ミスターシービーを手に入れたのに

ウマ娘をやりはじめて1年以上、推しに推していたミスターシービーを手に入れた。
シナリオもよかったし、おおかた私が想像した通りの自由人で安心した。

消えたジュエルも13000程度なので、4万の貯蓄があった私にとっては大ダメージではない。だが、なんなんだろうか。シービーが手に入ってしまった瞬間、そして新しいシナリオが始まった瞬間、冷めていくこの熱は・・・。

こんなことを言ったら「キモ」と言われるのは致し方ないが、意外と私とシービー(ウマ娘)は似ている部分があるのかもしれない。
もしかすると自分はずっと自由を求めているのかもしれない。
もちろん、現実での私はシービーのような華々しさなど微塵もないが。

ちょっと前に、「スナフキンの鞄」が発売された。
スナフキンの使っている鞄をモチーフにした文字通りのデザインの鞄で、以前からスナフキンが好きだった私に母が勧めてくれた。
でも、その時私はこんな感じのことを言って断った。

「そのかばんでする旅は、スナフキンからもっともかけ離れた旅」

「面倒くさい」と言われたけど、パッとこんな返しをしたあたり、なんとなく”こういう人”の感覚を少しだけでもつかめているんじゃないかと思う。
シービーもスナフキンも孤独さえ味方につけることができる自由人。

欲しい事に違いはなかったし、ガチャを引いた事に一片の悔いもない。
でも、シービーを手に入れた時になんか彼女の自由を奪ってしまった気がして、暗澹たる気持ちに一瞬なった。一瞬だけだから、今は落ち着いてうっすらともやもやしてる。で、今こうやって文章を書いている。

心のままに動くっていうのは案外楽じゃない。
シービーが(シナリオ中で)苦労していたように、スナフキンが立ち入り禁止の看板に抗ったように、ある時は敢然と何かに抵抗したり我慢しないといけないことがある。

感覚的に自分はこういう人に近いと、自分自身の解像度がここ最近あがってきた。要するに不器用なんだな。
幸い、話すことや書くこと、読むことが好きだからこうして感情の整理をすることができるのがいい。
もちろん、シービー(ウマ娘)もスナフキンも創作上の存在であって(それが救い)現実世界にはいないんだけど、きっと現実に彼らのような人はいて、そういう人はきっと今私がやっているみたいに文章を書いたり、芸術に昇華させたりしてるんじゃないかなと思う。

だからこの文章も別に、伝えたいメッセージがあるとかそんな崇高なものではない。思った事を書いている。
私を取り巻いている現実はそうたやすいものではないから、カツラギエースもいなければムーミン谷も存在しない。でも、感覚的に自由人の抱える葛藤みたいなものはわかる気がする。ただそれだけ。

よく人と話してて「ああ、なんだか飽きて来たな」と思う事があるんだけど、やれやれ。睡眠薬を飲んだ状態でパソコンを開くんではなかった。
今日は休もう。また明日。

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