帳尻合わせ
病院が苦手だ。昔の病院は消毒のにおいがきつくて、それだけでも気が滅入ったのに、渡り廊下で継ぎ足した病棟群の暗さといったら、お化け屋敷そのものだった。その点、現代の病院の明るさには、心底、救われる。広々としたロビーに自動演奏付きのピアノがあり、カフェからコーヒーの香りが溢れている。受付で待機しているボランティアスタッフの笑顔に出迎えられると、一瞬、ここはホテルかと思わなくもない。
いい。昔に比べたらずっといい。呪文を唱えるように、そう自分に言い聞かせる。それでも病院は病院だ。検査は苦痛だし、待ち時間は長いし、次回予約を入れる頃には「二度と来るものか」と思ってしまう。せめて検査結果くらいネットで確認できればいいのに。白状すると、私は通院拒否を繰り返しながら生き延びてきた。
それでも人生は帳尻を合わせるようにできているもので、こどもの入院に付き添って何ヶ月間も病院で寝泊まりし、病院が第二のわが家になった。
「虫さ〜ん、今日は何の動物?」
一緒にこどもの病気とたたかってくださった医療スタッフは、家族も同然。退院後も検診ついでに院内を歩き回り、その都度、旧知のスタッフと再会しては喜んだ。だから、こどもの定期検診をサボったことは一度もなかった。それどころか、体調が急変すれば、次回受診を待たずに駆け込んで診てもらっていた。こうなると病院依存症だと自分でも思ったが、病弱児が生きていく上で医療サポートは欠かせない。やがて主治医が転勤すると、主治医の後を追って遠方の病院に通院するまでになった。
ところがコロナ禍で状況が一変した。遠方への通院は感染リスクが増えるため、負担が大きくなった。と同時に、何かあった時にすぐに近くで診てもらえる病院の存在が必要不可欠となった。
ここ数年、これらの問題を抱えて不安の只中にいたのだが、今月に入って一気に解決した。受診が途絶えて初診扱いとなった主治医宛の紹介状と、近隣で診ていただけるかかりつけ医への紹介状を、書いて繋げてくださった移行外来の医師のおかげによるところが大きく、誠に感謝に堪えない。
主治医とは久々の再会だった。小さい赤ん坊の時から診ていただいていたので、息子のからだがベッドからはみ出すまでに大きくなっていることに感動した。診察中に急患の電話が入り、「いいですよ、今から僕、診ますから」と返事をされているご様子に、わが子もそうやって何度も診ていただいたことをしみじみ思い出した。懐かしくて、ありがたくて、感慨深いひとときだった。病院は苦手だけれど、実は医師は大好きなんだな、自分。
そろそろ息子の付き添いも卒業だから、今度はいよいよ自分自身が受診する番だ。でも、そう思った途端に通院拒否モードに戻るのは何故だろう。これからは自分の扱いに一番手を焼くことになりそうだ。