"Adeste, fideles" 対訳・逐語訳

 クリスマスの有名な聖歌 "Adeste, fideles" を訳す。日本語でも「神の御子は今宵しも」(1954年版『讃美歌』第111番),「いそぎ来たれ,主にある民」(『讃美歌21』第259番),「来たれ友よ すべての友」(『カトリック聖歌集』第113番) といったさまざまな訳詞で歌われているものである。(ところで,このような場合の「きたれ」の送り仮名は「来れ」とするのが正しいのではといつも思っているのだが,「来たれ」でも間違いではないのだろうか。)

 Wikipedia () によると,当初は4節から成る歌詞だったが,後代になってさらにいくつもの節が作られたということである。フランス語版Wikipediaはそれらのうち3つの節について,「もともとのテキストの質が十分でなかったから改良版として作られたのかもしれない」としている。何が不十分なのか,あまり詳しいことは私には分からないが,それでも一つはっきりしているのは,もとのテキストでは各節の音節数やアクセントの位置が揃っていないということである。
 これに対しドイツ語版Wikipediaは,「イギリス系の伝承とフランス系の伝承とがあるということができ,いずれも全4節で,第1節は共通だが残り3節は異なっている」という言い方をしている。「イギリス系」は上でいう当初の版,「フランス系」の第2~4節は後で作られたいくつかの節の一部にあたる。便宜上この「イギリス系」「フランス系」という言い方を本稿でも用いることにする。

 テキストは英語版Wikipediaにあるものをだいたいそのまま用いるが,スペース節約のため改行は省く。あと,行頭 (文頭ではなく) だというだけで大文字になっているものは分かりやすさのため小文字に替える。


第1節 (イギリス系・フランス系共通)

Adeste fideles laeti triumphantes,
参加しなさい,信ずる者たちよ,嬉しい気分で,歓呼して,
別訳:参加しなさい,信ずる者たちよ,嬉しい気分の歓呼する者たちよ,
別訳:参加しなさい,嬉しい気分の信ずる者たちよ,歓呼して,
別訳:参加しなさい,嬉しい気分の歓呼する信ずる者たちよ,
● いきなり冒頭の語が訳しづらい。ニュアンスを無視するならば「出席しなさい」とでもしたい。ともかく,その場に「いる」ことを呼びかけている。ならば結局「来なさい」ということだろう,ともいえるのだが,そう訳してしまうと次の "venite" (これはまさしく「来なさい」という意味) と同じになってしまうので避けた。

venite, venite in Bethlehem.
来なさい,来なさい,ベツレヘムへ。

Natum videte Regem angelorum:
生まれた天使たちの王を見なさい。
「生まれた」は「王」にかかる。
別訳:天使たちの王が生まれたのを見なさい。

Venite adoremus, venite adoremus, venite adoremus Dominum.
来なさい,拝みましょう,来なさい,拝みましょう,来なさい,拝みましょう,しゅを。
● リフレイン (すべての節の終わりにある)。以降省略する。

【逐語訳】
adeste
 (その場に) 居よ,出席せよ,参加せよ (動詞adsum/assum, adesseの命令法・能動態・現在時制・2人称・複数の形)
fidēlēs 信者たちよ;忠実な者たちよ,信頼できる者たちよ,良心ある者たちよ
laetī 嬉しい
triumphantēs 歓喜して,勝ち誇って (動詞triumphō, triumphāreをもとにした現在能動分詞の男女性・複数・呼格の形)
venīte 来い (動詞veniō, venīreの命令法・能動態・現在時制・2人称・複数の形)
in Bethlehem ベツレヘムへ
nātum 生まれた (動詞nāscor, nāscīをもとにした完了受動分詞の顔をした完了能動分詞の男性・単数・対格の形)
vidēte 見よ (動詞videō, vidēreの命令法・能動態・現在時制・2人称・複数の形)
Rēgem 王を
angelōrum 天使たちの
venīte 来い (動詞veniō, venīreの命令法・能動態・現在時制・2人称・複数の形)
adōrēmus 礼拝しよう,伏し拝もう (動詞adōrō, adōrāreの接続法・能動態・現在時制・1人称・複数の形)
Dominum しゅ

