【ボイパ】僕が素人から上級者まで成長した過程(約8年分)
初めまして。
YouTubeやTwitterでボイパについて発信している、えがちゃんと申します。
福岡にある九州大学HarmoQのOBです。
このnoteでは、ボイパ歴8年目の僕が成長してきた過程を綴ります。
そもそもなぜこのnoteを書こうと思ったかというと、「音楽素人でもきちんと努力すればボイパは上達する」という想いがあなたに伝わってほしいからです。
僕は大学からアカペラを始め、ボイパに挑戦しました。当時はお世辞にも強豪とは言えなかった九州地区で日々練習にのめり込み、大学4年の時にアカペラ全国大会への出場を果たしました。また、この時には個人賞としてベストパーカッション賞の候補5名に、唯一の「大学からボイパを始めた人間」として選出されました。
ボイパの上達には、ある程度のセンスは必要だと思います。しかし、ほとんどは努力です。正しい努力が演奏の質を向上させます。
僕が成長してきた過程を一つの例として知り、ご自身の成長に役立ててほしいです。
それでは本編スタートです。
こちらのnoteは、小学生時代~現在を時系列順に紹介します。
長く熱い日記だと思って、ぜひ最後までお読みください。
人生の概要
先に結論を書いておきます。僕はこんな人生を送ってきました。これらそれぞれの詳細に触れ、僕のボイパの成長過程を露わにします。
小学生
まだこの時は、音楽にほとんど触れていません。授業で習ったソプラノリコーダーが得意だった程度です。
リズムという観点においては、小学6年生で始めたバスケットボールと、姉が習っていたストリートダンスを見学していたことが少しは良い作用を及ぼしてくれていたと思います。
バスケットボールは、リズムスポーツです。フェイントやドリブルのスピード、そしてジャンプするタイミングなど。バスケに出会ってからリズム感が良くなった気がします。
また、姉のダンス姿を見てちびっこながら真似をしていたので、それも良い影響だったはずです。
中学生
この頃は、バスケ部の練習で日々苦しい思いをしていました。
あとは、文化祭のステージでダンスをしました。意外と自分もダンスできるんだなと新たな発見を得た時代です。
また、体育祭ではブロック長を務め、そこでもダンスをしていました。ダンス人生。
高校生
高校でも少しだけバスケをしましたが、1年生の時に退部しました。
高校時代は、ひたすら勉強をしただけの3年間です。私立高校の勉強クラスみたいなところにいました。
リズムに関する話ほとんどないのですが、強いて言えば高校時代にHIKAKINさんブームがきており、バスドラムとハイハットだけでお遊びをしていました。
授業間の10分休憩で友達と一緒に「ブッツーブッツー」と可愛いビートを鳴らしていたのが懐かしいです。
大学1年生
新歓ライブを見に行き、アカペラサークルHarmoQに入会しました。
この時初めてアカペラを生で見て、「人間がマイクだけでこんなに圧倒的な音を出せるのか・・・」と感動したのを今でも覚えています。
今でこそ自分は成果にこだわる人間になっていますが、アカペラを始めたばかりのこの時は「みんなでアカペラするのって楽しい!歌えるだけで幸せ!」という可愛い思想を持った男の子でした。
全国大会に出たい!とか、誰よりもボイパ上手くなりたい!とかは全く考えていない時代です。
そのため、練習の質はもちろん高いわけもなく、自分なりに黙々と音を鳴らす練習を積み続けただけです。
外部の演奏なんて聞いたこともないし、自分達が上手いのか下手なのかさえも自覚できていませんでした。
そんな大学1年生の冬、転機がありました。
先輩を応援するために、第4回A Cappella Spirits!全国決勝大会を見に行ったことです。
この関東旅行で、二つ大きな思い出があります。
一つは、アカスピ前日に渋谷で開催されていたライブを見に行き、インスピとクレクレの1年生同期バンドの上手さを目の当たりにしたことです。
同世代の人なら覚えているであろう、MakthyとLemonadeです。
演奏を聴いてすぐ、「あれ?同級生なのに・・・まるで違う・・・今まで自分は何を・・・」という情けない気持ちになりました。一緒に見ていたHarmoQの同期たちと渋谷のパンケーキで心を慰めたのを鮮明に覚えています。このライブを機に、本気で練習する覚悟を決めました。
もう一つは、アカスピ決勝で先輩の勇姿を見たことです。この時アカスピに出ていた先輩は、Sound King Kong Timeという僕が大好きなグループです。
