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第1回/日本語はサバイバル手段/チャン ティ ホンさん

チャン ティ ホンさん
1988年ベトナム・ブンタウ生まれ
愛媛県西条市在住・フリーランス(通訳業)

こんにちは!
えひめインターナショナルMeet-upの谷村です。
今回は、2023年5月27日に開催された第1回えひめグローバルトーク_海外出身者編の様子を記事形式で編集してご紹介します。

なお、えひめグローバルトークは、愛媛県で暮らす海外出身の方が、ご自身のライフストーリーや愛媛での仕事・暮らしなどについてお話しすることを通して、同じ愛媛県で暮らす海外出身者のみなさんにロールモデルを示すことを目指して行なっています。

イベントのチラシ

ーーーまずは自己紹介をお願いします!

こんにちは!チャン ティ ホンです。
ベトナム出身で、日本に来て7年目です。大阪の日本語学校を卒業後、四国中央市の会社に就職したことをきっかけに愛媛に来ました。去年独立して通訳業をしています。今日はよろしくお願いします。

ーーーホンさんのご出身であるブンタウはどんなところですか?

ベトナムは南北に長いですが、ブンタウは南の方です。南部最大の都市であるホーチミンから車で1時間くらいのところにあります。海が近くて、景色の良い観光地です。

ーーーベトナムにはいつまでいらっしゃったんですか?

ホーチミンにある大学を卒業し、地元の企業に就職しました。その時は事務職として働いていました。その後、出産により休職したんですが、その時に、このままではいけない、何かスキルを身につけたいと思い、ベトナムで日本語学校に通い始めました。

ーーーなぜ日本語だったんでしょうか?

当時、ベトナムには日系企業が多く進出しており、地元企業よりも給与水準が高かったんです。そこで、日本語を学ぶことが流行していました。しかし、勉強してもなかなか身につかなくて苦労しました。そこで、幼い子供を残して日本に留学する決意をしました。

ーーーなんと、大きな決断ですね、、!

はい。そこで子供と約束しました。必ず1年以内に結果を出す。日本で仕事を見つけたら日本に呼ぶと。そうして大阪の日本語学校に留学しました。これが初めての日本、初めての海外でした。

ーーー初めての日本は戸惑いませんでした?

日本のイメージは渋谷のスクランブル交差点でした。なので、大阪でも郊外の方にある日本語学校に留学したので、第一印象は、「あれ、静かだな、、」というものです。スーパーでも、街中でも、電車でも、日本人は本当に静かですよね。ベトナムでは、みんなうるさいくらい話します。日本があまりに静かで、初めの頃は寂しく感じました。日本語の勉強も大変で、効果的な勉強方法だと聞いたものを試してもなかなか効果が出ませんでした。でも、諦めずにやり続けていたら、ようやく1年くらいで自信はないけれど日本語ができるようになってきました。

トーク中の一コマ

ーーーお子さんとの約束は果たせましたか?

もうすぐ約束の1年という頃に、知人の紹介で愛媛県四国中央市にある技能実習生の管理組合の仕事を見つけました。それまで愛媛とは全く縁がありませんでしたが、迷っている場合じゃないと思い即決しました。最初の頃はまだまだ日本語はうまくありませんでしたが、必死で働きました。子どもも無事日本に呼ぶことができ、約束を果たせました。

その後、同じく四国中央市にある食品関連企業に転職しました。そこでは、人事として技能実習生の採用や研修などを担当しました。また、部署異動して新店舗のマネジメントもやりました。実は将来自分のお店をやりたいという目標があったので、日々の売上管理や労務管理などのマネジメント経験はとても貴重な機会になりました。

ーーーそして、昨年独立したんですね。異国の地での起業は相当苦労があったんじゃないですか?

いつか自分でビジネスをやりたいと思っていたので、思い切って独立しました。でも、最初はお客さんがぜんぜんいませんでした。日々の生活がやっと。でも、頑固な性格なんです。諦めたことはありません。どんな仕事でも、まずはYesと言うというスタイルで、徐々に定期的な契約をしてくださるお客さんを増やすことができ、軌道に乗りつつあります。子どもも西条市の小学校に通っているので、頑張らないとなって思います。

ーーー最後に、これからの目標を聞かせてください。

まずは、独立してまだ半年なので、しっかり軌道に乗せていきたいと思います。また、愛媛は本当にいいところで、もっと多くのベトナム人に知ってもらいたいと思います。私も何か貢献したいと思います。あとは、やはり将来自分のお店を出すことが夢です。愛媛にいるベトナム人が故郷を感じられる、ほっとできる場所を作りたいです。まだまだ遠いですが、頑張りたいと思います。

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