イギリス系テキストの第2節

Deum de Deo, lumen de lumine, gestant puellae viscera.
神からの神,光からの光を,少女の胎が運ぶ。
● "Deum de Deo, lumen de lumine" はCredo (ニケア・コンスタンティノープル信条) からの引用。

Deum verum, genitum non factum.
まことの神を,造られるのでなく生まれた者を [少女の胎が運ぶ]。
これもCredoからの引用。Credoでは "Deum verum de Deo vero (まことの神からのまことの神を)" となっているが,たぶん単に収めきれなかったせいであろう,"de Deo vero" は省略されている。

【逐語訳】
Deum 神を
dē Deō 神からの (Deō:神 [奪格])
lūmen 光を
dē lūmine 光からの (lūmine:光 [奪格])
gestant 運ぶ,宿す (動詞gestō, gestāreの直説法・能動態・現在時制・3人称・複数の形)
puellae 少女の
vīscera 胎が ……意味は単数だが,複数形。
Deum vērum 真の神を (vērum:真の)
genitum 生まれた者を (動詞gīgnō, gīgnereをもとにした完了受動分詞の男性・単数・対格の形)
nōn factum 作られたのでない者を (factum:動詞faciō, facereをもとにした完了受動分詞の男性・単数・対格の形)

イギリス系テキストの第3節

Cantet nunc io, chorus angelorum;
今こそ天使たちの合唱が「イオー」と歌うように (=歌わんことを)。
別訳:今こそ天使たちの大群が (……)
●「イオー」は歓呼の声で,Philipp Nicolaiフィリップ・ニコライの有名なドイツ語聖歌 "Wachet auf, ruft uns die Stimme (「目覚めよ」と [物見らの] 声が我らに呼ばわる)" の第3節にも現れる。

cantet nunc aula caelestium,
今こそ天の住人たちの宮が歌うように (=歌わんことを),

gloria, gloria in excelsis Deo,
「栄光 (あれ),栄光あれ,(いと) 高きところにおいては神に」と。

【逐語訳】
cantet
歌わんことを (動詞cantō, cantāreの接続法・能動態・現在時制・3人称・単数の形)
nunc
iō イオー (歓呼の声)
chorus 合唱が;大群が
angelōrum 天使たちの
cantet 歌わんことを (動詞cantō, cantāreの接続法・能動態・現在時制・3人称・単数の形)
nunc
aula 宮殿が;宮人たちが
caelestium 天の住人たちの
glōria 栄光が
in excelsīs (いと) 高いところにおいて
Deō 神に

イギリス系テキストの第4節

Ergo qui natus die hodierna. Jesu, tibi sit gloria,
そういうわけで,きょうの日にお生まれになった方よ。イエスよ,あなたに栄光あれ,
別訳 ("hodierna" の後のピリオドを無視):そういうわけで,きょうの日に生まれたイエスよ,あなたに栄光あれ,

Patris aeterni Verbum caro factum.
永遠の御父の,肉となられた御言葉よ。
別訳:永遠の御父の御言葉は肉となった。
● ヨハネによる福音書第1章第14節に基づく表現。
●「御父」は「父なる神」のこと。「肉」は要するに「(肉体をもつ) 人間」のこと。

【逐語訳】
ergō
それゆえ;そういうわけで
quī (関係代名詞,男性・単数・主格。先行詞を含む。あるいは先行詞は後に出る "Jēsū")
nātus 生まれた (動詞nāscor, nāscīをもとにした完了受動分詞の顔をした完了能動分詞の男性・単数・主格の形) ……ただし,本来ここは "nātus est" となるべきところ,音節数の都合で "est" (英語でいうbe動詞) が省略されているものと考えられる。"nātus est" であれば動詞nāscor, nāscīの直説法・受動態の顔をした能動態・完了時制・3人称・単数の形。
diē hodiernā きょうの日に (diē:日に [奪格],hodiernā:きょうの)
Jēsū イエスよ
tibi あなたに
sit あらんことを (動詞sum, esse [英語でいうbe動詞] の接続法・能動態・現在時制・3人称・単数の形)
glōria 栄光が
Patris 御父 (父なる神) の 
aeternī 永遠の ……前の "Patris" にかかる。
Verbum 御言葉よ;御言葉が
carō 肉 (主格または呼格)
factum なった (動詞fīō, fierīをもとにした完了能動分詞)

