「として」の威を借る〇〇

物申すとき、人は、
〇〇として」と言う。

たびたび目に入るこれらは、
喉に引っかかった小骨のよう。
歯に詰まった鶏肉のよう。

「〇〇」に入るもの

見たことのある人もいるだろう。
同じ人間として」「同じ日本人として
といったかなり大枠の集団。
少し細分化された「親として」「社会人として

「〇〇」に入るものは
すべて、不特定多数だ。

あるデモに対する批判の一意見として
発せられる「同じ日本人として恥ずかしい

敬語が上手く使えない人に浴びせられる
社会人としてどうなんだ?

「みんな仲良く」は人を殺す

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教育業界で今も当たり前のように
言われる「みんな仲良く

これは「一人の排除」と言っても
過言ではない。

「一人楽しく」過ごすことは
すなわちと見なされ、
みんなだけが唯一の安全地帯
とされてしまう。

泣いている子がいても
何人かの「遊ぼう」の声に、
周りの子は「みんな」遊びに行ってしまう

誰々が言ったから
「だって」「〇〇くんも遊んでる
という責任逃れの温床になる。

「みんなが言うから正しい」を
「自分が言うことは正しい」に
コンバート
しようとしているのだ。

多数派が肯定される世界は
一人で生きるにはあまりにも残酷だ。

🍀気づきと、希望と、キッカケと。🍀 2年間、教師ののちテストを作る編集部 学童、パソコン教室を経て、 ゲーム関係のカスタマーサポート。 「生まれたての感情を孵してゆく」 https://mobile.twitter.com/EGG_TODAY