に閉じこもっていく。
卑屈になって、卑怯になって、狡い。
助かろうと思わなければ、少なくとも助かることはないし。
幸せになろうと思わなければ、少なくとも幸せにはなれない。
助けも幸せも、自分で求めて手にするものだから。
降ってくることはないから。待っていてもダメだから。
そう分かっていても、疲れたものは疲れた。
傷つきたくない。絶望したくない。
働けるか、学校へ行けるか、どちらか一つだけでもちゃんとできる自分だったら、何か救いがあったかもしれないのに。
どうしようもなく、自分はどちらもできない。
でも私はまだ幸せな方だから。
とか思うのも、もう疲れた。
不幸じゃダメなんですか。
それは、私が許さない。
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