フランス系テキストの第2節

En grege relicto, humiles ad cunas, vocati pastores adproperant:
ほら,羊の群れを置いて,つつましいゆりかごへと,呼ばれた羊飼いたちが急いでいる。
別訳 ("cunas" の後のコンマを無視):(……) つつましいゆりかごへと呼ばれた羊飼いたちが (……)
別訳(同):(……) ゆりかごへと呼ばれたつつましい羊飼いたちが (……)

Et nos ovanti gradu festinemus,
私たちも歓呼の歩みを速めよう,
● 直訳すると「歓呼する歩みにおいて急ごう」。
● "ovanti" は一般的には与格の形だが,ここでは文脈上,奪格の特殊形 (形容詞的に用いる場合のみこの形になる/なりうるらしい) であると解釈した。

【逐語訳】
ēn
ごらん,ほら (間投詞)
grege relictō 群れが置いてゆかれて (grege:群れ [奪格],relictō:動詞relinquō, relinquereをもとにした完了受動分詞の男性・単数・奪格の形) ……独立奪格句 (絶対的奪格)。英語でいう独立分詞構文のような働きをする。この独立奪格句内での意味上の主語は "grege",意味上の述語は "relictō"。
humilēs つつましい …… "cūnās" にかかるとも "pāstōrēs" にかかるとも解釈できる。
ad cūnās ゆりかごへ (cūnās:ゆりかご [意味は単数だが,複数形。対格])
vocātī 呼ばれた (動詞vocō, vocāreをもとにした完了受動分詞の男性・複数・主格の形)
pāstōrēs 羊飼いたちが
adproperant 急ぐ (動詞adproperō/approperō, adproperāre/approperāreの直説法・能動態・現在時制・3人称・複数の形)
et nōs 私たちも (et:~もまた,nōs:私たちが)
ovantī 歓呼する (動詞ovō, ovāreをもとにした現在能動分詞。単数・奪格の特殊形) ……次の "gradū" にかかる。
gradū 歩みにおいて (奪格)
festīnēmus 急ごう (動詞festīnō, festīnāreの接続法・能動態・現在時制・1人称・複数の形)

フランス系テキストの第3節

Aeterni Parentis splendorem aeternum velatum sub carne videbimus
永遠の御父の永遠の輝きが肉のうちに秘められている (隠されている) のを,私たちは見ることになる。

Deum infantem pannis involutum
産着にくるまれた幼子なる神を [私たちは見ることになる]。

【逐語訳】
aeternī
永遠の
Parentis 御父 (父なる神) の ……父親にも母親にも用いる語だが,ここでは男性形をとっている (この語自体の形では区別できないが,この語にかかっている形容詞 "aeternī" の形から分かる) ので父親。
splendōrem 輝きを
aeternum 永遠の ……直前の "splendōrem" にかかる。
vēlātum 覆われている (動詞vēlō, vēlāreをもとにした完了受動分詞の男性・単数・対格の形)
sub carne 肉の下に,肉の背後に (carne [<carō]:肉 [奪格])
vidēbimus 私たちが見ることになる (動詞videō, vidēreの直説法・能動態・未来時制・1人称・複数の形)
Deum 神を
īnfantem 幼子を
pannīs 産着で (奪格)
involūtum くるまれた (動詞involvō, involvereをもとにした完了受動分詞の男性・単数・対格の形)

