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四天王寺


四天王寺 (シテンノウジ)

大阪は天王寺にある、聖徳太子が開基したお寺と
して有名なお寺でありその総面積は11万平米と
甲子園球場のおよそ3個分の広さである。

ここは『浪速七幸巡』(ナニワシチコウメグリ)
という関西の七カ所の寺社仏閣を巡っては大きな
色紙にある七福神の上に御朱印を押してもらうと
いう作業を、いつものアクティビティサークルの
『1-UP'S』の仲間とワイワイやったわけだが
四天王寺の境内に名前が載ってるのを見に行こう
と年始最初の健歩大会&初詣となったのである。

『あった、あった』と皆で掲示されてたのだが
個人名が並ぶのを掲載する訳にいかずに境内の
中で見つけ撮影したものを解説していくとする。




石ノ大鳥居扁額
(イシノオオトリイヘンガク)

一般的なお寺はどこでも南門を正門とするが
四天王寺は西門『石ノ大鳥居』を正門とする。

大鳥居の中央に掲げられる扁額(ヘンガク)
そこに浮き彫りにされた縦文字は達筆すぎて
読めないのだが、解説すると次の通りとなる。

釈迦如来 シャカニョライ
転法輪処 テンポウリンショ
当極楽土 トウゴクラクド
東門中心 トウモンチュウシン

『この地は釈迦如来が現れ説教された場所
極楽浄土へと通ずる東門に当たるものなり』

を意味表したものである。


伽藍廻廊
(ガランカイロウ)

四天王寺の中央をぐるりと取り囲むのは中央伽藍
その回廊には多くの吊灯籠が吊り下げられている。
永代供養故人の霊名や、祈願事を記載した灯籠を
中心伽藍の回廊に吊るされており、四面に四天王
の梵字が入るもの。吊り灯籠を接写すると霊名が
写り込むので、そこは配慮したものを掲載した。



龍ノ井戸
(リュウノイド)

四天王寺では、中心伽藍金堂のその地下深く
流れる荒陵池の麗水には青龍が棲んでいると
され、寺域守護していると信仰されている。

創建当初の記録文書『四天王寺御朱印縁起』
にも「四天王寺の地には七宝が敷かれており
青龍が恒に守護しており、その麗水は東へと
流れている…」とあり、江戸時代に井戸屋形
が造られ境内図に「龍ノ井戸」と明記される
もので、中心伽藍内で外せない重要な建物と
認識されていた。

第二次大戦の大阪大空薬によって焼失をした
井戸屋形は、戦後の復興事業に沿いて現在の
形となり井戸枠は小豆島産花崗岩一石により
造られ、見えがかりの高さ76cm、外側は
八角形で、中央には直径1m45cmの円孔
がくり抜かれているものでおる。

屋形の天井には、五重塔壁画も手掛けた日本
画家の山下摩起画伯(明治23年(1890)
~昭和48年(1973))の筆による青龍が
描かれており、井戸を覗き込むと水面に青龍
の姿が浮かび上がるようになっているもの。
直接に井戸水の蒸気が当たる構造上、天井画
の劣化が激しかったため、2021年厳修の
「聖徳太子千四百年御聖忌」に向けての改修を
平成29年9月に当初の天井画を精確に複製、
防カビ加工を施した天井画が掲げられた。

本来は井戸の水に浮かび上がった青龍を崇める
ものであるが、注意書きを無視して投げ銭する
不届き者が多くて、青龍の姿は拝めなかった。
水があると投げ銭をするのは悪い習慣である。


五重塔

ここ四天王寺は戦火により、残念なことに多くが
消失している。この五重塔も同じく焼け落ちてた。
これを昭和34年(1959)に立て直している。
耐震構造を考慮し、内部は鉄骨鉄筋コンクリート
を採用しながら、飛鳥様式の建築の外観を再現し
その高さは37mにも及ぶもの。



五重塔の相輪

この五重塔天部の金属飾は『相輪』(ソウリン)
と呼ばれているもの。その一番上にある丸いのは『宝珠』と呼ばれ仏舎利を収める部分。その下に
ある丸いのが『竜車』と呼ばれる高貴な位の人の
乗り物を表すもの。その下の火炎状飾りがあるが
これは『水煙』で建物を火災から守る役割をもつ。
この下に均等に輪状に九個並んでるのが『九輪』
で五知如来と四菩薩を表しているもの。その下の
花の形をした飾り台が『受花』、盛土型をした墓
の『伏鉢』、伏鉢の土台の『露盤』と四天王寺の
五重塔の相輪は、15ものパーツで構成されてる
ものとなる。



