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“頑張らない”から楽しい絵本の読み聞かせ。(0歳のお子様がいる家庭から)

1、パパ会で絵本を読む

私が勤務している保育園で2019年度にパパ会というものが始まり、一回目の担当になった私はお父様方に絵本セラピーをやりました。かいつまんで説明すると、「大人だから楽しめるおはなし会」です。
読み聞かせの他に、見た絵本をテーマにしたフリートークを保護者様同士でしていただくのを含め1時間ほどの長さ。
この日読んだのは、抽象的な内容で解釈の幅が広い絵本・物語絵本・そして乳児向けと言われている絵本など4冊。パパ会のアンケートにこんな事を書いてくださったお父様がいらっしゃいました。

「今までは“読んであげるもの”だと思っていましたが、これからは自分も“読むもの”として絵本と接していこうと思いました」

保育者である私と、お子様を通わせている保護者様が絵本をはさんだ関わりあいを楽しむ場。その時間・そこで読んだ絵本を通じてこのように感じてくださるのは本当に嬉しい事です。感謝の気持ちと共に、絵本を勉強し始める前の自分が「読み聞かせは大人が子どもにしてあげるもの」と考えていたのを思い出したのです。

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2、壁を一枚はさんだ読みの場

私が保育士になったのは30歳を過ぎてからでした。低賃金で有名な業界ですから、自分の食い扶持を稼ぐためにはどうすればいいのかを考えた時、「これが僕の武器だ!」というものを持っていた方が何かと得をすると考え手に取ったのが絵本でした。


保育士になる前は役者をしていましたので、絵本も一つのパフォーマンスだと考えバリバリにデフォルメをして読んでいました。その当時、私が最も大事にしていたのは「読み手と見る子どもとの間に壁を作る」事です。
アクション映画を想像していただくと分かりやすいのですが、観客は「自分は安全な場所で見ている」という安心感があるから、アクション映画を楽しめます。もしですよ、スクリーンの中から銃弾が実際に飛び出してくるかもしれなかったら映画を見にいこうとは思いません。


絵本にしても同じ発想でした。絵本が描く・表現する世界に子どもが没頭するためには、決して超えられない壁を作る必要があると考えていたのです。読み手がいる壁の内側と、読み聞かせを見ている壁の向こうという隔たり。この関係は「ここから先は絵本の世界。何があってもあなた達に危害を加えるようなことは起きません」という安心感を作ると考えていたのです。そして、その関係を作れるのは大人だけだと。何より、絵本は大人が子どもに読んであげるものだという価値観がそもそも私の中に根づいていました。

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3、絵本「くらやみこわいよ」でつながる時間

3歳クラスの担任をしている時のこと、「くらやみこわいよ」という絵本を読みました。暗闇を怖がる少年ラズロが暗闇と向き合い、怖いものが身近になり「正体の見えない恐怖感」を拭い去る物語。

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作:レモニー・スニケット
絵:ジョン・クラッセン
訳:蜂飼耳
岩崎書店
2013年5月15日初版

子どもにとって暗闇は怖い存在ですよね。だから、子どもは興味津々で見始めました。私自身、ストーリー・暗闇の表現がとにかく好きで読み進めるほどに絵本の世界に没頭していきます。
3歳クラスは24人いて、普段は何かしらガサゴソと音が聞こえてくるものです。しかしこの絵本を読んでいるときは違いました。一切音がしない。パーテーション1枚挟んだ隣のクラスの音すら耳に入らないくらい、静寂に満ちていました。
読み手である私とそれを見る子ども達が、同じ世界にいる。一つの絵本を、間違いなく見つめ、味わっている。あの読みの場に、壁を一枚隔てる必要があるという考えは吹き飛んでいました。ただただ、子どもと一緒に絵本を楽しむ時間。本当に、不思議な体験。

この体験を味わってから、私は「壁一枚を隔てた読み」に疑問を持つようになりました。保育者と子どもは、生きてきた時間の長さがあまりにも違いすぎます。まして、保育をする者と保育を受けるという関係でもあります。けれどあの時間は、あの読みの場では立場や互いの違いが何の意味もなさない。子どもと私という1人の人間同士が、1冊の絵本を読むという事以外ないのです。
この体験は冒頭で書いたパパ会にもつながる事です。考え方・価値観・生き方という、立場の違いは絵本を読みあうことで越える事ができるのです。絵本をはさんだ目の前にいる人と結ぶ関係は、「読む側と見る側」という考え方で読んでいたら成立しないのではないかと思います。

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4、絵本は爆発だ

「くらやみこわいよ」にまつわるエピソードで小難しい事を書いたかもしれませんが、実は単純です。絵本には、人と人を繋げる力があるのです。「正解を提示しない」という力を持つからこそ、「どう感じてもいいのだ」という受容がその場に生まれます。
正解と不正解が氾濫する社会の中で、絵本をはさんだ相手との時間を大切にしようという思いがあればどんな感じ方をしてもいい、どんな読み方をしてもいい、どんな楽しみ方をしてもいいのです。「こう読みなさい」「この絵本はこういう事が書いてあるので、それを意識しながら見なさい」というものが介入する余地がない。描かれているものを読み、それを各々が自由に楽しみ感じる事ができるのが絵本なのです。

岡本太郎さんの「芸術は爆発だ」という言葉がありますが、絵本にピッタリの言葉だと思います。そう、「絵本は爆発だ」なのです。自分の思うように、読みたいように、楽しむために楽しむ。頑張らなくていい、自分らしくあっていい、正解や不正解がないのだから、自分の読みたいように子どもと読みを楽しむ事ができる、それが絵本なのです。

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絵本読みたがり屋けんちゃん
元役者・絵本専門士5期・絵本セラピスト25期読書アドバイザー・認可保育園主任。自身が勤務している保育園・系列保育園・イベントなど、様々な場所で読み聞かせを行い子どもから大人まで絵本の楽しさと魅力を伝える活動を行う。
読み聞かせの他にも保育士向けや保育士養成校で、役者時代に学んだ訓練方法と子どもとの読みの経験を元にして作った体験型の読み聞かせ講座を行う。

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