今でこそ九州地区はアカスピ全国優勝やKAJa!出場、そしてJAM出場と実績を残し始めていますが、当時は「九州は上手くない」という空気がなんとなく漂っていました。
そのため、応援に行った僕ら自身も「やっぱり霊チョールズとか無糖BLACKがすごいんだろうな・・・」なんてことを思っていました。
しかし、本番ではSound King Kong Timeがかなり良い演奏を披露し、九州以外から来ていた観客の方々にも好かれていました。(後日ご本人たちに聞いたところ、結果もかなり良かったとのことで感動しました。)
上手くないと思われていた九州だとしても、先輩が全国の舞台で大躍進している姿を目の当たりにし、「自分も絶対にこの舞台に立たなければいけない」と使命感に駆られました。
そんなきっかけがあり、僕は本気で全国大会を目指すことになりました。
そんなきっかけがあった大学1年生の冬。
別の転機がありました。
それは、のちに全国大会出場を果たしたダーウィンズの結成です。僕の青春はほとんどこのグループに詰まっています。
ダーウィンズを作り始めたメンバーから「九州でナンバーワンのヤロバンを作りたいから、各パートで最高に上手いメンバーを集めたい。やからパーカスにえがが入って欲しいんやけどどう?」と直接言ってもらえて参画しました。
全国に出たい想いとダーウィンズ結成時の覚悟が相まって、大学1年生の冬に僕の熱量は最高潮に達していました。
この熱量があったおかげでどれだけでもアカペラにのめりこめたので、ボイパの技術は勝手に向上し続けていたと思います。
大学2年生
大学2年生からは、サークルライブやアカスピなどの審査に向けて練習をする日々でした。
結果として、アカスピ九州最終出場、そしてサークルライブは全て出場できた良い年になりました。
この時にしていた練習は、以下の内容が主でした。
これらのほとんどは、「この練習をするぞ!」と意気込んでいたわけではなく、熱量を持って練習していたら自然と取り組んでいたことです。
そのため、戦略的にこういったことをしたわけではなく、その都度最適だと思った練習に取り組んだだけです。
とはいえ、これらを実践した僕は自信を持って誰にでもお薦めできます。
まだこういう練習や気の持ちようをしていない人はぜひ真似してみてください。
大学3年生
大学3年生は、少しスランプに入った年でした。
大学2年の時に続きサークルライブやその他のライブには出場できていたのですが、思ったような演奏ができずいまいち充足感がありませんでした。
具体的に感じていた不足はこんなところです。
特に、どのライブ後でも「なんか今日の演奏は違う感じがしたな・・・」と違和感を抱いたまま終わることが多く、気持ち悪かったです。
ノリがイマイチでテンポは走り気味。走るのを矯正しようとするとスネアが遅れがちになる。自分の演奏がどんどん気持ち悪く聞こえてきた一年でした。
そんな不安定な一年でしたが、やはり僕はボイパが大好きなのでモチベーションの低下なんてことは起こらず地道に練習し続けていました。
この一年から言えることは、「あきらめないことが大事」です。ありきたりな言葉ですが、当時諦めずに努力し続けたおかげで今の自分の演奏があります。
大学4年生
いわゆるラストイヤーです。
この年は、アカスピ全国・KAJa!・JAMの三大大会全てに出場する目標を掲げていました。
結論として、JAM以外は出場を果たせました。
このnoteは成長過程を記載することが主題のため、全国に出た時の思いや感動は割愛します。
このラストイヤーに躍進した秘訣は、主にこれらだと思います。
バンクリで習った練習がかなり効いたので、それをまず紹介します。
まず、リズムの改善について。
リズムは「シェイカー」という楽器を使った練習で改善しました。
手に持ち、シャカシャカと音が鳴ります。
これを6人全員で持ち、いつも通り歌います。
その際、リズムに合わせてシェイカーを鳴らします。
するとどうなるか。
メンバーごとにシェイカーの音がずれているんです。
8分だけで音が鳴っている人もいれば、16分で鳴っている人もいる。
深いシャッフルで鳴っている人もいれば、浅いシャッフルで鳴っている人もいる。
シェイカーのおかげで各メンバーの体内に眠っているリズムが表出し、メンバー間でリズムの感じ方がどれほどずれているかが明確になりました。
それからは、シェイカーのリズムが揃うまでみんなで練習する日々です。
なんとかリズムの共有がうまくいきました。
