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仲本いつ美のものがたり

ライターの浅倉彩さんに書いてもらった私の記事をプロフィールとして掲載いたします。
私がやんばるという地域で起業した想いが描かれています。

暮らしのしずく、光となり届け

謝敷集落の古民家のお庭で撮影

沖縄本島の最深部。美ら海水族館のある本部半島よりもはるか北の行き当たりに、いくつかの静かな集落があります。真夏の昼間にふとたたずめば、森の声や光降る音、青く澄んだ空にどっしりとせせり立つ入道雲の息吹が聴こえてくるよう。

Endemic Garden Hは、あたり一帯を次の時代へと受け継ぐために生まれたまちづくり会社。生み出したのは、地元出身の仲本いつ美さんです。事務所は最後の信号から6kmほど離れたところ、謝敷集落に溶け込むようにしてあります。仲本さんは2019年、前職の国頭村役場を退職してすぐに会社を設立し、共同売店だった場所を借りて事務所を構えました。

「日々の営みから生まれ育まれた文化が面白くて魅力的な集落で、そこで育つ子どもたちが走り回っている風景をもう一度見たいから。」小さな集落からにじみ出る光を、それを観ようとする人にまっすぐに届け、両者を結ぶ経営を始めています。

幹線道路からまだない軌道を描き宙へ

空にぐんと伸びるやんばるのヒカゲヘゴ

役場の職員として生きる”幹線道路”から、自らの志と情熱でまだない軌道を描きながら飛ぶ宙へ。離陸のきっかけになったのは、職員として過疎集落のひとびとに向き合った時に心にすみ始めた使命感でした。

 入庁2年目に想像もしなかった福祉課に配属され障がい福祉を担当、「障がい者がたくさんいることやそれぞれに違っていること、相談業務で耳にしたお困りごとの深刻さに打ちのめされた」という仲本さん。「医療ケアが必要な障害児が使えるスクールバスがないことが原因で、お母さんたちが大変な苦労をされていました。家族ごと引っ越していってしまう例もあったんです。」お母さんたちのお茶会に参加し、聞き取った困りごとから事業を組み立て会議で提案しても聞いてもらえず、無力感を感じたといいます。

「こんなに一生懸命に仕事をすると思わなかった、自分で驚いた」と振り返るように、使命感に目覚めた仲本さんは働きながら社会福祉士の資格を取得。発言力を強め、仲間と手を取り合って通学支援事業の立ち上げに成功しました。のちに県庁へ出向したあと村役場に戻ってきた際、お母さんの1人と再会し、「仲本さんのおかげでこの子が卒業できました」という言葉を受け取ります。行政職員として集落の課題に向き合う中で、子どものころは嫌いだった田舎が、挑戦の場所に変わっていったのです。

生まれ持った人生を前向きに歩む

もこもこと木が生い茂るやんばるの森

「小学校のとき、『生活の時間』で紅葉を見つけにいったのに、自分の住む場所には教科書に載っている紅葉がありませんでした。『ここの自然は間違っている!田舎だから間違っているんだ』と思いました。
田舎が嫌で、大学生になって一人暮らしを始めた姉に便乗して高校から那覇に出ました。都会育ちの同級生には訛りから離島出身と間違われたり、出身地を伝えても聞いたことがないと言われたりしました。
沖縄本島の中でさえ誰も知らない辺境の地。特異性について語ってくれる大人がいなくて、『メインストリームは他にある』という劣等感だけが募っていきました。」

特異性は、語られなければ多様性の豊かさに結びつくことはありません。教科書やメディアが伝えるメインストリームとの間には優劣だけがありました。

田舎嫌いにもかかわらず役場職員になったのは、「実家で暮らしてお金を貯め、外国に行きたかったから」
役場での使命感に目覚める原体験を経て、退職して起業したのは「自分が本当にやりたいことで背負いたかったから」。役場職員だった9年の間には、県庁への出向期間と戻ってからの合計4年間、やんばるエリアの世界自然遺産登録関連の仕事を経験しました。

集落の営みを次世代につなげたい

クバの葉を使った民具づくり

仲本さんが起業したEndemic Garden Hは、観光業をなりわいとするまちづくり会社です。集落からにじみ出る文化のともしびをつなげて観光コンテンツをつくり、古民家や空き地を使って分散型・滞在型の宿泊施設を開発する。すべての仕事において仲本さんが大切にしているのは、「ブランドよりも本物でありたい」という想いです。

「たとえば、謝敷集落は先週1人おじいちゃんが亡くなって現在の人口は30人です。たった30人の集落でも、5人も神人がいるんです。集落内の分散型宿泊施設のためにお借りする家の1軒は、神人のおじいが土地の神様になったご先祖の仏壇を守るために建てたおうち。『神様を守らないと』とおうちまで建てる精神世界が、神話ではなく令和の今に残っている。多いと月に2回程ある集落の神ごとも、変わらず続けられています。」

暮らしの一部として神を祀る沖縄の精神世界は、山から湧き出る水を使い、目の前の海から魚を獲り、田畑で野菜を育てて命をつなぐ生きる力と表裏一体に結びついたもの。命の源である水のあるところに祈りを捧げ、自然の恵みに感謝しながら五穀豊穣を願う。身近な自然とともにある暮らしから起きるひとびとの気持ちが、アブシバレーやウシンデークといった伝統芸能のルーツでもあります。

仲本さんは、こうした文化を形だけ「守る」のではなく、なるべくそのまま伝え、本質を捉えて変化させながらつないでいくことを志します。

「2018年・2019年にHONEN fes!!!というイベントを開催しました。各集落で受け継がれる踊りを披露したり、縄ない草あみなどの手仕事をワークショップで体験してもらったり。私自身がかっこいい!面白い!と思うものを素直に出したらたくさんの人が楽しんでくれて、とても嬉しかった。この時に、縄ない体験に赤土対策でたくさん植えられるようになったベチパー(イネのような植物)を使ってもいいかどうか議論になったのですが、私はこれを『伝統的じゃないからダメだ』と排除したくないと思いました。昔は、生業として稲作をしていたからこそ稲藁を使っていたけれど、今はもう稲作をしていない。大綱引きのために台湾から稲藁を何トンも輸入しているくらいなら、今そこにあるベチパーを生かす方が賢いと思うし、それこそが文化だと思うのです。」


芭蕉布の糸。

仲本さんは今まだ残っているふつうの営みに光を見出し、「光がある」という事実を今よりも遠くまで届けたいといいます。

成功するのは、ずっと先のこと。
だからこそ、20年先の話がしたい。

「観光業は、文字通り『光を観てもらう』生業です。琉球大学時代に、沖縄からの移民が暮らす南米諸国を旅した時に、人と出会うことで土地に出会い、人となりを好きになることで土地を好きになる豊かな体験をしました。そういうものが、私にとっての旅。光は『人』と『その人が暮らす土地』にあります。」

だからこそ、光をたたえた集落が人知れず消えていってしまわないために働きたいと話す仲本さん。「成功は、集落が続くこと。成功が訪れるとしてもずっと先のことだから、区切らずに見ていてほしい。」と10年・20年先を見据えています。きょうだいをはじめ、多くの同世代が離れる中、生まれ育った地元に根を下ろして一歩一歩あゆみを進める冒険の旅は、仲本さんにとって生まれ持った人生の奥行きを確かめる旅でもあります。



これからも株式会社Endemic Gareden H 代表 仲本いつ美をどうぞよろしくお願いします。


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