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【メルマガ絵本沼】vol.26:私を絵本沼に沈めた絵本の話

絵本を読み、愉しみ、考えて、ハマる、【メルマガ絵本沼】。

今回は評論ではなくエッセイになります。
テーマは「私を絵本沼に沈めた絵本」。
そう、あの絵本作家のあの絵本について語ります。

ひとときお付き合い願えれば幸いです。


【お知らせ】
■第二期絵本沼読書会#4『こんとあき』(福音館書店)を開催します。

同じお題絵本、同じ内容の2回開催となり(メンバーだけ入れ替わり)、日程と募集人数は下記となります。
あっという間に満席になるのでお早目にお申込みくださいー。

5/11(土) 21時~22時半 見学者3席(参加者は受付了)
5/18(土)21時~22時半 参加者6席&見学者3席

※「参加者」と「見学者」の違いについて
「参加者」は事前にお題絵本を読み込んで、感想と次に読むおすすめ絵本を発表します。「見学者」は発表ナシで見学のみとなります。ご自由にお選びくださいー。


【メルマガ絵本沼】
-私を絵本沼に沈めた絵本の話-

◾️最初の出会い
私の書架の一等地には、私を絵本沼に沈めたある絵本がささっている。

その絵本に最初に出会ったのは1981年、私が小学校五年生の時だった。
なんでこんなに正確に覚えているかと言うと、当時、終礼前に担任の片山先生(熱血教師)が朗読と読み聞かせをする時間があって、なんと、その絵本を読み聞かせている最中に片山先生が号泣してしまい、途中で頁をめくれなくなり、読み聞かせがそこで終わってしまうという事態が起こったからだ。

11歳だった私もまわりの生徒は状況がよくわからず、嗚咽する片山先生にドン引きし、と同時に、判型A4の茶色い表紙の絵本を心に刻んだのだった。

この時点ではその絵本の内容はうろ覚えで、それにしてもあの光景はホンマに記憶に残っているなあ、と。

◾️13年後の再会
大半の人々がそうであるように、私も児童期を過ぎると絵本に触れることがなくなった。
というか、お袋から絵本を読んでもらった記憶がほぼ無いので、この片山先生による読み聞かせが私にとっての原体験だったように思う。

それはさておき、その絵本に再会するのは13年経った後になる。
私はすでに社会人。
本好きだった私は「くまざわ書店」というチェーン書店に就職し、関西の店舗に配属された。

ある日、お店の児童書コーナーで判型A4の変わった装丁の絵本がささっているのを見つけ、棚から抜いて表紙を確認すると、半分黄色で半分黒という奇抜なデザインで、真ん中左に書名がやや小さく表記されていた。
それを見た瞬間、私は小五のあの日のことを鮮やかに思い出した。
装丁が違うけど、これ、片山先生を泣かした絵本やん…」、と。

私はその日の退勤前にその絵本を購入し、実家へ帰宅し、絵本を肴に一杯飲りつつ頁をめくっていった。
気付けば、心をはげしく揺さぶられ、口を押えて泣いている自分がいた。
それはまるで、あの日の片山先生のようだった。

その絵本には「温羅だより」という冊子が挿入されていて、そこには、その絵本はあれから絶版になり、この出版社から復刊されたと書かれていた。

◾️著者本人との出会い
すっかりその絵本と著者のファンになった私は、勤務先で著作を買い集め、それだけでなく、著者の絵本デビューにつながった『月刊絵本』(すばる書房)という雑誌や、著者が毎号寄稿していた『PeeBoo』(ブックローン出版)という雑誌のバックナンバーを古書店で漁るようになり(当時はヤフオクもマケプレもメルカリも無かった)、それらを通して自然に、絵本そのものに対して興味を持つようになっていった。
すでに絵本沼にズブズブだ。
書架にはどんどん絵本が増えていった。

そんな兄を眺めていた弟がある日、「近所の専門学校に絵本作家が講演しに来るで」と、フライヤーを私に渡した。

見てびっくりですわ。
なんと、講師は著者やないかい!

弟よ、俺は今でもこのことに感謝している。

で、1997年、27歳になった私は、絵本作家の講演をはじめて聴講した。
ただ、講演内容はほとんど覚えていなかったりする。
なんで覚えてないのかなあ…。

でもひとつハッキリ覚えているのは、著者が最後に言った「インターネット上で作品を発表しています。ぜひホームページにアクセスしてください」という一言だった。

それにより私のやる気スイッチは思いっきりONになり、翌週にはJoshinでデスクトップパソコンを購入し、苦戦してインターネットにつなげて著者のホームページにアクセスし、Tシャツや絵ハガキや絵本を購入したりとか、著者は易もされていたので自身の進路を占ってもらったりなんかした。

だから、私は著者からインターネットの世界を教わったと思っている。
著者がいなかったら、1997年当時にインターネットどころか、パソコンも買ってなかったのではないかと。

◾️人生が動いていく
インターネットとの相性が良かったのか、私は一ヶ月後には自分のホームページを立ち上げていた。
ホームページ名は「エホンバタケ」。
私はそこでほそぼそと絵本の紹介記事をアップし、すると、絵本の仲間がすこしずつ増えていき、私の中の絵本の世界もすこしずつ外へとひろがっていった。

人生の分岐というのはいつも唐突にやってくる。
おまけにたいてい〆切間際で。
2000年、私が29歳の時、リアル書店での児童書担当の経験と、絵本のホームページ運営の実績を買われ、絵本つながりの友人から、東京のネット書店への転職しないかというメールが届いた。

青天の霹靂だった。
三十年近く生きてきて「府」以外の場所に住むなんて一度も考えたことがなかったけど、なんかそっちの分岐へ行った方が面白そうやし、ダメやったら大阪に帰ればええかと、いたって気軽に私は上京を決めた。
くわえて、このタイミングで入籍もした。
振り返ると、この年は人生の中でもっとも激動の一年だったと思う。

そして東京で働きはじめると、出版関係の友人、知人が一気に増えた。
私は素朴に、東京すごいなあ、おもしろい人やすごい人がたくさんいるなあと思った。
また、絵本のいろんな側面(外商とか課題図書とか読書推進とか)を知るようになり、絵本の広さと深さを更に知るようにもなった。

◾️人生がつながる
絵本沼に浸る日々はその後も飽きもせず続き、所沢の古書市でついに、小5の時に出会った判型A4の茶色い表紙のその絵本を入手した。
その後、判型B5の青い表紙のバージョンも発掘し、自宅の書架にはその絵本が3冊並ぶことになった。

ネット書店の仕事にもだいぶ慣れた頃、その絵本がまたもや絶版になっていることに気づいた。
また絶版になるなんて、えらい運命の絵本やな、と。
すると、私の絵本蒐集癖をよく知っている出版社の社長から、「ある絵本(=その絵本)の復刊を企画している。過去のそれぞれのバージョンを持っているのならば、確認したいので貸してもらえないか?」という依頼が私に飛び込んできた。

この時、そうか、俺が集めた絵本はここにつながる予定だったんだ、と思った。
当然ふたつ返事で承諾し、書架にささっている3冊を送った。

その翌年の2003年、その絵本は再度復刊する運びとなった。
出版社からお礼にもらった復刊本の奥付頁には、著者のサインが入っていた。

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