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拒絶反応を超えて

佐藤まどか著『リジェクション 心臓と死体と時速200km』(講談社、2016年)

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この本は心臓移植を題材にしている上に、副題に「死体」の文字も見えるので、読み始めるまでに時間を要してしまった。私は付き添いとはいえ2年にわたり自宅と病院を往復し、通算半年間も入院生活を送ったことがある。そのため医療もの全般に拒絶反応があり、移植なら尚更だった。

もう10年以上も前になるが、患者会の会報用に月1回のエッセイを担当していた。日々の健康維持に役立つ情報から就学問題等のテーマを経て、会の性格上、避けて通れない臓器移植問題を扱うことにした。ところが、立花隆氏の『脳死』三部作を読み込んでも、一向に正解が見出せない。自分の周囲に臓器移植に否定的な人が多い反面、読者の中に移植で命を繋いだ人も確実に存在するわけで、どう結論を結んだらよいか悩みに悩んだ。もしも柳田邦男氏の『犠牲 わが息子・脳死の11日』(文春文庫)に出会えていなければ、暗礁に乗り上げたままだったと思う。

その当時、毎日三男の下校に付き添って、近隣のこども達と一緒に通学路を歩いていた。「三男ってさぁ、心臓とりかえたんだよね?」と1人が言う。「ううん、ちがうよ。手術はしたけど、とりかえてないよ」と私。「だってオレの母さんが言ってたもん。とりかえたんだよな」と譲ってくれない。そっか、、、よそのおばさんよりも自分のお母さんの言うことのほうが信用できるのか、と納得してそれ以上は否定しなかった。でも仮に本当に移植していたら、こうして陰に日向に異質の心臓を突かれる羽目になったのだろうと思った。日本人の場合、特に心臓移植は高額な渡航費を集めての海外での手術が多く、いまだに贅沢だとか往生際が悪いとかの(整形手術に対する拒否反応とも若干似ている)マイナスイメージを伴う。運よく移植手術が成功しても一生拒絶反応とのたたかいで服薬が必要なのに、人目まで気にしなければならないなら、なんて酷な人生なんだろうとも思った。

さて、いいかげん本題へ。私が本書への拒絶反応を超えて読了して良かった点を、ここでご紹介したい。

①主人公は病気でもないのに心臓移植を体験した16歳の少女。健康体であっても事故をきっかけに臓器移植があり得ることをすっかり失念していたと気づかされた。

②時速200km。イタリアの高速道路の制限速度は日本のそれを遥かに上回り、濃霧による玉突き事故が後を絶たないそうだ。(今更だけど私はイタリアには住めないと気づいた。)

③ドナーの細胞記憶。韓国ドラマ「夏の香り」(2003年)や台湾ドラマ「恋はドキドキ~Memory Love」(2017年)には普通に細胞記憶が出てくるのに、日本で扱ったものを私は知らない。YA向けの書籍で正面から取り上げたのは画期的。

④サスペンス感。心臓移植により命拾いした主人公が生と死を考えるのは当然の成り行きとしても、こういう形で向き合うとは想像を超えていた。ハラハラドキドキの「死体」のインパクトが半端なくて、最後まで読まずにはいられなかった。

⑤異国情緒漂う恋バナ。「チョウ男」とか流行りの「濃厚接触」とは異なる「濃厚・・・」とか、イタリアならではかと。上記のサスペンスと相まって、映画でも観ているかのように情景が目に浮かんだ。

⑥爽快感。自分の中の「拒絶反応」ととことん向き合う主人公。リジェクションを超える姿が清々しい。一命をとりとめたからには、こんなふうに人生を謳歌してほしいと切に願う。

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※今回、積ん読の山から本書を手に取るきっかけとなったのは、チェルビアット絵本店さんのオンラインイベントだった。直接、著者の方から作品の背景を教えていただけるのは何より興味深く、気になっていた新設の絵本ホテルを拝見できたのも楽しかった。今ならではの貴重な機会に感謝したい。(「死体」と変換されて苦笑)


【追記】
当記事をガラスのうさぎさんが「学び/気づきのnote☆」に加えてくださいました。気恥ずかしい限りですが、何かしら考えるきっかけになれたなら、とても嬉しいです。どうもありがとうございます🙏