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ゴールが先か、コンセプトが先か

ゴール(目的地)が明確であれば、おのずと方向性も明確であるとよく聞きますが、このゴールが生まれる瞬間というのは人それぞれ違うのでしょうか?


ちなみに、ぼくがまだゴール(目的地)を決められないでいた10代、20代前半は、ずっと内的作業を繰り返していました。内的作業というのは、自分が社会にどのような影響を受けてきたのかを自覚するという”自分を知る作業”のことです。


例えば、自分の好みだと思っていたアニメやゲームや漫画、映画やTV等は、全て”環境”によってもたらされた影響であり、ぼくが進んで選んでいたものではありません。アニメ、ゲーム、漫画は全て兄の影響を受け、映画やTVは親や友達の影響を受けて見聞きするようになりました。


これらをもっと広く見ていけば、アニメ、ゲーム、漫画、映画、TVは客層を狙った作者がちゃんといて、ぼくら家族や友達はまんまとその狙いにはまっていたわけです。狙った客層をちゃんと獲得するのがビジネスの在り方であり、ぼくらは基本こういった生産者によって好みを形作られています。


「俺の好き嫌いは生まれ持ったもので、俺のものなんだ!」と言うのは勝手ですが、社会の仕組みの影響を受けていない人間なんてこの世に1人もいないとぼくは考えています。自分を知るというのは、”自分が何に影響を受けているのか?”を自覚することです。


これはぼくの場合ですが、そうすることで”受けてよかった影響”と”受け続けたくない影響”とが区別できるようになっていきます。次第にぼくはその”受けた影響”の中から普遍的な学びや気づきを得るようになりました。それら学びや気づきを表現するため、自分の能力に見合った方法として”絵を描く”という手段を選んだわけです。


こういう風に見ていくと、ぼくは”絵本作家”というゴールを先に見つけたわけではなく、内的作業によって内側から湧いてきた気づきや学びという”中心軸(コンセプト)”を先につくったことが分かります。ゴールはあくまで”結果論だった”と言うことです。


おそらく、逆のパターンの人もいるのではないかと思います。目指したいゴールと先に出会い、そのゴールを目指す中で自分の生き方のコンセプトに出会うというパターンです。様々な職種を経験する人がたまにいますが、そういう人は中心軸を持っているという強さがあるからこそ、職種にはこだわらないのだろうなとぼくは考えています。


ぼくのゴールは”100年後も愛される絵本をつくる”ことで、コンセプトは”愛情、絆、心”です。このゴールは後から見つけたもので、10代の頃からずっと模索してきてつくってきた中心軸がこのコンセプトになります。

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