スポーツ選手に必要な2つの能力をへたくそが邪推する。

スポーツに関して思うこと。

結論、ある程度正解があってその動作をいかに遂行するかというのが大切なことのように思う。
正解というのは科学的な研究であったり、そんなに学術的ではないもっとその競技の中にある暗黙知であったりが該当する。前者に関しては論文やら、指導者やらに教えてもらい、後者に関しては身近な上手なチームメイトなりからみて盗むというものだろう。

そうはいっても、まだまだ抽象的なので近づきたい。

例えばバスケ。まず、シュートフォームが汚くてうまいシューターは少ない。逆にシュートが上手な選手はみな似たフォームをしている。シュートにおいての最適解が決まっているように思える。それはどの身体の使い方がシュートに最適かというのが決まっているのだろう。

他にも、身体の使い方という観点から離れて、対人戦においての正解もあるだろう。バスケにはドリブル時に様々な技があるが、相手DFがこのように対応したらこのような技が有効だ、といった正解不正解がある。場面場面に応じた1問1答的な正解であり、これは前述した身体の使い方の正解不正解では無くあくまでも戦術的な正解不正解といえるだろう。

中学生の頃などは正解不正解など気にかけずとにかくかっこよさそうな技ばかりに憧れたものではあるが。

思うにスポーツには、2つのポイントがあると思う。

ある技能を出来るか否かが一つ目。これは正解をひたすらに追求して近づけるということだ。本や映像、アドバイスなどで得た、頭の中にある「正解」を身体をつかい表現する。頭ではわかっていても身体は思うように動くとは限らない。それは、関節の柔軟さや筋力、しなやかさなども影響するだろうが。ともかくその動作に最適化する様に身体を鍛錬していく。スポーツが反復的な練習を必要とするのはこの部分に収斂するのではないか。

2つ目はそれを実践において適合させるということ。例えばどんなにアウトプットがうまく、色々な技能をできたとしてもそれが有効な場面でできるのか否かによって宝の持ち腐れになりうる。求められていない場面での派手なプレーは自己満足だ。まずは場面度ごとの最適解をしって、それを適切な場面で使えるように実践を積んでいくという形になるのだろう。

この2つの能力を高めていくというのがスポーツにおける命題なのではないか。そしてこの2つを研ぎ澄ました人々がスポーツ選手なのではないか。
私は2つと言ったが陸上など個人戦であれば1つ目の技能が主であろうし、バスケやサッカーなどであれば1、2両方大切になるだろう。

ところで、先日私はバスケをした。
珍しく事前に元プロのYou Tube動画を見て理論や最適解を学んでからいった。とはいえそれが完全にできたかと言われると胸を張って答えることはできないが、実りのある時間だった。そして今の今まで全く頭を使わず闇雲に練習をしていたのだと気がついた。まさしく、先に述べた1も2も意識せずに愚直に言われたことをやっていた。道理で伸びないわけである。

思うに、スポーツ選手はクレバーな人が多い気がする。頭を使って狙いを持ってその上で動作を研ぎ続ける。狙いをもって身体を動かし、場面場面において自らの会得した技能を使い分ける。1瞬1瞬の間にそれを判断する。その上で最適な身体の使い方をする。とんでもない人々である。
よく〜iq が高いというフレーズを聞くがこれは、2つ目部分を指すのだろう。場面に応じて最適解を選ぶ判断。身体を操る感覚が優れていても(技能があっても)iqなければ厳しい。

何はともあれ、スポーツ選手には脱帽である。見る人に+の感情を与えてくれて有難い。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?