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マイノリティな趣味嗜好でまわりに言えなかった件

3月に杉山清貴&オメガトライブコンサートの宇都宮公演に行ってきた話を書いた。

現在オメガトライブ全員60代前半。1985年末のオメガ解散当時は20代中盤(清貴さんは26歳)で、当時のぼくは小学校4年生。トップテンでだったか、「ふたりの夏物語」を横浜にあるマリンタワーで歌ってて、そのときの清貴さんがすっごく大人でかっこよかったなぁっていうのを覚えている。

そして杉山清貴(オメガトライブ)と同じくらい好きなのがTUBEでして。
TUBEのメンバーもぼくと10歳前後年上。
他の好きなアーティストのファンはいるけど、両者のファン層は自ずとぼくより上の世代が多いし、なんせ自分と好きなジャンルが合う人が自分の近くにほとんどいない。
小、中学生はいろいろな部分で狭いし、趣味嗜好はマジョリティかマイノリティは圧倒的な差もしくは半分かに分かれることが多かったように思う。

野球の好きな球団は、だいたいうちの周辺は巨人か西武のファンが半々ずつで占められていたし(もちろんぼくは巨人ファン)、あとはテレビゲームは大多数の男子が好きだったけど、ぼくは野球に明け暮れた中学校の時には興味が薄れていた。

当時自分の同級生で流行っていたアーティストが、

THE BLUE HEARTS
JUN SKY WALKER(S)
TM NETWORK
ユニコーン

などなど。いわゆるバンドブームの時代。
そのほとんどのバンドに当時全然興味がなかったぼくは、その筋の会話について行けなかった。
音楽の好みは、ぼくはマイノリティだったわけで。
ちょっとひねくれてたんだろう。
(これらバンドの曲は大人になってから聴くようになった)

また当時はソロになった杉山清貴さんは自分のまわりではほぼ誰も聴かないし、年齢を重ね、行動範囲や交友関係が広がった今ですら、自分の周囲で清貴やオメガをよく聴く!TUBE大好き!っていう人は少ない。
(10年以上前に、ぼく以上にTUBE好きな(なんなら追っかけをするほどの)彼女と付き合ってたのがすごく不思議な感じなのである)

自分と好きなジャンルが合う人がいなかったのは、それだけでない。
ぼくは物覚えがついた頃から鉄道が好きだった。
鉄道写真を撮るけど一眼レフを持って線路際やホームで危険を顧みず撮影するわけではないし、鉄道車両のメカニズムに詳しいわけではない。オタク気質でもない。だから「鉄道オタク」ではない。
電車に乗って風景を眺めるのが好きで、車両(メカニズム以外)が好きで、駅(駅舎やレイアウト)や駅弁が好きで、っていう、その辺の人よりまぁまぁ鉄道に詳しい、だから「明るい鉄道少年」なのである。一般には「鉄分多め」と言われるやつ。

自分がオタクだと言われたくなかったし、そもそも鉄道好きがほとんど周りにいなかったので、言い出せずに少年時代を過ごしてきた。
しかし、社会に出ると、鉄道好きっているもんで。
オタクではない、鉄分多めな同志が。

これで盛大に「明るい鉄道少年」と言えるようになったのです。
そして、TUBEやオメガトライブが好きな人がまわりにいなくとも、盛大に言いまっせ!(コンサート会場に行けば、同志(ファン)がたくさんいるのです)

※「明るい鉄道少年」とは、アナウンサーだった松宮一彦さん(故人)が先に名乗っていた


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