生きるというお話
こんばんは。
先々週の、それも月曜日に一度しか行っていない実習の余波に、翻弄される1週間でした。(もしかしてタロット占い当たってる?)
体内時計が少し狂い気味になってしまっているのでは?というのが、主治医の見解ですが。私が思うに、狂っているというよりも、リズムを見失っている感じに近い気がします。
夜は眠れるし、朝もそこそこの時間に起きれる。
でも、なんだか日中眠くなるし、最近は睡眠時間がやたら長くて。
季節も影響しているのかしら。
頑張り方
無理をすることと、頑張ることは、全くの別物。
頑張りは、頑張れる時にだけすればいい。
私は、意識の上ではそう思って生きていますが、実際のところ、今の自分は『頑張って』いるのか、『無理をして』いるのかの判断ができていないように思います。
あとから見返してみて、あの時は『頑張り過ぎた』、つまり『無理をした』のだと結論付けることは簡単ですが。それをしている時って、キリのいいところまでやろう、あと少しだから頑張ろう、みたいな、小さな『頑張り』を積み重ねているつもりなんですよね。
実習の話を例にするならば、そもそも実習をやっている時点で、私にとっては『頑張っている』に含まれていて。
そこでさらに頑張ろうと思えば、それは『無理をする』の範疇になってしまう。
つまりはそういうことなのだと、今更ながらに理解しました。
正しいかどうかはなんとも言えませんけれど。
体の体力、心の体力
高校の不登校から数えたら、もう3年くらいはニートをしていることになります。(途中途中働いている時間はありましたが、短すぎてなんとも言えない。)
ですから、同年代の人と体力を比べたら、そりゃ劣っているだろうと思います。
学生の頃、運動部に入っていたわけではありませんし。
弟のように、趣味でバリバリに運動をしていたわけでもありませんし。
しかし、だからと言って、体力が致命的に少ないというわけでもないと思っています。
実習前までは、平日はほとんど毎日施設へ通所することができていたし、毎朝お化粧だってしていた。ご飯もちゃんと作り置きしたものを食べていて、買い食いや外食はほぼ無し、洗濯も2日に1回は回す。
絵に描いたような専業主婦をしていたように思います。
でも、実習を1日しただけでダメになってしまった。その余波が、ほとんど3週間経とうとしている今でも消えていない。
肉体的な体力の問題というよりかは、精神的な体力の問題かもしれませんね、と、お世話になっている施設のスタッフさんとお話をしました。
社会を生き抜く力
最近よく、書店で見かけるようになった『繊細さん』という言葉。
HSPという病名も存在するようですが、私自身は私のことを、繊細さんだとは思っていません。
自然と相手に共感しすぎてしまうことはないし、持っている感覚も、多少の鋭敏さは発達障害が故のものだと思っていますし、それに困ってはいません。
何より、自分本位な人間なので、自分が特別だと思う一部の人以外は、好奇心的な意味での関心はありますが、基本的に「勝手に生きてくれ」って感じです。
スーパードライ(ビールじゃないよ。)
でも、「繊細さんなんじゃないかな」みたいなことを言われたんですよね。だいぶ前、2ヶ月くらい前になると思いますが。
それで初めて、そうなのかも?という色眼鏡で自分と向き合ってみると、まあ確かに、外部から受ける刺激に弱い部分はあるかもしれません。
自分の持つ領域や自分の在り方。
あるいは、自分のやり方とか、自分のライフスタイルとか。
そういうものを侵されそうになる、あるいは侵されてしまうと、すごく重たい気持ちになります。
私という人間は、少なくとも、私の中では正しく生きているはずです。
ちゃんと自分なりの考えがあって、自分なりの論理があって、その上に成り立っている自分なので、特に、何かを『否定』されることに対しては弱い。
「こうしたらもっと良くなるよ!」だったら、言われて気分が悪いものではなく、むしろ嬉しいものではあるのですが。神経質な私はどうしても、「こうしなさい」に感じてしまって、どんどん息苦しく、やり難くなっていってしまう。
こういうのを『繊細さん』と呼ぶのなら、私は確かに『繊細さん』なのかもしれないなぁ、と。
でも、私は、そんな自分のことを、思いの外気に入っています。
自分の在り方を探究していく自分。
常に自分を逸脱していきたい自分。
変わり続けたい自分。自分で在り続けたい自分。
本当に何もなく、穏やかで、ひょっとするとつまらない毎日なのかもしれませんが、それは絵の描かれていないキャンバスと同じ。
何かを見つけるための何もない時間で、どこかへの道を記すための白地図で。
自分が歩いてきた道を振り返った時、一見何もないけれど、道端に小さな花が咲いていれば、それでいい。そんな小さな何かを、毎日に刻み続けることができるのならば、それでいい。
だから、私の大好きな私を、侵さないでほしい。
認めてとは言わないから、せめて、私は私で在りたい。
これは私の、わがままなのでしょうか。
私が変わらなくちゃ、この世界で生きていくことはできないのでしょうか。
それだけが、私の不安で、私の心を荒廃させ得る闇です。
生きていくって、私にとってはものすごく難しいこと。
だからこそ、自分の力で生きていけているあなたは、それだけですごいんですよ。
…なんて言葉が、誰かの力になるのかな。
なったら、いいな。
よろしければ、サポートよろしくお願いします。 社会復帰に使う、なんて言いながら、きっと、私の人生を彩って、これからもnoteで言葉を紡ぎ続けるために使います。