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1万年後の学者を悩ませる甘エビの化石



あれは3年ほど前に、とあるレストランに行ったときのことです。

白ワイン片手にカルパッチョをつついていた私は、手をすべらして甘エビを床に落としてしまいました。


今でも……鮮明に覚えているんです。

あの丸テーブル、グラスの中で踊るワイン、そして、私の左足付近に落ちた甘エビ。

すぐに拾うでもなく、自分の左足付近で横たわる甘エビをただただ呆然と眺めながら、私はこう思いました。

「このまま放置しておくと、1万年後に大騒動になるな」



私の左足付近に落ちた甘エビは、そのまま来る日も来る日も拾われる時を待ち続ける。

身をゴキブリに食われ頭だけになった甘エビは、それでもなお微動だにしない。

やがてカラカラに乾き、踏みつぶされ、その甲殻が散り散りになっても、甘エビはそこにいつづけた。



12023年--


かつて東京と埼玉と呼ばれた地域の狭間にあるこの町で、考古学上の大発見がなされた。甘エビの化石が見つかったのだ。


研究チームは頭を悩ませた。

この町は、旧東京湾から30kmほど離れている。甘エビが自らの足でここまでたどり着いたとは考えにくい。また、旧北区にある中里貝塚は縄文時代中期のものだが、この甘エビの化石は比較的に新しい。おそらく平成時代後期のものだろう。

当時のこの地域について最も詳しく描かれている『翔んで埼玉』という文献によれば、甘エビなどが獲れる環境でなかったのは明らかである。きっとこの情報が漏れるやいなや、非科学的な輩たちがオーパーツだと騒ぎだすに違いない。考えるだけで頭が痛くなる…。

そもそも平成時代中期から令和時代というのは、考古学の世界でも敬遠されがちなテーマだ。

壁画や書簡など年月を経ても復元可能性のある文化が廃れ、電子データという一過性の存在に身をゆだねた平成・令和人の習性を知るにはあまりに情報が少ないのだ。

あの時代の手がかりとして唯一残っているのは、平成・令和人たちが好んで着たとされる合成マイクロファイバーくらいのもの。今回の甘エビ化石も、このMF層と呼ばれるマイクロファイバーで埋め尽くされた地層から発見されたことから、やっとのことで時代推定に至ったほどだ。


しかし分からない。


なぜ海も川もないこの地域に甘エビが……。



12023年9月7日


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