見出し画像

地に足つき始めた瞬間

ぼくは“地に足付いた人”に強く憧れをもっています。そういう人の言葉を聞くと「格好いいな」と思っているのですが、誰しも“地に足付く瞬間”というのがあるのではないかと思っています。かく言うぼくも、そうした瞬間が少なからずあった人間です。


ぼくにとっての“地に足付いた瞬間”というのは、“自分ってこの程度の人間なのか”と自覚した瞬間です。その時に、ぼくは初めて自らの足がちゃんと地面に付いたと感じました。


15、6歳のころ、ぼくは漫画家になろうと考えていました。人と関わることが苦手な自分は、人と関わらずに生きていける仕事として“絵を描く”という職業にこだわり、漫画家という夢を目指していました(漫画家が人と関わらないというのは、当時のぼくの勝手な思い込みです)。


家に引きこもるというある種特殊なぼくの経験は、漫画の物語に役立てることで初めて意味を持つ経験になるのだと当時の自分は考えていて、それがぼくの人生の意味(生きがい)なのだと決めつけていました。ただ、何のために漫画を描くのかの“意味”を掘り深めてみると、実は“安定した生活を送りたい”という結構ありきたりで拍子抜けな意味であったことに後々気づくことになりました。


“人生の意味”といういかにもかっこいい言葉でフタをした箱の中身は、なんてことのない“衣食住に困らない生活”といういかにも“ダサい欲求”が入っていて、ひどく自分に失望したのを覚えています。このダサい欲求の直視は、生まれて初めてかっこ悪い自分の姿を鏡で見てしまったかのような失望を自分自身に与えました。


ただ、“意味ある人生”という言葉でごまかし続けていたら、ぼくの人生は地に足付かないままだったのではないかなと思います。ぼくが恵まれていたのは、自分のダサい部分に気づいたことを「すごいことだね」とほめてくれる人が身近にいたことです。



“地に足付く”というのは、“自分が立っている現在地点を自覚する”ということであり、それは時に痛みが伴うものであるのは間違いないと考えています。ただ、そうしないと地に足がつく一歩が踏み出せないことも確かで、だからこそ「すごいことだね」とほめてくれたことは、大きく自分のメンタルを支えてくれました。


初めて自分の“ダサい欲求”を直視してから、それを認めるまではかなり時間がかかりましたが、今思い返してもそのダサい欲求を直視した瞬間が、自分の足が初めて地についたと実感した瞬間でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?