オルガン即興科で私が目指していたもの (言語学習を音楽学習に応用すること)

 私は2017年9月に教会音楽家としてドイツNRW州のある小教区に就職したが,1か月後にはベルリン芸術大学 (UdK Berlin) のオルガン即興科Bachelor課程に入学し,以降しばらく,仕事の傍ら週1回だけベルリンに通ってレッスンを受けるという生活をしていた。
 結果的にこれは1年でやめてしまうことになるのだが,このとき考えていたことは大切なことだと今でも思うので,もはや自ら実行に移そうと取り組まないならば,せめて書き記してどなたかの目に触れるところに置いておこうと思い,本稿の執筆にかかった。

 何のためにオルガン即興科に入ったか。もちろん教会オルガニストとして,自分自身がもっとよく即興演奏できるようになることも目指していた。しかしそれ以上に関心があったのは,真の音楽学習のありかたとその具体的な方法・教材を考えることだった。
 このとき基本にあった考えは, 「音楽の学習と言語の学習とはよく似ているので,後者のための優れた考え方や方法を前者に応用するとよいのではないか」というもので,これはレーゲンスブルクでの教会音楽科時代 (2011–15年) に口頭作文 (瞬間独作文) 中心のドイツ語学習とオルガン即興訓練 (オルガン即興は教会音楽科においても主要科目の一つである) との両方に取り組む中で抱いたものである。
 言語能力全体の土台となるのは何かというと,身体レベルで身についた文法力であり,それはつまり発話能力 (スピーキング能力) であるから,文法体得と一体のスピーキング訓練をすることで, 「話す」だけでなく「読む・書く・聴く」をも含めた言語能力4技能全体が伸びやすくなってゆく。これは米原幸大氏が普及に努めていらっしゃる「ジョーデン・メソッド」で言われていることだが,ある程度私自身の実感でもある。それならば,音楽においては (身体レベルで身についた音楽文法力すなわち和声力・対位法力・楽式力etc.としての) 即興演奏能力こそが本来はすべての土台となるはずのものではないだろうか,と考えることができる。
 オルガン即興科入学までの2年間 (つまり就職までの2年間),私は音楽理論を専攻していた。音楽理論は音楽の理解・学習を助けるための道具としてこそ最も役に立つものであると思うが,以上のような意味で,音楽理論は即興教育に至るのが究極のまた本来の姿ではないかと思った。このような考えを抱きつつ,私は週1回のベルリン通いを始めたのだった。

 英語のスピーキング能力を鍛えるためにたいへん有効な「瞬間英作文トレーニング」(森沢洋介氏の優れた英語学習法「英語上達完全マップ」の重要な一部を成すもの) は,次のような方針で行われる。

  •  じっくり考えて長い文を作文するのではなく,また書いて作文するのではなく,短い文を大量に口頭で作ってゆく。

  •   「ばからしいほど簡単なもの」から訓練を始める。リーディングなどほかの能力がいくら高くても関係なく (もちろん,スピーキングがもともとある程度できるという場合はそのレベルから始めてよいだろうが)。

  •  暗記 (丸覚え) が起こらないようにする (これについては真意が伝わりづらいと思うので,別記事もお読みいただければと思う)。そのためには文をきちんと理解できることが必要なので,知識としての文法は先に学習しておく。

 この方法を信じて自分のドイツ語学習に応用し (瞬間独作文),たいへん効果があったという経験から,即興演奏の訓練も同じようにすればよいのではないかと私は思った。短く単純な,今の実力でも本当に即興で処理できるくらいの課題から始め,量をこなすのである。

 教会音楽科でもオルガン即興科でも,レッスンで出される課題は,この目的のためには私の実力に比べて高度すぎることが多かった。高度すぎるとどうなるかというと,弾いてみて止まってはやり直すということを繰り返して少しずつ形にしてゆき,最終的には覚えこんだものをレッスンに持ってゆくということになる。これは結局「頭の中での作曲と暗譜」であり,本当の即興のときとは違う頭の使い方なのである。これはこれで一つの実力ではあり,ミサ奏楽/礼拝奏楽の現場でも役に立ちはするのだが (そして,副産物のような形で多少の即興能力もつきはするのだが),しかし私はやはり本当の意味での即興能力を正しい (と私に思われた) 方法で基礎から訓練するということもしたかった。
 そういうわけで,特に長期休暇中には教材を自作して練習するということもあった。しかし学期が始まるとレッスンの課題をこなすだけで精一杯,いやそれすら追いつかないという状況で (私の時間管理がなっていないのも悪かったのだが),自分のやり方を継続的に試すということはできなかった。また,音楽の場合は言語の場合と異なり正解が一つでない課題が圧倒的に多いこと,言語の場合に比べるとそもそも何をどう訓練したらよいかが分かりづらいことなども難しいところだった。正確にいうと,まずは和声法的な訓練 (両外声課題,バス課題,ソプラノ課題を鍵盤上で行うこと) から始めたらよいということ,そしてそれならやりやすいということは分かっていたのだが,私の場合それだけは基本的にクリアしていたので,その次の課題を考えるのが難しかったということである。

 教会音楽科は卒業したが,オルガン即興科は主に上のような理由で,また練習していて気がふさぐようになってしまったこと,ちょうどそこで右腕を痛めてしばらく休んだことなどもあって,1年経たないうちにやめてしまった。それで自由になったのだからいよいよ自分のやり方を大いに試せばよさそうなものだが,上記の通りたくさん練習できる状況ではなかったし,違うことに挑戦したりしているうちにこのテーマに取り組む気そのものが失せてしまった。

 そういうわけで,ここまで考えたにもかかわらず,私は残念ながらもはやこのことから手を引いてしまっている。しかし今でもここに書いた考え自体は正しいだろうと思っているし,もしこれをもとにしたメソッドと教材ができれば素晴らしいことになると思うので,共感してこのことに取り組んでくださる方がいらっしゃったら嬉しい。
 なお,実は既に存在するよさそうなモデルを私は一つ (一人) 知っている。Sietze de Vriesというオランダの優れたオルガニストである。彼は9歳まで楽譜を知らず,録音を聴いては自分なりに鍵盤上で真似するというしかたで育った。その経験から,彼は近代以来の楽譜依存型音楽教育に根本的な疑問を投げかけ,即興訓練から入る (まずは楽譜を一切用いずに耳と手と既知の旋律だけを用いる) 独自の方法を提唱している。しかも,本当に易しいレベルから少しずつ進んでゆけるよう配慮している。素晴らしいことに,彼は自身のYouTubeチャンネル (↓) でこの考え方に基づく講座を公開している (進行中) ので,ご興味があれば是非ごらんいただきたい (タイトルに "IMPROVISING" とある一連の動画)。

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