舎利出
(シャリダシ)

中心伽藍内、五重塔の向かいにある金堂において
毎日11時に舎利出の法要が行われており、是非
行ってみなさいなと絵葉書を販売していた女性が
お勧めをしてくれたので早速行ってみた。神事の
為に撮影は出来なかったが、舎利を頭に置かれて
御仏のお導きを祈るという厳かな法会であるもの。
舎利とは、お釈迦さまの遺骨を表した物であって
何とも有難い事であった。



番匠堂
(バンショウドウ)

四天王寺境内の中にあるのがこの番匠堂である。
番匠というのは今で云う大工のことを指すのだが
日本に於ける大工技術の始祖として番匠、大工達
によって尊崇され、このお堂に祀られているのが
聖徳太子である。聖徳太子は現代に伝わる大工の
道具の曲尺(カネジャク)を中国から持ち込んで
日本の職人たちに広めたといわれている。また、
建築に携わる職人の育成や組織づくりにも努めて
法隆寺を始め、寺院の等建立にも尽力した事から
建築・土木の守護神として信仰されている。
曲尺を携えた姿で曲尺太子(カネジャクタイシ)
とも呼ばれている。

番匠器名号 (バンショウキミョウゴウ)として
『南無阿弥陀仏』の文字の入る幟が立っている。
このカクカクした面白い文字をよく見てみると
大工道具で構成されていて、遊び心がが面白い。



阿弥陀如来 千躰佛
(アミダニョライ センタイブツ)


真西に沈む夕日の遥か彼方には阿弥陀如来が
おられる極楽浄土があり、四天王寺の西門の
石鳥居は浄土信仰の発祥の地として知られる。
それを感じるに相応しい見真堂の親鸞聖人像
において千躰佛を奉安し、ご先祖やご霊位の
永代供養(奉安)が受付られている。

春秋彼岸の中日には、極楽門前で太陽が鳥居
の真ん中に沈むのを拝する行事として日想観
(ニッソウカン)が今なお執り行われている。

極楽浄土におられる阿弥陀如来は現世の人々
を救い、往生安楽国(極楽に生まれ変わる事)
を叶える仏様であり、寿命が無量である事、
無量の光に包まれる存在で『無量寿如来』や
『無量光如来』とも称されている。

写真は千躰佛、親鸞聖人像を撮影したもの。




聖霊会舞楽大法要
(ショウリョウエブガクダイホウヨウ)

4月22日は聖徳太子の命日でありこれを偲んで
四天王寺にて毎年行われるものであり、最も重要
な大法要である。四天王寺一山式衆の声明法要、
そして天王寺楽所による舞楽、これらが合わさり
一体となり、1400年も前から続く古の法要は
重要無形民俗文化財の指定を受けているもので
この舞楽は無料で鑑賞できるもの。紙製の面には
幾何学的な図式があり、これがまた異次元世界の
様で面白いものである。

写真は境内の中のポスターを撮影したもの。
今年はこの舞楽を実際に見たいとも考えている。



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名称 金光明四天王大護国寺
   (コンコウミョウシテンノウダイゴコクジ)
   四天王寺(シテンノウジ)
所在 〒543-0051
   大阪市天王寺区四天王寺1ー11-18
最寄 四天王寺夕陽ヶ丘駅(大阪メトロ)
山号 荒陵山
宗派 和宗
寺格 総本山
本尊 救世観音菩薩
創建 推古天皇元年(593年)
開基 聖徳太子
札所 新西国三十三箇所第1番
   西国三十三所番外霊場 
   西国薬師四十九霊場第16番
   近畿三十六不動尊霊場第1番
   摂津国八十八箇所第25番
   摂津国三十三ヶ所第33番
   おおさか十三仏霊場第4番
   大阪七福神(布袋尊)
   河内飛鳥古寺霊場第1番
   なにわ七幸めぐり
   大坂三十三所観音めぐり第20番 - 24番
   聖徳太子霊跡第1番
   法然上人二十五霊場第6番
   西山国師遺跡霊場客番札所
   四国八十八箇所番外霊場
   役行者めぐり
   神仏霊場巡拝の道第43番
文財 紙本著色扇面法華経冊子5帖ほか(国宝)
   六時堂(重要文化財)
   絹本著色両界曼荼羅図(重要文化財)
   八角亭(登録有形文化財)
朱印 大悲殿
   聖徳太子

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浪速七幸巡

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