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生き辛さと創作の関係

中学時代に読んだ眉村卓の短編に妙に心にひっかかるものがあった。眉村卓はSF作家なのだが、『謎の転校生』とか『まぼろしのペンフレンド』のようなジュブナイル小説をたくさん書いていて、私の記憶にあるのもそんな係累の短編だった。何というタイトルかも忘れてしまったが、あらすじは以下の通り。

--主人公は確か中学生くらいで、非常に文才があった。それに目をつけた他の惑星の人類か未来の人類が彼を連れて行って何か書かせようとした。彼が移り住んだその世界はとっても居心地がよく、すっかりその世界に溶け込んでしまった。生活にも満足感が得られた。しかしその反動で何も書けなくなってしまった。専門家が分析したところ、彼のような人間は満足感が得られると創作意欲が減ってしまうとわかり、結局元の世界に戻された。--

私は子どもの頃おとなしくて、勉強もできなくて、体育はからきしダメで、まったくもって冴えない子どもだった。それにいじめられっ子だった。唯一先生に褒められたのは作文や読書感想文が上手いことだけだった。なので文章をかくことだけは何となく自信があったのだと思う。

小学校4年生の時から詩を書くようになった。市内の優秀作品を集めた『文集さがみはら』に載ったこともあった。小中学校時代には作った詩を見せ合う友達もいたが、高校の友達に詩を見せたら茶化されたので以来他人に見せるのはやめた。それでも密かに詩作していたが、大学生になった頃からなんだかこっぱずかしくなって書けなくなった。

身近な人によく私は短大に入った頃から変わったと言われる。まるで背後霊が入れ替わったみたいに明るくなったらしい(笑)
その後の人生は確かに悪くなかった。10代の頃より20代が、20代の頃より30代が、30代の頃より40代のほうが充実していたように思う。おそらく40代の頃がピークでその後ゆるやかにテンションが下向している。

やさしい夫と素直な子ども達に恵まれ家庭環境がよかったことも一理あると思う。仕事もいろいろ転職はしたが、行く先々人間関係も悪くなかった。ただ、それだけでなく30代から50代位は嫌な事があってもあまり気にせず受け流せて、ストレスを溜めることが少なかった。生き辛さというものを感じていなかった。

思い返してみるとその充実していた時期は、心の奥に小説を書いてみたいという欲求はあったものの、書いても完成させることができなかった。まあ、それはそれでよかった。その代わり読書は絶えず続けていた。

ところが60を過ぎた頃から、無性に創作意欲が高まって、文学賞に応募したりnoteを書くようになった。そして今、多少生き辛さを感じている。年を取って心身共に衰えてきたことも関係しているかもしれない。以前は意に介さず受け流していたような事柄を妙に気にするようになったり…なんとなく弱くなった。

それで冒頭の眉村卓の短編を思い出した。よくよく考えてみたら樋口一葉や梶井基次郎などは肺を患っていたし、漱石先生や龍サマはうつっぽい。生き辛さを感じている人の方が筆が進むのかもしれない。noteを書かれている人も大なり小なり生き辛さを感じているように思える。

今日フォローさせていただいているミックさんのマルグリット・デュラスの記事に印象に残ることばを発見しました。

人が何かを語るのは、欠如を通してのことです。生きることができない時、人は人生を語るのです。愛することが欠落していることを通じて、人は愛を語るのです。

『デュラス、映画を語る』より

欠如を通して語る…なるほど。深いことばですね。
私は元来ネアカというか能天気なんだと思う。若い頃でも気にしようと思えば気になっただろうし、生き辛さを感じることもできたのかもしれないけど…何分鈍くて感じられなかったのでしょう。老境に達してようやく捉えることができたようだ。

生き辛さも創作の肥やしになる…と思えば、それも悪くないかも。
なんて、こんな風に思えることは、やっぱりまだ恵まれている証拠なのかもしれない。

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