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読書日記①『言葉の地層』vol.1

本を読んでも、しばらくすると「ああ~、いい本だったなあ、で、どんな内容だったっけ?」となってしまうのがもったいないので、2024年は読書日記を書いてみることにしました。

この本は、英語ができない移民の主婦として暮らした2年間のカナダ暮らしの記録。

海外に行きたいと思う私の興味関心のひとつが、「言語を制限された私はどうやって私らしさを表現するのだろうか」というもので、何だか私がこれから体験しようとしていることの片鱗に触れられるような気がして、東京にあるtwililightという素敵な本屋さんで購入しました。

学校や職場では「できて当たり前」という空気を感じて、なかなか「できない」が言えません。それに見栄が邪魔して、人に「できない自分」をさらけ出すのも嫌でした。

『言葉の地層』p28.29

いやあ。首がもげそうな位によく分かる。なぜここまで「できない自分」をさらけ出すことが苦手なのか、自分でもよく分からないけど、本当に苦手。だったら、さっさと努力して出来るようにしてしまおうというタイプでした。

それでも、2年半ほど前にご縁あって東京から新潟の阿賀町にきて、ブックカフェとコワーキングスペースの複合施設を立ち上げて、暮らしも仕事もはじめてのことばかりで。

出来ないことだらけな生活を経て、「できない自分」をさらけ出さざるを得ない日々が続きました。最初のほうは、それはもうかなり精神的にしんどかった。というか今でも結構しんどくなるときもある。

それでも、何もできない自分でやるしかないのだという身体性を伴う経験は、「出来ないことを出来るようにする」ことでしか大丈夫になれなかった私を少しずつ軽やかにしてくれたように思います。

テストじゃないから正解はないんだ、絶対に正しい言い回しなんてなくて、ネイティブみたいな発音じゃなくても、言いたいことが伝わって、目的が果たせたらそれでいいんだ。
今までは失敗したり、笑われたりすることが恥ずかしかったけど、私はここではこの言葉遣いでしか自分のしたいことや言いたいことを伝えられません。自分の英語力を直視することが出来なかったけど、ここでは恥ずかしくても、足りなくても、自分の数少ない持ち駒でやるしかない。そんな諦めと割り切りの混じった、なんとも清々しい気持ちになりました。

『言葉の地層』p30

この諦めと割り切りの混じった感覚も、とはいえまだ50%くらいだなあと感じます。それでも、来た当初から比べたらかなり高くなったほうですが。これをさらに英語環境でもっと圧倒的に打ちのめされて、最後の最後には思いっきりこの諦めと割り切りの混じった、なんとも清々しい気持ちを100%抱きしめてやりたいなあと思いました。(ドMかよ笑)

その感覚を心も身体も受け入れられるようになると、「よわいけどつよい」というしなやかな在り方を手にいられるんじゃないかという仮説があります。そしてそれは、この世の中をヘルシーに生きるうえで、とても大事な身のこなしだと思うのです。

英語を身につけるというのは、ネイティブみたいに話したり、スラングを織り交ぜたり、こなれた言い方をするんじゃなくて、私の声や私の話し方を身につけることなのかもしれないと思うようになりました。

『言葉の地層』p38

いやあ、そうだよね。目指すはここだなあと。ネイティブみたいに話せなくてもいいのだよね。焦ったときは、ここに立ち戻ろうと思います。

今日はこの位で。続きはまた今度。

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