子どもの頃に出会いたかった絵本は?という野暮な質問をしたのは、この私です。

インスタのストーリーズにて

先日インスタグラムのストーリーズ で「子どもの頃に出会いたかった絵本は何ですか?」という質問をしました。たくさんの回答をいただき、その回答をお名前を伏せてシェアするのが通例となっているのですが、今回はそれがすんなりいきませんでした。

さぁ、いざシェアだ!と画面を操作しながら、私はなんて野暮な質問をしたんだと、自問自答が始まってしまい、今に至ります。

私がインスタでその回答をシェアさせていただくと同時にnoteに補足として記事が書きたかったので今こうやって指を動かしております。

私が子どもの頃に出会いたかった絵本はコレ!

画像1

ディアガール

ぶん エイミー・クラウスローゼンタール パリス・クラウスローゼンタール

え  ホリー・ハタム  やく 高橋久美子

主婦の友社

私が大人になってから出会ったこの絵本。子どもの頃の私が感じていた孤独感や劣等感を肯定してくれました。何だか答え合わせをしてもらったような、そんな気分にもなりました。そして、今現在の私にも響くものがあります。

が!しかーーーーし!

今、現在大人になり、母になった私は、この絵本を「子どもの頃に出会いたかった絵本」として挙げています。ですが、そう思うに至るこれまでに、子ども時代からそれなりにいろんな経験を重ねてきています。だからこそ響くのかもしれないし、だからこそ子どもの頃に出会いたかったと思えるんだと、シェアする前に思い出したのです。

まぁまぁいろいろありました、私の人生。でも、きっとこの絵本を子どもの頃に読んでいたとしても、完全に楽に生きられたわけではないと思うし(楽に生きてる人なんていないかぁ…)私は私のタイミングでこの絵本に出会えたんだと思うのです。それが早いでも遅いでもなく、出会ったその時が「今」だったと思うのです。

絵本で人生が変わるんじゃない!絵本を読んだ自分で人生を変えてるんだ!

サブタイトル…割とクサめで攻めましたが、そういうことです。

絵本に限らずですが、自分の心の状態で受け止め方っていうのは、かなり左右されると思います。そんな中でも、ピタリとハマるものに出会えた時に、心を強く動かされてそれが行動力となったり、生涯忘れられない1冊になったりするわけです。

忘れられないと言っても、もちろん四六時中覚えているわけではなく、必要な時にフワっとでも思い出せれば…内容や登場人物の名前を覚えていなくとも、その時にまた絵本を開いてみようという気持ちになるかもしれない、そうだったら嬉しいなぁと思うのです。

私は、悩んだ時や心がざわざわすると絵本を開きます。でも結局、絵本に答えが書かれているわけではないんですよね。それを受けて、自分自身が答えを見つけて決めているんだと、つい先日も感じたところです。

結論

「子どもの頃に出会いたかった絵本」は、「今、大人になった私が思う子どもの頃に出会いたかった絵本」であるということ。

子どもたちは、大人のように、絵本を簡単に手に入れたり、情報を得たりするということは出来ません。そこを繋げるのは、やはり大人の役目だと思うのです。押し付けるのではなく、そっと手の届く場所へ差し出す。(これは、物理的でなくとも)

つまり、全て受け取る本人の心の在り方に寄り添ってであってほしいと願います。寄り添えなくても、無理強いはしない。

私たち大人は、かつて子どもでしたが、今は大人です。どんなに子どもの時のことを思い出しても、子どもにはなれない。このことを忘れないでいたい、子どもの気持ちがわかったようなフリは、しないでいたいなと思いました。





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