見出し画像

横にも......

毎晩目をつぶりながらベッドの上で過去の自分を戒めながら眠りにつく。許しては貰えないだろうが、彼らに謝罪することで、少しだけでも心が軽くなると信じていたが、どこへ行ってしまったか分からない。謝罪することすらできない。

工事現場で仕事をし、なんとか家賃、光熱費、食費を稼いで毎日過ごしている。これが無気力の原因だ。

元々男は大企業に勤めていた。人生は順風満帆のように見えたが、稼ぎが大きい分、男は大きな額を賭けた。そして負けた。そしてお金は消えた。そして家族も消えた。家族が消えた後、男は親からの電話で目が覚めた。自分がしていたことがおかしかったと。今はその会社に休職を貰い、自分を見つめ直すために土木のアルバイトなどで食い繋いでいる。

男は翌朝、目が覚めた。まずカーテンを開ける。うつ病のような心の病には、太陽の光が効くとテレビで観た。少しでも心を晴らすためにカーテンを開ける。

白い太陽が部屋の中を照らす。

家の前には川が流れている。とても浅く、大きな魚が泳いでいるのがよく見える。川を挟んだ向こう側には住宅街が見える。昔自分も綺麗な家に住んでいたということを思い出してしまう。

男は昨日、はビルの窓拭き掃除の仕事に出かけた。

ワイヤーが巻かれ、どんどん地面から遠くなる様は、自分が巨大化をしているように、どんどん目線が高くなって行く。腰に下げた道具を手にし、風景を見ながら高層階まで上がって行く。男は窓拭きの仕事の時、必ず双眼鏡を持って行く。いつも通りに双眼鏡を覗いていると、遠くに不思議な建物を見つけた。男はその建物が気になって仕方がなかった。だから今日はその建物を訪ねてみることにしていた。どうしてもその場所まで行ってみたかった。だから今日の仕事は昨日のうちに仮病で休むことを連絡した。

 

 大きな建物に着いた。あまりにも不自然に立っている。周りは更地で、その中心部に箱がある。その建物の周りを一周すると、入口を見つけた。エレベータのドアだ。そしてエレベータ同様、ボタンがあった。

ボタンの下の注意書きには、

「このエレベータは天空まで繋がっています。天空に到着したら、あなたは死んだことになります。」

と書いてあった。

そもそもこの更地にあるこの箱が、エレベータのようには思えなかったが、男は昨日まで自分が死にたいと思っていたことを思い出した。今は見たことのない不思議な箱の前で心は踊っているが、自分の人生は絶望すべきもので、浮かれている場合ではないと、救済が欲しいと思っていた。

男はボタンを押しドアを開け、エレベータの中に入った。ドアが閉まる時、いつものような重そうな音はせず、パン同士がぶつかるような、軽い感触が波となって伝わってきた。

 

無音のままそれは上昇していった。ワイヤーがなく、ポンプも見当たらない。縦に長い窓が付いていて、外の様子は一望できた。窓拭きのバイトの時と同じように、自分が巨大化するように目線はどんどん上がっていった。

男は少しの間ぼうっとした。無音のままエレベータはまっすぐ空に向かって上昇し続けた。隣の県にある大きな山が見えたと思えば、その向こうには海が見えた。エレベータからの景色に、何も邪魔をするものはなかった。強いて言えば、男の心の中の後悔だけが邪魔だった。

男は自分が設計士だったことを思い出していた。

男は昔からエレベータが好きだった。子供の頃ホテルで見た、最上階まで吹き抜けているエレベータを見て、美しいと思った。宇宙船の中の小さい部屋のようだと思った。遠くから超高層ビルのエレベータを見ていると、無規則に電子基盤の回路の上をアキシャル抵抗が動き回っているようで、少し気持ち悪い。

エレベータは等速のままどんどん空に向かって昇って行った。地球が碁盤の目のように規則的に分けられているように見える。空の色は心なしか濃い青になっている気がした。

男は自分の人生がそろそろ終わりを迎える、つまり空の上に到着する前に、まだエレベータを作っていないことに気がついた。

確かに自分はギャンブルにのめり込み、莫大な金と家族を失った。そしてその家族は今どこで何をしているか分からない。謝罪することもできない。しかし、謝罪の気持ちは毎日溢れる程感じている。

しかし、家族にはもう一生会えないのかもしれない。それならばこの気持ちを背負ったまま、また仕事に戻るべきなのではないか。まるでグラフのように、x座標とy座標の二つの要素が揃っていないとグラフが完成しないように、ふたつが揃っていなければいけないわけではなく、一人でも生きていけるということを思い出した。

「俺の夢は上下左右に移動することができるエレベータの開発だ。あれを思い付いて、それであの会社に入って、実現するために何年も構想を考えて来たのだ」

男はその瞬間に、衝動的にエレベータの中にあるはずのボタンを探した。しかし、ボタンはどこにも無く、男は虚しくも立ち尽くしたまま空にまっすぐ昇って行った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?