あとは、各曲の決めどころをみんなで再確認し、「このラスサビ前ってもっとこういう気持ちで盛り上げた方がいいのでは?」のように抑揚の修正を行いました。このような基礎的な練習が一番効きます。このおかげで演奏のかっこよさが三倍くらいになりました。
ここまで具体的な練習法について記載しましたが、結局のところ一番大事なのは「いかに覚悟を持てるか」です。
どれだけ本気で「絶対に全国に出る」と思えるかが結果を変えます。
大学院生
大学院生になってからは、新たなグループを組んだものの全国に出ることは全く目標になく「新たなことに挑戦する」を目的に活動していました。
具体的には、
・プロアカへのチャレンジ
・インカレの充実
・他者への技術伝達
です。
特に、プロアカへの挑戦には良い刺激をもらえました。
苦手なコーラスに挑んだり(結局最後までハモれなかった)、変拍子に挑んだり、刻んだことのないフィルインに挑んだり。
このおかげで自分の引き出しは何倍にも広がりました。
また、大学院生の時にYouTubeを始めました。最初は「コロナ自粛でみんな暇だろうし、ボイパできる人間が増えたらめっちゃ面白そうだな!YouTubeで練習動画をあげてみよう」と気軽に考えていただけです。
今となっては登録者が1000名を超えて無事に収益化でき、「エガさんの動画を見て練習したおかげで、審査員から褒められる事が増えました!」なんてお声も聞けています。YouTubeを始めてよかったと度々思います。
また、YouTubeで解説動画を作ることで、自分の技術は急速に成長しました。
やはり、大多数に向けて「ボイパニキ」なんて大それた名前でボイパの練習方法を語るわけですから、テキトーなものは出せないんです。
誰が見ても、誰が練習しても上手くなれる「再現性」を担保するために言語化にはかなり力を入れました。
どんな練習手順を追えば良いか?この動画を見て練習する人は具体的にどんな生活を送っているか?などを必死に考えて動画を作っていました。
そのおかげで、僕はボイパを直感だけでなく論理で捉えるのも上手になりました。ボイパを論理で捉えることができるようになったため、自分の演奏を改善する方法もすぐにイメージできます。論理のパワーを日々実感しています。
みなさんもボイパを直感だけでなく論理で捉えてみてください。ボイパに関わるテーマそれぞれについて因子分解する癖がついてきたら、それは急成長のサインです。
社会人1年目
社会人になり、ボイパのオンラインレッスンを始めてみました。
YouTubeだけでなく個人の支援にも取り組むことで、より実践的な教育を求められるため、脳がどんどん発達していきました。
レッスンを受けてくださった方の多くに「ここまで論理的に分かりやすく教えてもらえたので、努力しやすく上手くなるイメージがかなり湧きました。ありがとうございました!」と言ってもらえました。
レッスンを通じて、自分は分析力が平均以上はあるのかもなと自覚し始めました。
人に教えるって、やはり一番成長する手段なのかもしれません。
社会人2年目(現在)
社会人2年目になり、8月ごろからTwitterに本腰を入れ始めました。
YouTubeだけだと動画制作のコストが高く、更新頻度を保てないためです。
また、Twitterは比較的得意な領域なので自分の考えを発信するのに最適だと思っています。
今では2000名以上の方にフォローしていただけてありがたい限りです。
毎日ツイートする中で自分の脳内は整理されるので、これもまた自分の成長のきっかけとなりました。
140文字以内で誤解なく十分な具体性も持たせるってかなり難しいですが、良い練習です。
また、最近になってサークルライブの審査依頼をいただける事が増えました。
未発展だった九州地区出身として、東京のサークルの皆さんから依頼をいただけることは心から嬉しいです。
日程が合えば全て引き受けさせていただいているので、もし審査員が足りずにお困りのサークルはTwitterのDMへご連絡ください。
必死に言語化します。
まとめ
各時代における僕の練習法やマインドについて記載しました。
これらが僕の全てではないですが、8割くらいは語れています。
参考になる部分がもしあれば、ぜひ真似してみてください。
また、YouTubeでは今後も多様な練習動画を上げ続けるので是非ともチャンネル登録をお願いいたします。
Twitterのフォローもお忘れなく。
最後までお読みいただきありがとうございました!
誰もがボイパを上手くなれるように頑張ります!ご支援お願いします。