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#blog 未来の私へ。頭をよぎる「もっと」は理想。身の丈にあった努力はできたと思うよ

雪降る夜
祖母が亡くなりました。

91歳、大往生だと思います。

早速ですが、私は祖母と距離を置いて生きてきました。喧嘩もしないし、年末年始のご挨拶には毎年行く。仲が悪いわけではありません。
だけど、世の中に、おばあちゃん子というくらいなんでも話せる関係性をつくれる人たちがいるとすると、仲が良いとは言えなかったと思います。

世代の違う祖母は、幼いころ、家族で里帰りすると、4つの下の弟に「長男から」と、なんでもやらせました。「跡取りだから大事にせんと」これも口癖でした。歳を重ねた今は、順番なんてどうでもいいし、血統についての知識もつきました。ただ、幼い頃の私には、その言葉や行動にしっくりこず、理不尽さを感じていました。社会人なりたてのときは、会う度に「ひ孫」の話。仕事に夢中になる私とは、話の軸があわず・・・。次第に「うん、うん」と聞き流せる程度に、会いに行く頻度は低くなっていきました。程よい距離を、一方的に探して、折り合いをつけていきました。私が社会でもっている役割の中で、孫の私の優先順位は低かったな。それだけはごめんなさい。

一方、祖父について。
祖父は私が5歳の時に亡くなりました。私は彼に守られていることを何度も感じてます。上記のような祖母に対して、祖父は弟が生まれてまもなく亡くなっているので、私には、祖父が弟を贔屓した記憶がありません。平等だったというか、上の子である自分が愛されていたというか。その記憶がこれまで何度も私を救ってきた。もしもこの記憶がなければ、祖母に対しての気持ちはもう少し嫌悪感を抱くものだったかもしれない。

結局、祖母が去った瞬間(とき)は、私以外の家族が立ち合いました。私も病院には行ったけど、「登録」や「申請」の関係で入れなかった。あ、これは祖母の意地悪でも、私の意地ではない。ご時世的なこと、あと、予想外のタイミング。色々考えられるけど、私は祖父がそうしたんだと思っている。私には、祖母の元気な姿を最後の記憶にしてくれたんだと。

お葬式は田舎でやって、町の人もきてくれた。恨まれてる様子もなく安心した。心配しているのは、彼女の来世だ。カレンダーにあれこれ書き込んで、大事なことはメモして壁に貼ることを徹底している心配性だった。最後まで色々気にしていたと思うが、この世に未練なく、ゆっくり休んで欲しい。祖父をなくして約30年、1人で辛抱強く生きたと思う。私は輪廻転生だと思っているから、来世が少しでも、今期より幸せに生まれ変われることを祈っている。欲を言えば、もっと人の話を聞いて、人に甘えて、楽に生きれることを願う。うーん、けど、魂が一緒なら、性格(根本)は変わらないか。

互いにたくさんの選択し折り合いをつけてきた、祖母とのこの世の関係が終わる。

人は過去の記憶に縛られて生きている。
体験は強いインプットだ。
自分が体験した過去の記憶は、自分の都合の良いように保存される。特に、心に強く受けた衝撃は、感情にフォーカスされてしまうから、自分を守るための記憶補正がかかるものだと、私は思っている。今、程よく事実をそのまま受け止められているように思う。未来の私が、この関係性や出来事を、悔やんだり恨んだりしないように、記録に残しておこうと思う。

いままでありがとう
そして、お疲れ様でした。






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