フランス系テキストの第4節

Pro nobis egenum et foeno cubantem,
私たちのために貧しく [なってくださり],干し草に寝ている方を,

piis foveamus amplexibus.
やさしく抱いてお温めしよう。
● 直訳「やさしい抱擁によって」。「やさしい」と訳した "piis" は「敬虔な」「聖なる」とも訳せる。

Sic nos amantem quis non redamaret?
このように私たちを愛してくださる方を,誰が愛し返さないであろうか。

【逐語訳】
prō nōbīs
私たちのために (nōbīs:私たち [奪格])
egēnum 貧しい (貧しくなった) 方を
et (英:and)
foenō (faenō, fēnō) 干し草に,藁に (奪格)
cubantem 寝ている方を (動詞cubō,cubāreをもとにした現在能動分詞の男性・単数・対格の形)
piīs やさしい,敬虔な,聖なる ……2つ先の "amplexibus" にかかる。
foveāmus 温めよう,冷えないようにしよう;撫でよう (動詞foveō, fovēreの接続法・能動態・現在時制・1人称・複数の形)
amplexibus 抱擁で (奪格)
sīc このように
nōs 私たちを 
amantem 愛する方を (動詞amō, amāreをもとにした現在能動分詞の男性・単数・対格の形)
quis 誰が~か (英:疑問詞who)
nōn redamāret 愛し返さない (redamāret:動詞redamō, redamāreの接続法・能動態・未完了時制・3人称・単数の形)

後代に作られた節 (1)

Stella duce, Magi Christum adorantes,
星に導かれてきて,キリストを礼拝する東方の博士たちは,
● "Stella duce" は,"duce" を "dux" の奪格と解釈して (そして "Stella" も同格であると考えて) 直訳すると「導き手としての星でもって」。一種の独立奪格句構文のようなものと捉えることにした。
 理論上,この "duce" は動詞duco, ducereの命令形とも解釈でき,そうすると「星よ,導け」となるが,これだと後にうまくつながらないと思う。

aurum, tus et myrrham dant munera.
黄金,乳香,没薬を捧げ物として贈る。

Jesu infanti corda praebeamus
幼子イエスに [私たちも] 心を差し出そう。
●「私たちも」とは書いていないが,この節全体の構造 (まず聖書の降誕物語の一場面を語り,終わりにその話を自分たちに引き付けて考える) が上の「フランス系の第2節」のそれと同様になっていることから,そちらにある "et nos (私たちも)" を暗黙のうちに補ってそのように捉えるのが自然ではないかと思う。しかし別の可能性として,「幼子イエスに私たち (黄金,乳香,没薬を捧げこそしないが) 心を差し出そう」というふうに読むこともできる。

【逐語訳】
stellā
星 (奪格)
duce (<dux) 導き手 (奪格)
Magī 東方の博士たちが
Chrīstum キリストを
adōrantēs 礼拝する,伏し拝む (動詞adōrō, adōrāreをもとにした現在能動分詞の男性・複数・主格の形) ……2つ前の "Magī" にかかる。
aurum 黄金を 
tūs 乳香を
et (英:and)
myrrham 没薬を 
dant 与える,贈る,捧げる,差し出す (動詞dō, dareの直説法・能動態・現在時制・3人称・複数の形)
mūnera (<munus) 捧げ物として (対格)
Jēsū イエスに
īnfantī 幼子に 
corda 心 (複数) を
praebeāmus 差し出そう (動詞praebeō, praebēreの接続法・能動態・現在時制・1人称・複数の形)

後代に作られた節 (2)

Cantet nunc hymnos chorus angelorum
今こそ天使たちの合唱が讃歌 (複数) を歌うように (=歌わんことを),
別訳:今こそ天使たちの大群が (……)
● この節全体が,もとの第3節とほぼ同じ内容を持っている。

cantet nunc aula caelestium,
今こそ天の住人たちの宮が歌うように (=歌わんことを),

gloria in excelsis Deo!
「栄光あれ,(いと) 高きところにおいては神に!」と。

【逐語訳】
hymnōs 讃歌 (複数) を
これ以外の語については「イギリス系テキストの第3節」を御参照いただきたい。

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